前回の話はこちら。
リサイクル屋の社長からの突然の連絡を受けて、自営業という選択があることを知った私。
転職活動がことごとく上手くいかなかった矢先の出来事だったため、社長からのお誘いは暗闇に差し込んだ一筋の光に見えました。
私は約束通り、その電話の翌週にヤードを訪ねました。
事前に「ただ話を聞くだけでなく、職業体験をさせて欲しい」と申し出て、実際のリサイクル業の仕事を体験させて頂くことにしました。
この日のために作業着と軍手も用意し、会社が休みの日、普段なら午後まで寝ているところを朝の6時に起きて、いつもの通勤と同じ道を電車に1時間乗って静岡へ向かいました。
駅の駐輪場に置いてあるバイクに乗り込み、駅からはいつもと逆方向へ走らせます。それだけでなんだか新鮮な感覚でした。
社長のところに到着すると、まずはしばらくお話を聞くことになりました。
その会話の中で仕事の流れを説明してもらい、どのようにゴミを収益に変えているのか、どのような横のつながりが必要なのか、税金に対する考え方など、会社員では気にしたことすらなかった様々な側面を聞かせてもらうことができました。
1つの組織の中で生き続けて視野の狭かった私にとっては、社長のお話からは同じ日本で生きている人とは思えないような新鮮さを感じました。
リサイクル業という仕事は大きく二つに分かれています。一つは実際にゴミを資源として再生させる仕事。もう一つは資源となるゴミを集めてくる仕事です。
ゴミを資源として再生させる仕事は、金属であれば溶解させて再び原料として使える状態にするなど、相応の設備が必要になりますので、なかなか個人で出来るものではありません。
一方の資源となるゴミを集めてくる仕事では、その中には金属類、紙類、ペットボトルなど、いくつか種類がありますが、自営業で行うリサイクル業の実態としては金属を扱うものが主流と言えると思います。その他の資源は、よくスーパーやコンビニの駐車場に置かれているリサイクルボックスで回収されている印象でしょうか。
ゴミを集めるのは一人でも出来る仕事であり、特に技術が無くても誰にでも行うことができます。よくある軽トラの廃品回収や、ホームレスが空き缶を集めることだって、立派なリサイクル業ということです。
2015年当時、日本で回収された資源ゴミは多くが中国へ輸出されている現状があり、国内でリサイクルされる割合はとても低かったように思います。
そのため集めてきた金属資源を買い取ってくれる業者も中国・台湾系のヤードが多く、買い取り金額も中国業者の方が高かったのは事実です。
このゴミを集める仕事にも集める側、買い取る側の二つの立場がありました。
中国業者のような大規模に設備投資出来るところは大きなヤードを構え、スクラップをトン単位で動かせる重機を備えて、トラック一杯のゴミを計量して買い取っては、40フィートの海上コンテナ一杯に詰め込んで中国へ輸出していました。
つまり形態としては仕入れ・販売となっているわけで、一般的な小売業のような構造でした。そのため買い取り資金もそれなりに必要だし、輸出先とのコネクションも必要で、スケールの大きい仕事だったと思います。
自営業レベルで行うのはゴミを集める側の仕事となるわけですが、雑多なゴミではなく、自転車やバイクといった輸出商品として成立するものであればお店として個人から買い取るケースもあり、結局は規模が異なるだけで商売の構造は同じです。
私がお世話になった社長はこのゴミの流れの最前線となる、街で一軒一軒を訪問し、ゴミを集めてくることを主な仕事にしていました。
回る地域を決めてトラックを停め、徒歩で歩いては1件ずつ訪問して不用なゴミはありませんか?と、丁寧に聞いて回っていきます。トラックで回るというと軽トラにスピーカーを載せ「こちらは~、廃品回収車です」と鳴らして回るのをイメージしていましたが、社長は実際にお客様と顔を付き合わせて話すということを大切にしていて、人間同士の会話から生まれるビジネスチャンスを活かしていくという考え方をお持ちの人でした。
当時は金属の含まれる家電くずなどは分解せずとも輸出業者が重さあたりで買い取ってくれました。
ひとたび街に出れば、個人では処分に手間がかかるような壊れた家電は特に多く出てくると聞きました。他にも金属製品が多い台所用品や、パソコン、ゲーム機、おもちゃなど、一般家庭で捨てるに捨てられず余っていそうな物が沢山出ると聞いて、みんなゴミを溜め込んでいるのだなと感じました。
