加納 顕史郎 と申します。
調べればわかることなので、ありのまま自己紹介します。
昭和63年8月14日生まれ。
2016年まで静岡県沼津市に在住。
窃盗罪により有罪判決を受け、現在執行猶予中。
現在無職。
物心ついた時から鉄道が好きで、27歳まで鉄道会社でサラリーマン勤め。憧れの鉄道会社、JR貨物で貨物列車の運転士として勤務しました。
しかし、睡眠不足から体を壊してしまい入院手術。
職場へ復帰後も仕事に支障が出てきたので運転士として勤め続けることに限界を感じ、好きだった仕事を離れることを決めます。入社から6年半ほどで退職。
その後、金属リサイクル業経営者の知人に拾って頂き、アルバイトという形でお手伝いをしながら将来的にリサイクル業での独立開業を目指しノウハウを学ばせて頂くという生き方を選びます。
そこで仕事を手伝っていく中で、金属を含む粗大ゴミは、ある程度不純物を取り除いて金属の種類ごとに選別すれば、1kgあたりいくらという値段で買い取ってもらうことが出来ると知りました。
辞めた会社で私が勤めていた元職場は退職後も仲良くして下さり、会社で出た金属ゴミを私に回収させてくれました。
元職場の総務には感謝され、退職者としても良い関係を続けることが出来ていましたし、社長にも仕事ぶりを認めてもらえてとてもやりがいがある仕事でした。
しかしある時状況は一転。
当時現役社員であった元職場の友人から、彼が過去に勤務していた愛知県の職場では、より大量の金属ゴミが回収できると聞き、彼に案内してもらう形でその社員と二人でトラックで回収へ向かいました。
ところが、それは回収の許可も得ていない、引き揚げてはいけない金属ゴミでした。
会社が解体処分に多額の費用を掛けていると聞いていた私は、お金を掛けて捨てているなら貰っていっても迷惑は掛からないだろうと思いこみ、自分のやっていることを深く考えることが出来ませんでした。
実際に持ち出したスイッチ等の部品は不純物が多く含まれており、相応の時間と手間を掛けなければ金属ごとへの選別ができないもので、これを混ぜた状態で捨てれば大した価値は見込めない物であることは分かりました。
持ち帰ってから長時間の分解、選別作業を経て初めて価値を持つ物でしたが、その時間を人件費と考えれば良くも悪くもなく・・・という程度だったでしょうか。
盗んでやるという悪意などはさらさらなく、まさかそれが後々おおごとになって、警察に逮捕されることになるなど、夢にも思っていませんでした。
しかし、会社は盗まれたと判断して被害届を提出。
私は元社員だったことから防犯カメラがあることすら知っていて、何の細工もせずに普通に自分のトラックで出入りしていたため、私と友人は簡単に足がつき間もなく逮捕。
後から弁護士に聞いて知ったことですが、社員の友人は取り調べの際、加納に行こうと誘われ、断れなかったと嘘の供述。
そのためか、私の言い分は聞き入れられませんでした。
弁護士の話では会社は弁護士を通じて渡そうとした手紙の受け取りや、損害賠償の申し出を拒否、社内へ警鐘を鳴らすため厳罰所望の一点張りだったとのこと。みせしめにしたかったそうです。
結果、私は元社員であったことから勝手を知っていて悪質と判断され、罪に問われることになりました。
判決は懲役1年4か月、執行猶予3年。
最終的に損害賠償は事件対応の人件費まで含めてお支払いしたものの、それが考慮されることはなく、検事の求刑通りの判決となりました。
好きだった仕事に就いた結果、体を壊し、社会的立場を失い、たかが金属ゴミがきっかけで前科まで付いてしまう。
希望を胸に就いた仕事の先にあったのは、地獄へ続く階段でした。
巨大組織が、一個人の人生を潰すなどいとも簡単なことなのでしょう。
