前回の話はこちら。
お誘いを受けたリサイクル業の職業体験をさせてもらったものの、厳しい現実に直面し初日で心が折れてしまった私。
戻ったらお断りの返事をして、やっぱり他の道を探そうと思って急に熱が冷めてしまいました。
残り時間を適当に潰してもよかったのですが、どうせ最後だから一応ちゃんと回っておくかと思い、引き続き回ってみることにしました。
しかし、このとき私はあることに気付きます。
先程までの「なんとかしなければ」という気持ちが消え失せた瞬間、気が楽になっていたのです。
すると不思議なことに玄関のインターホンを押すことが怖くなくなっていて、先程までとは打って変わって、冷静に応対できるようになっていました。
これは運転士を辞めるとか、会社を辞めると決めた時の心境に似ていて、何かを失うことが怖くなくなったとき、人間は冷静になれるのでしょう。
結果はすぐに出ました。
ある民家で声を掛けたとき、優しそうなお婆ちゃんが出てきて言いました。
老婆「そこにある自転車がねぇ、もうパンクしてるし錆びてるし乗らないの。」
私「そうでしたか!もしご不要でしたら頂いていってもよろしいでしょうか?」
老婆「あらいいの?助かるわ~」
私「こちらこそ!ありがとうございます!」
なんと、あっという間に自転車が一台手に入ってしまいました。
この瞬間がどれほど嬉しかったことか。初めて廃品が取れたという嬉しさばかりでなく、私は自分の手でお金を生み出したという実感が得られて、今までにない喜びを感じていたのでした。
これを皮切りにトントン拍子で廃品を取れるようになり、残りの1時間だけで6~7軒から廃品を頂くことができました。その中にはなんとスバルのアルミホイール4本セットまで出して下さったご家庭があり、後で回収に回ると社長も驚いていました。
社長「すごいやん!アルミホイールは1本2000円になるねん。他も合わせたら加納くん午後の数時間だけで10000円は稼いどるで!」
私「本当ですか!?僕もここまで集められるとは思いませんでした。実際に動いてみると違うものですね!貴重な経験をありがとうございました!」
全ての回収を終えた17時頃、社長は18時までにスクラップ屋に出しに行くと言っており、私は現地で社長と解散しました。帰りにヤードに寄ってバイクで帰れるよう、近場で回ってくれていたのです。
このとき、私の中で再び心境の変化が現れました。
「ドアを叩き続けることさえ出来れば本当に結果が出るんだ。それにこの仕事は上司や会社の命令に従うんじゃなくて、自分で工夫して仕事を改善できる。たとえ収入が減ったとしても、仕事として面白いかもしれない。」
この日はビギナーズラックだったのかもしれません。ホイールが出なければせいぜい2000円の収入ですから。
でも、そんな運も含めて、何が起こるか分からないのが自分でやる商売なんだと思いました。
さっきまで乞食だとバカにしていた仕事なのに、今ではまるで街という巨大な鉱山から金属という資源を掘り当てるかのようで、宝探しのようなロマンを感じているのでした。
私は決めました。
「この仕事でやっていってみよう。」
職業体験の日が、私が完全にJR貨物を辞めると決心する日となりました。
後から社長に聞いた話ですが、この日に厳しく当たってきたのには、実は理由があったそうなのです。
JRの運転士という立派な肩書きの仕事を辞めて、自営業レベルのゴミ屋に引き抜くのは社長としても抵抗があったらしく、軽い気持ちで転職し、後々後悔してほしくないと考えていたようです。
そのため自営業で生きることの厳しさを理解してもらい、無理だと感じたのなら、JR社員という肩書きを捨てずに会社に残り続ける道を選んで欲しい。だから最初は厳しく接して、真剣に考えてもらおう・・・そう考えていたんだと聞かされました。
私はこのときの社長の深い配慮に、今でも感謝の気持ちを忘れたことはありません。
結果的にリサイクル業に足を踏み入れたことで犯罪者になっているわけですが、このとき自分の生き方に真剣に向き合うことができ、自分自身の責任で生きる道を決めることが出来たからこそ、今の現実を受け入れる土壌が出来ているのだと思います。
「自分の身の回りに起こる全てのことの原因は自分にある。」・・・その考えを自分自身に落とし込む非常に大きなきっかけとなったことは間違いありません。
もし中途半端な気持ちで転職を決めていたら、「この社長が引き抜いてこなければ・・・」とか、「リサイクル業なんかに入ったせいで・・・」と、まるで労働組合員が会社を責め立てるように、人生の転機、居場所をくれた人やきっかけを逆恨みしていた可能性すらあるのです。
「自分が上手くいかないのは、文句を言いたくなるような会社に入ることを選んだ自分に原因がある。不満があるのに外の世界に抜け出す努力をしない自分に原因がある。」そう考えられるようになった瞬間、自分の行動も変わり、ひいては人生も変わっていくように思います。
そして何より、転職活動が上手くいかずに追い込まれていた当時の私を救ってくれたこと。これは後の結果がどうなったかに関わらず、リサイクル屋の社長には感謝してもしきれません。
貨物鉄道という狭い業界でもがいているうちに、26歳にして社会から必要とされなくなった自分。そのときの屈辱感は本当に堪えがたいものでした。
運転士などという、下手にプライドが高くなる仕事をしていたから尚更です。
自分が立派な仕事をしている高尚な人間だと思い込み、「履歴書にもそこそこ書くことがあって6年半も勤めていれば大丈夫。転職活動だってさほど難しくない」・・・そう思っていた高飛車な考え方を根底から崩されることは、当時の自分にとっては人格の全てを否定されたも同然でした。
手取り18万円という収入にそこまでのプライドを見出していた当時の自分もどうかと思いますが、社会から不必要とされた人間に手を差し伸べてくれたリサイクル屋の社長は、私にとって人生の恩人であることに変わりはありません。
有罪判決を受けてから移住した後もそうですが、私の人生は、本当にギリギリまで追い込まれた時には、手を差し伸べてくれる人と出会えるのかもしれません。
こうして転職の道が確固たるものとなったら、あとは具体的なプランを考えるだけです。
私は早速、退職までの段取りを考えることにしました。この話は次回に・・・
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