前回の話はこちら。
運転士の職を降りることを決意してから1ヶ月あまり経った頃。いよいよ部長と面談する日がやってきました。
予め課長を通して時間を取って頂き、課長同席の上で面談して頂くことになりました。
部長の席がある総務課へ伺い、「失礼します」と言って中へ入りました。
部長が自分の席で待っていて、総務課に備え付けられている応接用のソファに座るよう言われました。ちょうどテーブルを挟んで、部長が向こう、課長と私がこちらという向かい合うポジジョンとなりました。
「今日はお時間を取って頂きありがとうございます。」
私がそう言って面談が始まりました。
私はそんな緊張感のある場で、自分の本心をその場で全て口にすることは不可能だと分かっていました。
なので前日のうちに文章に起こしておき、部長には「口でうまく説明できる自信がなかったので・・・」と、事情を話してそれを読んでいただくことにしました。
部長は手紙を手に取り、2~3分間黙ってそれを読んでいました。
課長は黙り込み、応接室にはしばらく重苦しい沈黙が立ち込めます。
そして、部長は手紙をテーブルの上に置き、一呼吸置いてから一言。
部長「で?」
私は何について聞かれたのか理解できず戸惑いました。
私「あの~、で?というのはどういうことでしょうか?」
文章はそれなりに頭を使って書いたつもりでした。
運転士の仕事を続けることに対して身体的に限界を感じていること。
発症した持病を考えると、治療を行っても運転士という仕事を今後末永く続けることは困難だと感じたこと。
手術の効果を無駄にしないために、出来るだけ早い対応をお願いしたいこと。
祖母が先立ち、祖父の面倒を見たいので転勤させて頂ける場合は実家から通勤できる静岡県内で検討して頂ければ幸いであること。
新しい職場でも、精一杯の仕事が出来るよう努力すること。
記憶は定かではありませんが、概ねそのような趣旨の文章を作って渡していたと思います。
それを読んで「で?」という返答があるとは思わなかったので、少々面食らっていました。
部長「で、これを俺に読ませてどうしたいってーんだよ?」
部長は言い直しました。
私「ですので、事情をお汲み取り頂いて、他職への転勤を配慮して頂きたいと思ってご相談させて頂きました。」
部長「この手紙にはな、お前の個人的な都合しか書いてないだろ。会社のためにどうするとか、お客様のためにどういう努力をしたいとか、そういうことを考えられない奴に用意する仕事場を俺に探せって言うのか?」
私「確かにそうなのですが、これは体調の面でやむを得ず相談させて頂いていることで、そこをお汲み取り頂けたらと思うのですが・・・」
部長「それにな、お前はマスト活動(会社から評価を受けるために行う、任意の時間外活動)も一切やってないみたいだな。そんな人間のどこを評価しろって言うんだ?」
私「今日までの5年間、無事故で乗務してきたことは評価して頂けないのでしょうか?」
部長「そんなのは当たり前の話だ。お前無事故くらいで評価されるとでも思ってるのか?」
私「・・・」
この言葉に、私は上の人間と現場の考え方の大きなギャップに気付くこととなりました。
日々過酷な現場で命を削り、毎日のように襲いかかる睡魔と戦って列車を走らせている現場の社員が、これだけ細かい規則にうるさくなった時代において無事故で長年乗務を勤め上げることがどれほど難しいことか。
確かこの部長は若い頃に運転士経験があると聞いていましたが、彼が運転士だった時代は今よりもずっと規則が緩くて自由に仕事が出来ていたと聞いていましたので、今の運転士の仕事内容もその時代の感覚で見ていたのかもしれません。それに加え、立場が変われば見方も変わるのは世の常で、あまりの理解の無さにとても落胆しました。
同時に、上の人間は今の運転士がどれほどの苦労をして日々仕事をしているのか、理解しようとすらしていないことがはっきりと分かりました。
年々運転士の労働環境、待遇が悪化していることも、この一言で全て納得がいきました。
貨物列車の運転士というのは【営業活動もいらない、お客様対応もいらない、ただ線路の上で列車を走らせるだけの、誰でも出来る簡単なお仕事】程度にしか思っていないのでしょう。
さらに、会社は本業の仕事を着実にこなしている社員よりも、時間外で会社に出てきて会社のために頑張っているアピールをしている社員を評価の対象にしていることが名実共に明らかになりました。
少し話が脱線しますが、この「マスト活動」というのは、職場内でグループを作り、職場環境の改善や生産性向上、会社の経費削減や利益向上のために社員レベルで出来ることは無いか知恵を出し合い、それを勤務時間外で実践して会社に貢献した実績を作っていくという趣旨の活動でした。
そして、年に1回か2回か忘れましたがその活動実績を発表する場が設けられており、会社の偉い人たちの前で自分たちの頑張りをプレゼンし、偉い人たちから高評価を得られたグループは地区大会→支社大会→本社大会とコマを進めていくことになります。
これが本社大会優勝となれば、そのグループに属していた社員にとっては今後の昇進を有利にする何よりの材料になるということです。