やるせない気持ち、信頼していた友人に守ってもらえなかった無念、本音を聞いて貰えなかった悔しさ。やりきれない様々な感情に苛まれ、追い詰められて自殺を考えた時もありました。
留置場の外へ出ても今までの自分の生活は取り戻せない。
ひとたび外出すれば、どこかで誰かに見られているのではないか?という強迫観念に追われる。
ネットを開けば本名を晒されたニュース記事が目に飛び込み、綺麗なまとめサイトも出来上がっていました。
ニュースを見ただけで真相を知らない人々が、好き放題に私のことを罵っている。
是非実刑を・・・などと、自分が検事にでもなったかのように正義感満々に謳う人もいました。
あの時ほど、世の中は非情だと感じたことはありません。
そんな消えたくなるような辛い日々を乗り越えるには、それなりの時間が必要でした。
やがて落ち着きを取り戻せた私は、冷静に考えるようになります。
どんな事情があれ、これらの結果は全て自分が引き寄せたもの。
私がもう少し注意深ければ、いくら解体廃棄予定の物とはいえ回収して良い物かどうかくらい判断できたはず。
会社に対して一度連絡を入れることだって出来たはず。
自分の元職場で自由に出入りさせてもらっていたこともあってか、その時冷静な判断が出来なかった自分に原因があったのでは・・・と考えるようになりました。
人を恨んで楽な道を選ぶ前に、自分が罪を犯したという事実を受け止めて、規範意識の無い自分を戒めようと決めました。
ネットに事件が公開される時代。私の知る限り他に同姓同名の人物がいない私は、名前を調べればいくらでも事件の記事やニュースが出てきます。
私が社会的に表へ出ようとすれば、その記事を引っ張り出して、関係者に送付してまで貶めようとしてくる心ない方もいます。
そういう時代にコソコソと逃げ隠れしても仕方ありません。
私の過去を後から知って離れていく人なら、先に知っても離れていくことでしょう。
今の私は、私の過去を知りながらも暖かく接してくれる心優しい人たちに支えられながら、穏やかな暮らしをすることが出来るようになりました。
ネットを通じて私のことを知られた方の中にも、事件の記事に書かれた内容だけで私の人格を決めつけず、一人の人間として見てくれる心優しい方がいるかもしれない。
そう思って、ブログという誰もが見られる場所で、本名を晒して私の過去をありのまま公開することにしました。
そして、私が経験した過去を知って頂くことで、今後同じ境遇に陥ってしまった人や、これから就職・転職という人生の大きな決断をする人が、一人でも多く正しい道を歩んで行かれるようお手伝いが出来たら幸いに思います。
私には社会に迷惑を掛けたから貼られたレッテルがあります。その事実に変わりはありません。
一連の事件で精神的に参ってしまい、今も定職に就けない状態です。
ですが、いつかは掛けた迷惑以上の価値を社会に還元して、この社会で生きていく価値のある人間になろうと思いました。
これから、このブログを通じて自身の気持ちも整理し、社会復帰を目指していきたいと思います。
運転士として働いた日々、塀の中で過ごした日々など、一連のプロセスで味わった非日常な体験も、心の整理がつく範囲で書いていきたいと思います。
私が今日までの人生で経験し学んだことが、他の誰かのためになる情報として役立つことがあれば、この上なく嬉しく思います。
こういう人間ですが、お付き合いの程よろしくお願いいたします。
生い立ちから逮捕、有罪判決までを綴った、長いストーリーの第一話はこちら。
鉄道会社で働くことへの憧れ ~将来の夢にどんな絵を描いたか?~この記事のカテゴリ「前科者の現実」に関する記事一覧はこちら。
夜中にこそこそやってきて金属パクっていってんのに罪の意識が無かったとか理解出来ると思う?
