前回の話はこちら。
部長との面談を終えてJR貨物からの退職を決意した私ですが、転職活動が楽だった訳ではありません。
この時点では会社を辞めると決めただけであり、どのような転職活動をすればいいのか、どんな業界へ行きたいのか、そういうことを全く考えていなかったのです。
しかも、辞めると決めた鉄道の仕事が私にとって最もやりたかった仕事でもあり、今後はこういう業界で働きたいというイメージも皆無でした。
昔の転職活動ならハローワークへ行ったり、求人雑誌を貰ったり、買ってきて調べ上げては1件1件電話するなり、履歴書を送ったのでしょうが、今はネットの時代。まずはネットで探すことにしました。
このとき平成27年。転職情報サイトというものが世間に溢れており、そこに名前を登録すれば転職情報を斡旋してくれるというサービスも豊富にありました。
そんな中で、住んでいた沼津市でエージェントによる面談が受けられるという情報サイトを発見したため、個人情報を登録しておきます。
するとその日の晩には電話があり、面談のスケジュールについて打ち合わせをすることになりました。
かなり久しぶりにスーツに着替え、自宅から車で10分程度の距離にあった事務所へ行って面談を受けます。
JRで運転士をしていると言うと驚かれましたが、実際に仕事探しの話になると、エージェントは渋い顔をしていました。
それもそのはず、鉄道の現場で培った経験や技術など、業界の外へ出れば何の役にも立たないものが大半であるからです。
鉄道車両の運転が出来ます!・・・などと言われても、採用する側からしたら「だから何?」という感じでしょう。
鉄道運転士は国家資格でありながら、そんな資格は鉄道業界の外では何の役にも立ちません。だったら英検3級を持っている方がずっとマシというものです。
そして鉄道の現場で働いてきた人間は大半が高卒です。つまり学歴に関しても評価を受けることは難しいということです。
転職者には基本的に即戦力が求められると思います。何も出来ない人間を取るのであれば、18歳~20歳くらいの若い人を取った方がいいに決まってます。
それゆえ鉄道を辞めてきた人間に採用試験を受けに来られても「あなたに何が出来るの?」と言いたくなるのが本音でしょう。
私は自動車短大卒で自動車整備士の資格を持っていましたから、最終手段で自動車業界へ行けばいいという考えもありました。しかし、そうなれば行ける業界は自動車業界しかないということになり、やはり非常に選択肢が狭まります。
結局、人物としては高卒で無資格で出来る仕事を6年間やってきた人間と大して変わらない評価しか得られないこととなり、転職活動自体も非常に厳しい道のりとなります。
入社からたった6年間、若干26歳にして、気付かないうちに自分はここまで社会に必要とされない人間に成り下がっていたのかと思うと、正直とても怖くなりました。
私はエージェントとの面談を受けて、自分の好みで業界を選べるような立場ではないということを思い知りました。
もしこのブログを読まれている鉄道業界にお勤めの方で、一生を鉄道業界で過ごすつもりが無いのであれば、いま世の中にどんな人間が必要とされているかをよく考え、そのために必要な資格やスキルを事前に習得する努力をしておかれた方がいいと思います。35歳までは大丈夫などと考えて若いうちに何もしていないとしたら、気付いた頃には手遅れです。
私が会社を辞めようとしていたこの頃は、私の勤めていた職場でも20代後半の社員の間では転職に関する話題がよく上がるようになっていて、他の鉄道会社を受けに行った人や、非営利の宗教活動団体で生きたいからいずれ辞めると言っている先輩、20代のうちに専門学校へ入ってもう一度学生をやろうかと言っている同世代・・・等々、自分が本当にこのままこの会社に身を置き続けていいのかと、それぞれに思い悩んでいるようでした。
運転士が出発時間まで待機する詰所のテーブルにも、どこからか持ってこられた転職情報誌があからさまに置かれているくらいで、若い世代は今の仕事に嫌気が差している人が多かったのかもしれません。
その中でも退職後に学生に戻るという選択肢は私の中では新鮮で、そこで専門的な勉強をすることにより、再び専門的な仕事の正社員としてやり直すことが出来るという考えは非常に理に適っていて素晴らしいと思いました。
転職のハードルは年齢が高くなるほど上がるとよく言われますが、全くその通りです。
28歳になる前に専門学校に入学すれば、新たに挑戦する業界の採用試験を受ける頃にはまだ29歳と名乗れます。入社時点で30歳になったとしても、やはり20代で試験を受けられることのアドバンテージは計り知れません。
そして、曲がりなりにも10年近く働いてきたわけですから、無駄遣いをしていなければそれなりの現金も持っていることでしょう。つまり、会社を辞めて2年間学生をやるくらいの資金はやりくり出来るのが一般的だと思います。
現に私も、逮捕されて以来無収入で3年半は経っていますが、6年半勤めた会社で稼いできた資金の食い潰しだけで生きているのです。1年遅れにはなりますが、無収入になると税金も保険も年金も徴収されなくなるため、自分が考えている以上にお金の減りは少なくなります。
退職金で1年分の学費は賄えますから、2年間の学生生活には大半の人が堪えうると思います。もちろんバイトしながら学校へ行くことだって出来るわけです。
ただ単に鉄道業界を退職しただけの人間だと、転職活動は茨の道になることは間違いありません。
しかし学生という身分を挟むことで、再びフレッシュな新人として、異業種での活躍を期待される人間に昇華出来る可能性があることを思うと、鉄道員を辞める人は一回学生になるというのが、私の中での一つの答えのような気がしています。
学生になることには年齢制限はありませんから、たとえ30代、40代になってしまった人であっても、本気になればやり直せるのではないかと思います。私のいた短大にも30代後半にして自動車整備士を目指している人がいましたが、18歳の我々とは覚悟が違う印象で、それは眩しく映ったものです。
一方、私の方はそんなことは考えずに普通に辞めようとしていたわけで、それは難しい転職活動を余儀なくされました。
こんなことを話せば、「だったら同じ鉄道業界で転職すればいいじゃないか」と考える方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、現実はそんなに簡単な話ではありません。次回は鉄道業界での転職について話をしていこうと思います。
この話の続きはこちら。
会社を辞めるまでの話を最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
お疲れ様です。
八方塞がりの転職活動のようですね。学生に戻ることが一筋の光のように見えます。
次回作も期待しています。
>西日本さん
いつもありがとうございます。
おっしゃる通り、高卒レベルの学歴+鉄道業界のみの実務経験では、転職は非常に厳しいです。
学生に戻るという選択肢は当時の同僚が考えていたことで、当時の私にとってはその選択肢は目から鱗で、素晴らしいと感じました。