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人間がやるべき仕事。人間じゃなくても出来る仕事。

前回の話はこちら↓

 

リサイクル屋人生の始まり

 

リサイクル屋での仕事をスタートさせた私は、それまでの時間や規則に厳しい暮らしから一変、自由奔放な生き方をしている社長の下で暮らすことになりました。

 

そのギャップはカルチャーショックを感じるくらいに差があり、最初のうちは唖然とすることが多々ありました。

 

しかしそんな中にも通さなければならない義理や、大事にしなければならない人間関係などが確かに渦巻いており、その辺のバランスを上手く取りながら仕事をこなしている様は、まさに「ビジネス」をやっているという印象を受けました。

 

リサイクル屋の仕事は、ただゴミを拾ってくるだけでは成り立ちません。

 

回収してきたゴミをどのように捌くか?それがとても大事なのです。

 

 

そのためには、他の業者とのつながりに気を配らなければなりません。スクラップを買い取ってくれる業者、輸出出来る品物を買い取ってくれる業者、電線の買い取りに特化した業者、自転車に特化した業者、バイクに特化した業者、どうしても資源にならない産廃を引き受けてくれる業者・・・

 

挙げればキリがないほど、多くの業者とのつながりを持つことによって初めて、入手したゴミを資源として効率良く現金化していくことが出来るのです。この段取り力というか、点と点を結んでいく仕事は、今後何十年にも亘ってまだまだ人間がやらなければならない仕事だと思いました。

 

分別されたゴミを資源として再生する作業は、機械化すれば人が関わらなくても出来るかもしれません。

 

しかし、街中に眠っているゴミを集め、それを然るべきリサイクル流通ルートの入口まで運び込む作業は、人間が行わなければなりません。

 

 

この仕事に関わってみると、世の中にはこんなにも沢山のゴミが眠っているのかと驚きます。

 

毎週のゴミの日に出せるゴミは誰もが定期的に捨てますが、そういう場で回収されないような粗大ゴミを中心とした物は、何年もその家の中に眠り続けてしまうことはよくあることです。

 

捨てたくても身体が衰えて捨てに行けないご老人も沢山いました。そして彼らのような人々は、どのように捨てたらいいかすら分かっていないことも多々あるのです。

 

それを社長のスタイルで1軒ずつ訪問販売のように回り、住んでいる人と顔を付き合わせて会話することによって初めて、その人がゴミを捨てる機会を得られるというシーンを何度も見てきました。

 

お客さんからは家が広くなった、綺麗に片付いたと感謝され、自分たちは価値のある物を受け取り収入が得られ、引き取った業者も仕事ができ、都市鉱山で何年も眠っていた資源を世の中に流通させることが出来る・・・

 

ゴミの仕事というと底辺のように思われがちですが、関わる人みんなが価値を享受できて、社会貢献にもなる非常に意義のある仕事だと思いました。そして人間がやらなければ出来ない仕事でもあると、強く実感したことを覚えています。

 

 

このときにあれほどやりがいを感じたのは何故なのか?

 

 

当時の感覚を思い返すと、私はもしかしたら、人間として必要とされている仕事をすることを求めていたのかもしれません。

 

JRで運転士の仕事をしていた時は、確かに社会的な肩書きとしては立派な仕事だったし、鉄道車両を運転出来ること自体、誰もが経験できることではないわけで、とてもやりがいがあるはずだと思っていました。

 

しかし、実際には仕事に慣れてくると単調で、その単調を無事故で淡々と維持することが最も大切とされていましたから、仕事で何かあれば減点されることはあっても、プラスに評価されることはなく、気付けばやりがいなど全く感じなくなっていました。

 

 

それはきっと、人間としてではなく、機械として必要とされていたからだと感じます。

 

 

安全という大義名分のもとに日に日に業務内容への締め付けが厳しくなっていき、気付けば鉄道運転士の仕事は、もはや感情を持たない機械になり切らなければ続けられないほどになっていました。