しかしこれは現場では別名「嘘つき大会」と呼ばれており、上の人間に評価されるために単純なことを複雑に試行錯誤してきたように見せたり、実績を脚色したり、データを捏造して実際よりも高い効果が発揮されたように見せるような作為的な行為が常習的に行われていました。特に「安全」のような数値化出来ないテーマを目標に掲げているグループは、それはそれは盛大に脚色していたように感じます。
もちろん真剣に取り組んでいるグループも存在はしましたが、その努力の功績は結局偉い人に伝わる形で伝えなければ評価の対象とはなりません。特に専門用語の多い技術職の方々の活動は会社の偉い人たちには難しすぎて、なかなか理解されなかったのではないかと思います。
時間外で行う任意の活動という名目もあってか、実際にその発表内容の裏付けを取るような体勢は一切無かったため、言わば「言ったもん勝ち」の世界で、結局は内容よりも資料作りとプレゼンが上手なチームが上位に入賞するという有名無実なものでした。
参加している社員の中でも真剣に取り組んでいる人は少数で、とりあえずどこかグループにさえ属していればマスト活動をしていたという実績は作れるからとか、会社から活動費がいくらか出るので、その余剰金で飲みに行けるからとか、そういう目的のために名簿上だけ参加して、実際の活動は後輩に丸投げして一切活動しない先輩社員も沢山いました。
さらに私が社員だった時代の晩年は、この活動で評価されることを優先するあまり自宅での休養が不十分となり、仕事で事故を起こす運転士が現れて、夜勤明けでのマスト活動禁止などというルールが設定されたりと、もう完全に本来の目的を見失っている状態だったように思います。
私は入社1年目の頃、現場長に連れられてその発表会の見学側として参加したことがありましたが、その内容を見て愕然としたのを覚えています。
現場の人間からすれば入社数ヶ月であっても明らかに嘘くさい内容の発表だと分かるのに、それを聞いて真剣に見当違いな質問をしている偉い人と、脚色を信じ込ませるために必死で説明する発表側とのやりとりを見ていると滑稽で、これはやるだけ無駄な活動になると確信しました。
以来、私が社員として在籍していた間、マスト活動には一切参加してきませんでした。
話は戻り。
そのマスト活動の実績が無いことを槍玉に挙げられて、私は転勤先を用意する価値のない社員だと判断されたのです。
さらに部長は続けてこう言いました。
部長「転勤先があったとして県外でもいいのか?」
嫌がらせのような質問が続きました。この人は本当に手紙をしっかり読んでくれたのかと、疑いたくなる返答でした。
私「あの・・・そのようなことは手紙には書かなかったと思うのですが」
返事に困りそう答えると、部長は急に血相を変え、机を思い切り叩きつけました。
部長「お前なんだその言い方はぁ!!!」
部長の罵声が総務課の室内に響き渡りました。総務課内の空気が一気に緊張します。
部長「それが人に物を頼みに来る態度か!話にならん!」
部長「要するにお前は、仕事がしんどいから楽な職場に行かせてくれって言ってるだけだろ。そんな甘いこと言ってる奴なんかに用意する職場はない!!」
声を荒げてそう言い切りました。
私はこの言葉を聞いて気持ちが決まりました。
この会社を辞めよう。
先日の記事にも書きましたが、転勤が叶わなければ潔く転職すると決めた上で相談に行くことにしていましたので、この瞬間、転勤に応じてもらえる雰囲気ではないと分かった時点で会社への未練が完全に無くなったのです。
部長がキレたことでその場の空気は非常に緊迫した状態だったのですが、転勤先を検討して欲しいと思っていた先程までの気持ちが一瞬で消え失せた私は、怒鳴られても意外と冷静でいることができ、頭が真っ白になることなく返事が出来ました。
私「部長のお考えは分かりました。今日伺ったお話を参考に、今後の自分がどうするべきか考えることにします。今日はお時間を取って頂きありがとうございました。」
そう言って立ち上がり、私はその場を去ろうとしました。
すると部長は「まあちょっと待てや」と言って私を引き留めました。
部長「お前もせっかくこうして相談に来たんだ、考えてやらないこともない。ただ、いつになるかは分からないけどな。」
そう言いました。急に怒りを収めたのは意外に感じましたが、きっと私の中で急に何かが消え失せたことを、部長にも察知されたのかもしれません。こいつは辞めるかもしれないと。
私は無感情で答えました。
私「そうですか、ありがとうございます。機会がありましたらよろしくお願いいたします。失礼いたしました。」
そう言って、総務課を後にしました。
課長は非常に気まずい顔をしていて、2階にあった総務課から1階の運転課に戻るまでの廊下で、課長は静かに私に言いました。
課長「加納くん、部長はああ言うけど、じっくり待とうや。きっと何か考えてくれるからさ。」
課長には私の言動が間違っていたせいで非常にご迷惑を掛けたと感じ、とても申し訳ない気持ちになりました。
しかし、この会社での上の人間の「考えなくはない」「きっと」「検討する」という類の言葉は、私にとって最早全く信用するに足らないものとなっていました。
持病の治療法という些細な相談すら、1年以上結論を先送りにされたのです。それが転勤という話になれば、向こうからのアクションを期待していたら何年、いや何十年先の話になるか分かったものではありません。