一般家庭に限らず、お店やマンションオーナーなどに出会うと放置自転車に困っているケースも多々あり、それらをまとめて回収したり、不動のバイク、中には車なんかも出てくると聞いて驚きました。
そして、そのように商売をやっている人と繋がることが出来れば、店舗で出たゴミを定期的に回収させて頂けることになったり、マンションやアパートなどであれば夜逃げ等で居抜きとなった物件を丸ごと片付けてもらえるよう依頼を受けたりと、新しい仕事に繋がっていくのです。
自分たちはそれぞれの品目を得意としている買い取り業者と横の繋がりを持ち、集めてきたそれらのゴミを工夫して売ることでお金を生むことができ、お客さんからは自宅のゴミがスッキリして喜ばれるということです。
手放す人にとっては捨てたいゴミ。集める側はお金の源。リサイクル業の仕事はお互いにメリットが発生するビジネスであり、お客様を損させて自分たちが儲けるような卑怯な商売ではなく、しっかり人に感謝される商売だということがよく分かりました。
そしてその商売を始めるのに必要な設備投資といえば、軽トラック1台くらいなのです。あとは安い空き地をどこかで借り、古物商の免許を取得すれば、簡単に商売を興すことができます。
当時の私から見ても、この商売で独立することは非常に現実感があり、魅力的に感じました。
窃盗罪で有罪判決を受け、古物商の免許を取れなくなった私にはもう出来ない商売ですが、あのまま起業していたらどんな人生があったのかと、今でも思いを馳せることは多々あるのです。
しばらく社長のお話を聞いたあと、いよいよ現場を体験させて頂くことになりました。その話はまた次回に。
この話の続きはこちら。
会社を辞めるまでの話を最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
更新お疲れ様です。
今年も数える程になりましたね。
お祖父様を見送られたのですね。
肉親の死はとても悲しいものです。
父親代わりでもあり、とてもかわいがってもらっていたとなると尚更そうでしょう。
人の死は、その人から貰える最後の贈り物なのかもしれません。
加納さん自身を奮い立たせる言葉はお祖父様からの最後の贈り物だったのかもしれませんね。
お祖父様は、きっと、これからの加納さんの人生を見守ってくれるはずです。
勿論、お祖母様も加納さんを見守っていれてることでしょう。
リサイクル業のお話も見させて頂いております。
正直、ストレス解消の為に、スクラップ屋に流れたスーパーカブを収集するのは、凄まじい癖だなと思いました。
丸座布団を持っていったことがターニングポイントとなったのですね。
加納さんと、お母様の心暖まるエピソードだけでなく、リサイクルヤードの社長さんとのやりとりに、改めて人と人とのご縁は不思議なものだと感じました。
長くなりました。
これからますます寒くなることと思いますが、インフルエンザや、その他の疾病に気をつけて、決して無理をなさらぬよう、お過ごしくださいね。
>愛媛の鉈さん
いつもご丁寧なコメントをありがとうございます。
祖父との死別について、温かいお言葉を掛けて頂きとても嬉しいです。このような犯罪者のブログで貴方のような人に出会えたことは奇跡としか思えず、それだけでこのブログを続けてきて良かったと感じます。
人間はどうせ最後には死ぬのですから、生きている時間をどう使うかはとても大切なことだと思いました。
犯罪者になったことで、この3年間は空虚な時間だったかもしれません。ですが今後もその延長線上にある必要はないと考えて、自分なりの生き方を模索していきたいと考えております。
ストーリーの方もJR貨物を退職してリサイクル業へ転身していく過程を書かせて頂いておりますが、この出会いがなければ私の人生も全く別物になっていたことでしょう。しかしそれが必ずしも幸せだったとは限らず、結局人生はどう転んでも自分次第であると感じます。
だんだん時系列が現実に追いついてきて、私自身も当時を思い返して色々思うところがあります。
当時からスーパーカブが大好きで、現在はかなり数を減らしましたが自分が使う用の車体が実家と現在の家とに何台かあります。オタクにありがちな収集癖なのでしょうね。
今後もあまり更新頻度を落とさないよう、続けて参ります。いつもお気に掛けてくださりありがとうございます。