 

一つのミスも許されない。ミスを犯せば再発防止の名のもとに厳しい指導を受ける。どういう事故を起こしたのかばかり注目され、事故当時の本人の精神状態、身体の状態など考慮されない。それらは全て「自己管理が出来ていない」の一言で済まされました。

 

一つ事故を起こせばまるで職場内犯罪者扱い。見せしめのような掃除や草刈り、反省文書きをやらされ、本人を反省させれば事故が減ると思っている管理職や支社の偉い人たち。

 

気付けば運転士の職場は完全な恐怖政治になっていました。そこには、私が憧れた鉄道員の姿は見る影もありませんでした。

 

どんなに締め付けられても、そこで働いているのは人間です。やり場の無いストレスの捌け口になっていたのか、運転席の足元にある運転台の鉄板は、思い切り蹴り飛ばされた跡で歪んでいるものもあったし、どの車両も塗装は剥がれていました。

 

 

そんな場所に身を置いて働いていると、自分は「人間」として必要とされているのではなく、「機械」として必要とされているのだと思うようになります。

 

 

運転しやすいか、疲れないかなんてどうかなんてどうでもいい。

居眠りしないように固い椅子に座れ。

制限速度と停止位置を超えさえしなければ保安装置のせいで運転しにくくても関係ない。

上手い運転なんかしようとするな。

ただ事故を起こさずに列車を動かせ。

動かせないならお前に適性はない。

 

 

毎日不規則な勤務、短い睡眠時間、過酷な乗務環境・・・人間が正常な判断力で運転が出来る環境は用意されていないのに、24時間365日、機械と変わらない正常な判断力を求められ続ける。

 

人に感謝されることもなく、人間だからこそ出来る配慮やさじ加減といった裁量はほぼ無く、ただただ単調に時間に合わせて列車を動かす。

 

 

これは人間のやるべき仕事ではないし、人間じゃなくても・・・いや、むしろ人間じゃない方がいい仕事だと思いました。

 

 

鉄道運転士の仕事は、まだAI技術が至らないために人間が代わってやらなければならないだけです。

 

本当は休憩や睡眠、快適な環境を与えなくても正常な判断をし続けてくれるAIの方が間違いなく優秀に働けるし、安全という業界の至上命題を考えればそうあるべきだとも思います。

 

だから今の時代に鉄道運転士の仕事をすることは、AIに取って替わられるまでの繫ぎを引き受けるということなのではないかと思います。

 

 

現に、JR東日本では山手線の自動運転化に向けた研究を進めているようですし、他所の鉄道会社では運転士は乗っていても運転操作はしない鉄道、とっくに自動運転化されている鉄道もあります。

 

JRの自動運転化が遅れているのは、不要人員の大量リストラが出ることを恐れて労働組合が台頭しているからであり、もしかしたら技術としては既に確立されているのかもしれません。

 

国鉄時代を知る世代が間もなく業界から消え、JR各社に退職者が続出している現在。その時期を過ぎれば、空白の10年間と言われた国鉄に一切の採用が無かった世代がぽっかり空き、現在40代のJR初期採用の人間が現場のトップを担っていくことになるでしょう。

 

かつて50万人を数えた国鉄世代がJRから全員居なくなり、会社は一気に若返ると同時に深刻な人員不足になるかもしれません。もしそうであれば、運転士という仕事が消える日はそう遠くないところに来ているように思います。

 

 

一見華やかに見えながら、やりがいを感じにくく、人間にとって先のない仕事。

 

一見底辺に見えながら、やりがいがあり、今後も人間が担うであろう仕事。

 

 

その両方を経験してみて、視野を広げることが出来たことが私にとって何よりの価値だったと思います。

 

決してどちらが良い悪いではなく、両方を見た上で、自分という人間はどちらの選択をするのか?それを冷静に見極められるようになることが、とても大事なのだと思いました。

 