>鉄男さん
コメントありがとうございます。おっしゃる通り捜査機関の理解は得難かったです。実際には午後から始めて、終わる頃には夜になっていたのですが、処分に費用が掛かっていると聞いていたこともあり、困る物ではないだろうと考えておりました。静岡の元職場では金属ゴミの回収に出入りしていて総務にも感謝されていたこともあり、感覚が麻痺していたと思います。現在も後悔と反省の日々を過ごしております。
もう何度も思ったでしょうけど認識が甘すぎてますね。
続きが気になる書き方なので、文章を書くのは得意なのでしょうか。感じたことへの表現力は引き込まれます。しかし一方で運命に左右されてしまう悲劇の主人公のようにも捉えられます。もっとブラッシュアップすれば、いい意味で反響を呼べるブログになるのではと思いました。
>雨も滴る良い名無しさん
お心遣いのあるコメントをありがとうございます。
ゴミを回収してお金に換える仕事をしているうちに、たとえ捨てる物でも人の所有物であるという、当たり前の認識が薄れてしまったと感じています。
現在の立場は当然の報いであると感じており、ネットで名前を検索すればすぐに過去が知られてしまう時代ですから、自分の過ちを一生背負って生きていけということだと肝に銘じております。
今まで物書きなどしたこともなく、決して文章が得意などということはありません。誰も読まないだろうと思って既に更新もおざなりになっていましたが、温かいお言葉を頂けて、また更新を続けて行こうと思いました。お読み頂きありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
ぜひ、これからも書き続けて下さい。久しぶりに一気に読みました。
ただ、やはりこのブログでは実名であることと罪への戒めで書き連ねているからなのか制約が多いように見えます。そこで、例えばもうひとつブログを作って鉄道ニュースに対する背景、考察、結論など書いてはどうでしょう。次回作待ってます。
>5. 雨も滴る良い名無しさん
温かいお言葉をありがとうございます。短いブログですが最後までお読み頂けまして大変恐縮です。
おっしゃる通り、実名であり社会的立場もありますので、言い回しには気をつけているつもりです。ご迷惑をおかけした会社を批判するような形になってしまっては再び無礼をすることになってしまいます。
他のブログを作るというアドバイスもありがとうございます。
私ごときが偉そうに持論を語るのはいかがなものかと思いますし、このブログを完結させることが出来たら考えてみたいと思います。
お言葉を頂けまして、更新を再開しようという気持ちになりました。今後ともよろしくお願いいたします。
某貨物駅で操車係をしています。
実はあなたと私の間に共通の友人が下り、その彼について言葉を交わしたこともあります。もう7,8年近く前の話ですが、それっきりあなたの顔を見ないのでどうしたのかと思いきや一気に人生が暗転してしまいましたね。
仕事と言えば聞こえはいいかもしれませんが、同時に義務感が生まれます。そして、その義務感は時として人間性を麻痺させます。あなたもその一人ではないでしょうか。
産廃物回収業者となり、それを生業としたものの現場長に一言許可を得れば生じ得なかった事件だけに非常に残念です。
更に残念だと思ったのは運転士を降りたとき、会社を去らずに現場職に戻らなかったことです。私と同じように駅の入換でもいいし、それがダメならば車両所・機関区の旋盤でもいい。鉄道と繋がっていたいという“マニア根性”があればどんな低給な仕事でも勝るものがあったはずです。
それでも、これから人生の再起をかけてこのブログを立ち上げたのでしょうから過去について責めることはいたしません。自分の道筋を見据えて人生を送ってください。
>>7 操車係さん
そうでしたか、このようなブログに辿り着いて下さり、またコメントを入れて頂きありがとうございました。
7~8年前ですとまだ運転士になって1~2年目の頃ですね。どこかの貨物駅で、あなたに誘導されて私が列車を動かす場面があったのでしょうか。
おっしゃる通り、自分がもう少し行動する前に立ち止まれる人間であればと後悔する日々です。それは既に過去のことであり、今更どれほど悔やんでも変わることではありません。
退職せずに現場職に移ることについて、いずれストーリーとして記事で書こうと思っていたのですが今お伝えしておきます。
私も鉄道が好きであることは変わらず、鉄道の仕事は続けたいという思いはありましたので、最初は他職への転勤を希望しました。しかし、残念ながらそれは認められませんでした。
当時の部長に直接話をしに行き、身体が辛くて続けられないことを正直に伝えました。しかし、部長は激怒し、「お前のように身体がしんどいから楽な職場へ行きたいなんてふざけたことを言う奴に用意する職場はない!」と大声で怒鳴られました。
