生物の本能というのは、本来その生命を維持するために働くものです。
しかし、地球に存在する生物の中で自らの意思でその生命を絶つ、自殺という手段を取るものは人間以外に存在しません。
日本では、年間2万~3万人の人間が自殺しているようです。人口に対する割合では、世界198カ国の中で10位前後というかなりの上位となっているようです。
しかしそれだけではなく、15~39歳の若年層の自殺率は世界トップクラスで、事故死よりも自殺者が多い世界唯一の国だそうです。
私の住んでいる小さな町は、人口7000人ほどです。つまり、今の日本では半年もしないうちにこの町が消滅してしまうくらいの速さで、自ら命を絶つ人間が現れているということになります。
現代の日本では、どの地方でも高齢化・過疎化が進んでおり、労働力不足が問題視されていることは多くの人がご存知だと思います。
そんな中、まだまだ働くエネルギーを持っているはずの人が毎年数万人というペースで自殺しているという事実があります。
自殺を選ぶ人には多くの理由があることでしょう。
それは金銭的な問題かもしれないし、人間関係的な問題や、仕事の問題かもしれない。
病気の問題や、夢に破れたとか、心の拠り所、生きがいを失ったことが原因かもしれない。
そして私のように、逮捕されて犯罪者として実名報道されたり、他人の悪意によって陥れられ、ひどく絶望したり、追い込まれたことが原因かもしれません。
ちなみに、病気が理由の自殺というのは主に精神疾患が原因となっていて、その精神疾患というのも、上記のケースで追い込まれたことにより発症してしまうことが大多数でしょう。
私は留置場に居た頃、生まれて初めて自殺という選択肢を真剣に考えました。
その理由は、逮捕されたことよりも、人に陥れられるという感覚を自分が強く感じたことが原因だったのではないかと思っています。
どんな経緯があれ、悪いことをしたのは自分。それは重々分かっていました。
だからしっかりお詫びして、与えた損害を回復したい。
最初はただそれだけの思いでいました。
ですが、警察の執拗な取り調べでは、どんな事情でも悪い方へ言い換えて納得させようとする。
そして世間では既に転売目的で元社員が盗みを働いたと大々的に報道されていることを、弁護士に聞いている。
更には会社が見せしめで私を潰そうとしていたこと、そして元同僚が裏切っていたことを知ってしまった。
その時点で、私は世の中の全てを敵に回した人間として裁かれているような感覚になりました。
やがて、留置場を出たところで私には生きていく道など無いだろう。と思うようになり始めたのです。
そして3週間に及ぶ勾留では自由が奪われ、日々刑事の厳しい追求が行われ、肉体的なダメージはなくとも精神的には拷問とも呼べる扱いを受けている。
すると、どのような感情になってくるでしょうか。
今は1日がとても長く辛いし、それに最後まで堪えたところで、塀の外へ出たら周りは全員敵状態。攻撃されたり、疎外されたりする人生が一生続くのだろう。
ということは、私は今後生きていても一生辛い思いをし続けなければならない。
だったら今死んでしまった方がよっぽど楽なのではないか・・・?
このような思考回路になっていきました。
私のいた留置場では勾留期間中、ずっと相部屋で過ごしていた10歳程度年上の人がいました。
彼は覚醒剤の再犯で逮捕されていたようで、留置場で過ごすのは慣れたものという印象でした。覚醒剤では被害者もいないので、刑事の取り調べも形式的なもので容疑を争うこともないと言っていました。
そんな彼は人間としてはとても心優しい人で、留置場でうずくまっている私を見かねたのか、話を聞いてくれました。
私が先述のような状況になり、正直死んだほうが楽になれると思う。という話をすると、彼はこう言いました。
「俺としてはやって欲しくないけど、どうしても辛くて死にたいなら、この留置場で死ぬ方法を教えてあげるよ。」
その言葉を聞いて、私はとっさに方法を教えてくれと乞いました。
すると彼はおもむろにその方法を教えてくれました。この場でその内容まではお伝えしませんが、私にとっては目から鱗の手法でした。
それを聞いた私には、予想外の感情が湧き上がってきました。
それは、「限界になったらいつでも死ねるという安心感」です。
その安心感が湧き上がってきたおかげで、意外にも、そこですぐに自殺を実行しようと思い立つことはありませんでした。
これで堪えられなくなったらいつでも死ねるんだという楽な選択肢が用意されたことによって、追い詰められていた心はとても救われたのです。