 

もしかしたら、JRの社員であり続ければ運転士という仕事が無くなっても、別の職場で給料が保証されるかもしれません。それは安定した会社に所属して生活を安定させるという、十分に理に適った戦略だと思います。

 

ですが、その人にとってその生き方しか選択肢が無いということは問題だと思います。今と同じ仕事を続けるなら、他の生き方があることを知った上で、同じ仕事を能動的に選ぶべきだと思っています。

 

 

私はJR貨物を辞めようと思って転職活動を始めた時、「給料」「ボーナス」「年間休日数」「有給日数」「福利厚生」など、自分が貰える物ばかりに注目して仕事を探していました。

 

しかし、そんな目線で良い仕事が見つかるはずがありません。だって自分はそれだけを受け取っていいほどの価値を世の中に提供していないし、その実績もないのですから。

 

それが自営業で生きる人の傍で仕事をするようになって、自分が沢山の価値を生み出してこそ、初めて高い給料や自由時間が得られるという原則を理解することができました。

 

 

要するに「順番が逆だ」ということです。

 

 

世の中に価値を提供して初めて、自分の懐にお金が入ると考えなさい。

 

多くの給料が欲しければ、それだけ価値のある仕事をしなさい。

 

価値のある仕事が出来ないなら、安い給料でも感謝して受け取りなさい。

 

価値のある仕事をさせてくれない会社なら、させてくれる場所に自分が身を移しなさい。

 

 

 

私はリサイクル屋の社長から、そんな教訓を学んだように思います。

 

 

長くなってきましたので今回はこの辺で。次回に続きます。

 

 

この話の続きはこちら。

生きてさえいればどうにかなる ~101件目の奇跡~

 

会社を辞めるまでの話を最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。

一生働くつもりで入った会社を辞めるまで① ~時限爆弾が爆発する~

 

ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。

鉄道会社で働くことへの憧れ ~将来の夢にどんな絵を描いたか?~

 

人間がやるべき仕事。人間じゃなくても出来る仕事。」に12件のコメントがあります

  1. いつも思いますが、読んでしまう文章です。
    人間がやらなくてもいいし、人間がやらないといけない。本当にその通りだと思います。

    要するに「順番が逆だ」ということです。
    その通りです。価値の高い仕事ができる、できそうだから転職で高い給料や高学歴の新卒を雇うことに繋がります。給料分働かないことを給料ドロボーとはよくいったものです。

    JR貨物は本当にブラック企業です。合格を辞退して本当によかったと思います。

    1. >西日本さん

      いつも最後までお読み下さってありがとうございます。

      私がJR貨物で勤めた6年半は、今後の人生を生きる上での教訓を学ぶことが出来たという意味では、価値のある経験だったのかもしれません。

      相手に与えた価値以上の見返りを求めない。それに徹すれば、いかなる報酬も自分自身が生み出したものだと受け入れることが出来ると思います。

      西日本さんはJR貨物を受けられていたのですか?

      1. はい、JR貨物を受けました。
        マイナビで関西支社の募集があって途中まで合格しました。選考過程で改めて調べているうちに年収、昇給がすくないこと、転勤が広く引っ越しで自腹を切ることがある、採用凍結をしていたため新入社員は当分運転士になれないこと、元々親から反対されていた、そして日程が合わないことが決定打になり選考辞退しました。

        あるとき気になって、JR貨物の運転士を検索するとこのブログが表示されて、それ以来読んでいます。

        1. >西日本さん

          そうだったのですね、まさかJR貨物の採用試験を受けられた方だとは思いませんでした。

          ご事情を伺った範囲では高卒採用ではないようにも思えますが、収入等の実態はJR旅客会社と比較するとどうしても及ばない部分もあり、西日本さんが求められていた条件には合わなかったのではと思います。

          運転士になってしまえば事故でも起こさない限り転勤はそう滅多にありませんが、逆に言えば事故という不可抗力が原因であっても職場を追われることもありましたので、いつその瞬間が我が身に降りかかるか分からないという不安やストレスはあったと思います。

          鉄道への憧れだけで運転士になった人間の末路がこの様ですので、西日本さんがそのような結末にならずに済み、よかったと思います。

          1. お久しぶりです

            当時は高卒採用ではなく、社会人採用でした。運転士を目指すルートと支社総合職を目指すルートがセットになった採用でした。10人くらいだったかな?