その後も、「用意するにしても場所は選べないからな」といった、左遷を匂わせる発言をされました。
それを受けて、私はこの会社の現場で働き続けることは不可能だと感じ、退職を決意したのです。それはもう給料とか、マニア根性とか、そういう次元の話ではありませんよ。
退職が決定した後に部長が変わり、新任の部長には「俺だったらもっと親身に乗ったのに・・」と言われましたが、時すでに遅しでした。
しかしそういう上司の下に居たこともまた自分の運であり、避けられない運命だったのだと感じています。そういう運に恵まれない人間なんですよ、私は。
このブログも再起のためというよりは、事件の背景を知ってもらって同情してほしいというような、どうしようもない自己満足のために書いているのだと思います。
>>9 操車係さん
ご丁寧なお返事をありがとうございました。
コメントの文字数では言葉足らずな部分もあり、また貴方の職場では組合という存在のあり方が大きく異なるようですので、貴方の意見はその環境に身を置かれている方のご意見の一つとして参考にさせて頂きます。
運転士試験を強制的に受けさせられたのは、私が20歳以上の運転士前提入社枠で入ったからで、現場長のやり方が間違っているからではありません。ただその試験を受けるまでがあまりに早かったため、もうしばらく駅での現場経験を積んでおきたいと思ったに過ぎません。
退職の流れについては当然部長への相談前に現場の課長に相談し、課長を通してアポイントを取って頂いた上で、当日は課長も同席の上で部長に相談を持ちかけています。貴方のおっしゃるような、筋違いのことをしたつもりはありません。そもそも、間に組合を通すのがスジだという概念自体がこちらではあり得ないことだと考えています。
確かに、その後組合に泣き付けば何年後かには他職へ行けたかもしれませんが、相談した頃には既に体調も限界に達していて勤務も休みがちになっていたり、出勤しても出先で体調が悪くなり帰りを遅らせてもらったりと既に仕事に支障が出ていましたので、悠長に待っている余裕はありませんでした。
文面を見る限り、あなたは組合に相当な信頼を置かれているようですね。そのような組合が批判されていると感じて感情的になっておられるのでしょうが、私は実際に現場を経験して、感じたことを綴っているだけです。軟禁されて加入させられたこと、組合を変わったら若い社員でも未来を閉ざされ潰されていったこと、他労組とのいがみ合いに躍起だったこと、全部この目で見てきたことです。
犯罪者は運命を信じてはいけないのですか?申し訳ありませんが今の私には、運命だと思って諦めるくらいしか精神状態を維持できる方法が見当たらないです。
JR貨物は貨物労組と組んで、都合悪い社員を追い出そうとしているのは事実だ。
いい加減、労使癒着は解消してほしい。
>>12 そうだ 貨物労組を辞めようさん
コメントありがとうございます。文面からして他労組の方でしょうか?
おっしゃる通り、労働組合と会社とのつながりについてはあまり良い噂は聞きませんでしたね。それが事実だと言えてしまうあたり、とても深い事情をご存知のことと推察いたします。
個人的な感覚ですが、その労使癒着が解消される日は、恐らく来ないのではないかと思います。客観的に見ても、その状態で居た方が会社、組合ともに何かと都合がいいことは明らかですからね。
問題は組織が変わるかどうかではなく、そういう会社組織にいつまで自分が身を置き続けるのかということだと思います。
産業廃棄物の運搬にはマニフェストが必須だったと思うんですが
マニフェストを受け取らずに運搬するのはそれ自体が法律に違反する行いではありませんか?
https://www.jwnet.or.jp/waste/knowledge/manifest/index.html
大変言いにくい事ですが警察のやっかいになってしまった事に関して、他者の責任や不幸に至る運命の流れ等というものは全く存在せず、偏にあなた自身の不注意、業務に対する意識の低さ、知識の不足によって招かれたものだと考えます
>名無しさん
初めまして。言いにくいことにもかかわらず、的確にご指摘くださりありがとうございます。
おっしゃる通りその場その場で行動の選択肢を取っていくことは自分自身の責任であり、そこで正しい選択を出来なかったことは自分の未熟さ故だったと感じております。
産廃の運搬に関する解釈についてですが、リンクを添付してくださった内容は適正な処分を行うべき無価値の廃棄物の場合で、金属についてはこれに該当しませんでした。