そうしてなんとか心を繋ぎ止め、留置場から一命を取り留めて出てくることが出来ました。
今の私が生きているのは、あの場所で死に方を教えてくれた同房の方の存在があってこそだと思います。
その話を聞いていなければ、きっと留置場の外へ出てから一目散に貨物列車に飛び込んで死のうとか考えていたような気がします。
あれからもうすぐ3年。振り返れば、この3年間は私の人生の中で最も変化の大きい時期だったように思います。
今も無職であることに変わりはありませんが、65歳まで会社員を続けていたら一生経験することのなかった出来事をいくつも経験しました。
そして何より、本当の人の優しさに触れることが出来ました。
世知辛い時代、そして若年層の自殺者世界一の日本という国でも、穏やかに暮らせる場所を見つけることが出来ました。
こんなに素晴らしい場所が日本に存在するというのに、それを知らずに死んでしまうなんてもったいない。
そう感じたのです。
人生は自分の鏡。与えたものはいつか必ず帰ってくる・・・以前、何かの本でそんな言葉を読みました。
それは本当にその通りだと、今の私は経験から確信しています。
私はこの町で知り合った方々に身も心も支えて頂き、そして穏やかな暮らしを与えて頂きました。
その結果、3年前は自殺したいと思っていた私は今、人生を賭けてこの町に恩返しをしたいという気持ちになっています。知らず知らずのうちに私も相手の鏡になっていたのです。
どうせ、3年前に一度は自ら終わらせようとした人生です。そこで死を決意していたら、今の私は存在しません。
ということは、言い換えれば今の私の人生は既に運良く生き残ったボーナスステージであり、これからの人生で経験できることは全て特典だと言っても過言ではありません。
そう思ったら、今後どんな不安なことにも積極的に挑戦していけるような気がしました。
自殺をしたいという気持ちになっている時、感情は被害者意識になっているか、もしくは自分で自分を責めていることでしょう。
ですが、それは結局自分を取り巻く環境を言い訳に、自分のやってきたことの責任逃れをしているに過ぎません。
それではいつまでも他人に用意された人生を生きていることになり、一度も自分の人生を生きずに終わることになります。
そんな自分可哀相と思っている人に、自殺を考えた私から伝えたいことがあります。
どんなに悪い状況であっても、それは自分自身の行動が引き寄せた結果だと考えなさい。
原因を自分の外に見出しているから、いつまでも愚痴を言ったり不遇を嘆いたり、世の中を恨むようになるのです。
悪い状況の原因が全て自分にあると考えれば、それは今後の自分の行動次第でいくらでも良い方へ変えていけるということです。
私はそう思えるきっかけを今住んでいる町の方々から頂きました。
だから、今後の自分の行動を改めて、自分で自分の人生を良い方向へ持っていこうと思えるようになったのです。
自殺という行動を起こすエネルギーを持っている人であれば、新しい人生を生きる道を選ぶくらいのエネルギーは絶対に持っています。
どうせ死ぬなら、一度そっちの道を選んで新しい経験をした後でだって遅くはありません。
そして、他人ではなく自分の意思で生きる道を選んだら、そこには本当の自分の人生が待っているに違いありません。
最後にもう一つ話をしておきたいと思います。
死のうという気持ちから、生きようという気持ちになってきた今の自分。
そんな矢先、もし人生があと1年で終わるとしたらどうでしょう?
このブログを読まれているあなたが、もし1年後に死ぬと宣告されたら、あなたはどう過ごしますか?
果たしてその日まで、今と変わらない平凡な生活を続けようと思うでしょうか?
以前の私でも平凡なまま終わろうとは思わなかったでしょうが、せいぜい財産を使い果たして贅沢することしか考えなかったと思います。
ですが、今の私は少しはそういうことも考えますが、残りの人生の大半は今日まで私の味方になってくれた人たちに心からお礼をする時間に使いたいと思っています。
今まで頂いた以上のお返しを、感謝の気持ちを込めてしていきたいです。
同時に、きっと自分が本当に多くの温かい人に支えてもらったことを実感することも出来るでしょう。
そしたら、死ぬ瞬間が来た時にどんな気持ちになれるでしょうか。
私は人の優しさに包まれて幸せな人生を生きられた。そして自分で選んだ人生を精一杯生きた。
きっとそう感じると思います。
そして、今日という日が人生の最後なら、そんな気持ちに満たされて過ごしたいと思います。ブログを読まれているあなたはどうでしょうか?