            >運転士になってしまえば事故でも起こさない限り転勤はそう滅多にありません

            転勤がないのは初めて知りました。

            >鉄道への憧れだけで運転士になった人間の末路

            確かにそうかもしれません。中途で運転士になろうと思うと、西日本では近鉄、山陽電鉄、広島電鉄、JR貨物しか当時はありませんでした。加納さんのブログを見て確証に変わりました。親の忠告は聞いとくべきだと。ちなみにその他は採用中止、不合格もあり現在は鉄道とはまったく違う仕事をしています(笑)鉄道はもはや、趣味です。これからもブログを応援しています。

          2. >匿名さん

            お返事ありがとうございます。社会人採用で受けられたのですね。

            支社採用であれば転勤はほぼ無い様子でした。本社採用で運転士として転勤してきた人は、数年間勤めた後に本社に帰ったり、別の支社の総合職として転勤していったりしていました。

            あなた様のご両親はとても賢明な導きをされたと思います。それが仮に保守的な考え方だったとしても、鉄道業界への就職は決して明る未来を約束するものでないことだけは断言出来ます。鉄道が趣味であれば尚更で、もし鉄道を仕事にしたことで結果的に鉄道が嫌いになってしまっては、今は抜け殻のような人間になっていたかもしれません。

            私も、今では辞めたくなるような労働環境に置かれていたことが、逆に別の人生を生きる決断のキッカケになったことは確信しております。このように犯罪者として裁かれたりと多くの苦難はありましたが、それでも死ぬ直前に振り返ったら、なんとなく同じ仕事で歳を取っていくだけの人生よりは良い人生だったと思えるような気がします。

            こんなブログを応援してくださり、心より感謝申し上げます。今後もよろしくお願いいたします。

      2. マイナビでJR貨物の関西支社の募集がありましたが、途中まで合格しましたが諸般の事情により辞退しました。

  2. 絶対に人がやらなきゃいけない仕事
    絶対に人がやってはいけない仕事
    なるべく人がやった方がいい仕事
    できるだけ人がやらない方がいい仕事
    人がやってもやらなくてもいい仕事

    いろいろなケースの仕事がありますよね
    でも、やるなら人から感謝されて、地域社会のためになる仕事の方がいいですね。

    リサイクル業はロマンがあって、時代は違えどゴールドラッシュのような様相を思い起こさせてくれますね。

    話は変わりますが
    お誕生日おめでとうございます。
    よいお歳をお迎えください。

    最後になりましたが、列島各地で猛暑日が続いています、くれぐれも体調管理に気をつけてお過ごしください。

    1. >愛媛の鉈さん

      コメントを頂きありがとうございます。

      おっしゃる通り、そもそも人間がやるべきか?やった方がいい仕事か?という前提があり、その上で感謝されるのか?社会貢献になるのか?という要素が加わって、結果的にやりがいのある仕事かどうかに繋がっていくのだと思います。

      リサイクル業の仕事を手伝い始めた時は、本当にロマンを感じました。価値のある物がゴミとして出された時は、血が騒ぐような気持ちになりました。

      誕生日まで気にしてくださり、ありがとうございます。このブログで誕生日を祝ってくださる方に出会えるとは夢にも思いませんでした。

      暑さにコロナに、大変な時期ですね。愛媛の鉈さんもご自愛ください。

  3. マイナビでJR貨物の関西支社の募集がありましたが、途中まで合格しましたが諸般の事情により辞退しました。

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