それはスクラップ業者がお金を支払って買い取っているという事実からも、廃棄物ではなく有価物という扱いとなるからで、個人の廃品業者ではこの解釈の元、経営が行われています。
また産業廃棄物収集運搬の免許が必要になるのは、回収するために依頼人から逆にお金を取る場合に必要となるケースであり、無料回収、もしくは買い取りであれば該当しません。
私がこの事件を起こしたきっかけとなったことは、JRがこのような有価物でもお金を払って処分していると社内で聞いたことがあり誤解していたこと。そして同僚の話を信じて現場に確認を取らず回収を行ってしまったことだと考えております。そのため貴方のおっしゃる通り、いずれにしても私の不注意、知識不足が招いた結果に違いありません。
現在はその過ちを背負い、今後の人生をどのように生きるべきかを考える日々です。
初めましてお疲れ様です。
全文ではありませんがざっと内容を読ませていただきました。
某JR旅客会社をやめ、他の鉄道で乗務員をしておりますが、
他人事とは思えません。
自分も鉄道会社だけでアルバイトも含めて、
約20年の勤務になろうとしておりますが、
若いころとは違い近年身体の限界を常々感じる日々です。
正直言えば降りたいと思うのですが、降りる場所もなく、
乗務系統が毎回苛烈になる改悪を重ねられるのに加え、
客層の悪化から、些細なことで身勝手なクレームを受け、
それを鵜呑みにしてこちらの言い分は聞かない現場上層部に
叱責を食らう毎日で、転職を考えているところに、
貴ブログにたどり着きました。
しかもようやく、新たな道に出られ、旧職場とも良好な関係を
保てそうな雰囲気のところにそのような仕打ち・・・
いくら現場での確認怠りが原因とはいえ、そこかしこに事故の罠が潜み、
些細なことで一生を棒に振る我々の仕事に似た残酷さに
言葉もありません・・・。
業界外の人にはわからない空気なのかもしれませんけど、
そういう現場においては緩く捉えられている、「大丈夫」そうな
アウトなことって意外に多く、
それがそこかしこに潜んでいますね・・・。
もしかすると、私の方が鉄道歴長いかもしれませんが、
私自身は鉄道に将来はないと思っております。
特に現業については。
自身がもう中高年の域に入ってしまったので、
転職といえど毎度祈られるばかりですので、
おそらく若いであろうそちら様にはまだきっと
チャンスがあると思います。
こんなつまらない鉄道業界に囚われることなく、
もっと良い業界のチャンスを手にしてください。
応援しています。
>元JR社員さん
ご丁寧なコメントをありがとうございます。
会社は違えど同じ業界で生きてきた人間として、共感して頂けてとても嬉しいです。
厳しい業界で20年も耐え抜いてこられたこと、素直に尊敬します。特に乗務の現場は毎年のようにルールが細かくなっていき、やるべき仕事は増えても減ることはありません。
現場と管理職の温度差や、理不尽さを感じることについても全く同感いたします。現場から管理職へ上がっていった同僚が、あちらの考えに染まっていく様子も見るに堪えないものがありました。
鉄道業界に人生を捧げようと思ったら、些細な事故で降ろされることは人生を棒に振ることに見えるかもしれません。
ですが、業界を抜けた私にとっては、むしろ事故で降ろされるという経験をした人は、その世界を抜け出すチャンスを得たのではないかと思います。
「この歳で今更他にできることなんかない」と言う先輩が大勢いましたが、そんな彼らだって、もし会社が潰れて仕事が無くなれば、自分や家族を守るために必死で別の業界で生きる努力をすると思います。
「事故で降ろされるということは、その決断の後押しをしてもらった」とプラスに考えるような人間になれれば、常に世の中や会社に対して批判的でネガティブな空気が蔓延してる現場で生き続けるよりもずっと幸せな人生を手に入れることができるのではないかと思います。
鉄道自体に将来があるかどうかは分かりませんが、おっしゃる通り鉄道業界で働くことついてはあまり将来性を感じられなくなっているのは事実だと思います。いま鉄道の現場で人間がやっている仕事は、そのほとんどが技術的に機械で代替できてしまうと正直に思うからです。
私の境遇に共感して頂けて本当にありがとうございます。元JR社員さんも、年齢なんか関係なくきっと今からでもより良い生き方を選べると思います。そしてそのような生き方を選ばれることを、拙い人間ながら心より応援いたします。
こんばんは!はじめまして!
コメント失礼致します。
このブログを色々と読ませて頂きました。
僕自身も前科者となってしまい、非常に申し訳気持ちでいっぱいです。
境遇が少し似ているところがあり、お話を聞かせて頂きたいと心から思いました。
大変失礼だとは思いますが、Facebookに出てきますでしょうか…?