冒頭の話に戻りますが、実に様々な理由で年間30000人の自殺者が発生しているのが現代の日本です。
ですが、もしそういう人々のたった1割、いや1%でも、自殺という道を選ぶ人が思い留まって新しい生き方を選んで再出発出来るようになったら、どれほどの価値があるでしょうか?
年間30000人の自殺者のうち1割の3000人、もっと少なくて1%の300人でもいい。
生きる希望をもって再出発する人が現れたとしたら、その300人のエネルギーを集約すれば人口7000人の町にとっては人口問題を解決しうる大きな原動力になるのではないかと思います。
これらの数字を知って、最近よく考えるようになったことがあります。
この町の人が私を救ってくれたように、今度は自殺という道を選ぼうとした人間の一人として私が自殺を考えている人の心を救い、そして本人が新しい生き方を選べるように支えていくような活動が出来るのではないか?と考えるようになりました。
追い込まれて苦しんでいる人が一転して感謝の気持ちを持って行動を起こせるようになれば、本人の人生もずっと良い方向へ行くし、きっと様々な意味で大きな社会貢献が出来るのではないかと思います。
まだまだ偉そうなことを言える身ではありませんが、執行猶予が終わったら、そんな活動を仕事に出来ないかと思えるようになりました。
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新年度そうそうタイトルが物騒すぎませんか(笑)?
原因は自分にあると考えないと解決法は出てこないのは確かです。直接指摘してくれる若いときは謙虚な人が多いですが、最近は老害と呼ばれるあたらしいタイプの老人が目につきます。自分はひょっとしたら悪いところがあるかもしれないと思うことが大事ですね。気づいたらまさか自分がダメ人間だったと思うようにしたいものです。
随分前にメッセージを送らせていただいのですが、届きましたでしょうか?
>>1 西日本さん
こんにちは、いつもありがとうございます。
申し訳ありません、3月30日の夜に書き始めたら4月1日になっていただけでして、新年度を意識していたわけではありません。
拙い内容に共感を頂きありがとうございます。
おっしゃる通り、上手くいかない原因を自分の外に見出しては、いつまでも問題は解決しないと思います。今思い返せば、会社の先輩や上司でキレやすい人というのは、大抵誰かの悪口を言っていたような気がします。
原因を外に見出す典型といえば労働組合で、自分たちが報われないのは会社がちゃんとしないからだと声を上げるのはその最たるものに見えます。
会社として考えている経営方針があり、事業を継続・拡大するためにトップの人間が判断して決めている。それに異議を唱えて不平不満を騒ぐことは、何の解決も生まないと思います。
何事も自分たちに原因があると考えれば、そこで働くことを選んだのも自分。そこしか選択肢が無かったとしても過去の自分の行動の結果です。その環境に不満があったり肌に合わないようなら、組織を変えようとするのではなく自分にとって適した環境へ自分自身が移ればいいだけだと思います。
私も会社員時代は会社に対してあれこれ愚痴を言っていたものですが、現在のような生活になってからつくづくそう思います。
>>2 木村さん
以前にメッセージを頂いていたようで、お返事しておらず失礼いたしました。
私のような人間にご相談を持ちかけて下さりとても嬉しいです。後ほどメールを送らせて頂きます。
たまたまだったんですね
4月からえらい飛ばした記事だなと
自分になにか問題があると、卑屈にならず謙虚にならなければならないです。自己責任が強すぎてつぶれてメンタルがやられてもいけないし、自分勝手で迷惑な人もいます。自己責任、メンツがより、求められる時代だから仕方ないといえばそうかもしれませんが。
組織を変えようとするのではなく自分にとって適した環境へ自分自身が移ればいいだけだと思います。と、ありますがこれは若いときの1回、多くても2,3回までかと思いますよ。
早目の撤退、損切りは非常に大事ですが辛かったら移ればいいでは、転職癖やいやなことがあったらやめればいいになるのでよろしくないかと思います。国鉄やJRの労働組合はよくご存知かと思いますが、逃げるのは3回までかなと思います。戦うときには戦わないといけませんがメンタルまで病んではもとのこもないです。
>西日本さん
いつもコメントありがとうございます。浮世離れした生活をしていると、曜日やカレンダーの感覚が無くなってしまいました。
メンタルのバランスを取るのは難しいことですね。目に見えないものですから物理的にコントロール出来るものではないですし。
歳をとったら身を移すのも容易ではないのですかね。もしかしたら自殺してしまう40~50代の方々というのは、そうやって追い込まれていくのではと思いました。
3回逃げても上手く行かなかったら、自殺しか出せる答えがないのかもしれません。