私はこれ以上自分の身体を悪くしないためにも、この面談の後、帰宅途中の電車内でタブレット端末を開き、早速転職活動を始めることにしたのでした。
次回からは、実際に行った転職活動について少し語っていきたいと思います。
この話の続きはこちら。
会社を辞めるまでの話を最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
待ってました
部長の気持ちも分からなくもないですけどね、文章にした以上いかに他の仕事で役立つかを書くべきだったし、ましてやマスト活動をしていないならもっと理路整然と説得力のある小論文を書いた方がよかったんじゃないの?とは思いした。家庭事情を書いても、ほかも同じだよ、みんな辛いんだよの根性論理で返される冷たい結果が待っていますし。
年齢や立場が違う20代前半の若者にそこまで求めるなよ、と言われたそれまでですが
面接とは違って小論文は評価に差が出ないからより一層理路整然と自分の主張をしつつ相手にメリットを訴えるのが必要だったかなと思います。ただ、もう上層と現場との温度さが壊滅的だったのでもはや意味がないかもしれません。
臨場感溢れる記事でした。転職活動の記事も期待しています。そのうち本でも出版するんじゃないか、というくらい読みやすくハラハラしました。
コメント返信いつもありがとうございます。次回作待ってます。
JR採用で、大卒本社採用の典型のような現場長だな。
>匿名さん
おっしゃる通りの肩書きだったかと思います。
しかし大卒本社採用という入り口は、それなりに良い大学を出て、若い頃にしっかり勉強してきた人が入れるポジションですから、現場で勤めてきた私たちより視野が広いというのも事実だと思います。
私は現場に居る頃、「お客様」という概念で仕事を見たことはありませんでした。いつも自分の仕事のことばかり考えて、お客様が給料を払ってくれているなどと感じたことは微塵もありませんでした。
それをビジネスの本質的に、「お客様のために何かしたいと思わないのか」と言っていた部長のおっしゃることは正しいことなのかもしれません。
もちろん、その考えが現場の人間に浸透するかどうかは全く別の話ですから、結局は実態に沿わない精神論だということで現場では批判の対象になるわけですが。
しかし大卒本社採用という入り口は、それなりに良い大学を出て、若い頃にしっかり勉強してきた人が入れるポジションですから、現場で勤めてきた私たちより視野が広いというのも事実だと思います。
>Joker Gameさん
コメント頂きありがとうございます。
おっしゃる通り、高学歴で勤勉で、若い頃に努力されてきた人だからこそ、そういうポジションに居るというのは分かります。
しかし人間はモノではない。会社の経営とか数字だけで割り切れるような、単純な生き物ではないのですよ。鉄道の現場は今でも人間が動かしています。その人間の感情に寄り添えるかどうかも、上に立つ人間に必要な資質なのではないかと感じております。
自分の感情任せに人を怒鳴りつけ、その結果今まで会社で育成してきた勤続6年の若い社員が辞めれば、今までの育成費用、そして今後その人物が会社の業務で生み出す収益が消えることで金額的にどれくらいの損失になるのか?視野が広いならそれくらいのことは考えて欲しいものだと思いました。
私は現場に居る頃、「お客様」という概念で仕事を見たことはありませんでした。いつも自分の仕事のことばかり考えて、お客様が給料を払ってくれているなどと感じたことは微塵もありませんでした。
>qq288さん
コメント頂きありがとうございます。
そうですね、現場作業員というのはひたすら目の前の仕事をこなすだけで手一杯で、お客様の顔も見えませんから余計にそういう考えに染まりがちです。
だからいつも自分たちの待遇についてしか考えなくなってしまう。この程度の仕事しかしていないならこの程度の給料だろう・・・とは絶対に思わない。むしろしんどい仕事をやらされてるのに会社は俺達に報いないと、不平不満が募るばかりです。
でも会社を離れてみて、その考え方は根本的に間違っていることに気付きました。自分の給料というのはお客様に提供した価値の対価だという前提で考えると、毎日与えられた業務をこなしているだけではその業務以上にお客様に価値を提供することは出来ないわけで、それなら同じ業務を何年続けようが給料が上がらないのも当然と思えるようになりました。
勤続年数で給料が上がるという日本に根ざした年功序列の考え方は、経済の市場原理からは逸脱したシステムであったということに気付いたのです。だからそれに気付いた自分が変わって、自分のした仕事がしっかり対価に跳ね返ってくるような仕事を選ぼうと思って私はリサイクル業へ転職しました。
臨場感溢れる記事でした。転職活動の記事も期待しています。そのうち本でも出版するんじゃないか、というくらい読み
>PGさん
記事をお読み下さってありがとうございました。
犯罪者の自伝などという、99.9%の人にとって何の価値も興味もない内容に共感して下さり、心より感謝申し上げます。
遅筆ながら今後も時間を見付けては書いて参りますので、見守り頂けましたら幸いです。