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退職願の提出を終えて、いよいよ退職までのカウントダウンが始まりました。
3ヶ月あるとはいえ、実質乗務するのは1ヶ月半です。あっという間に過ぎてしまうことは容易に想像出来ました。
退職までには総務で細々とした手続きもありましたが、あまり面倒なものではなく、淡々と時間が過ぎていく感覚だったと思います。
そして、退職日を決めた以上、あと1ヶ月半のうちにお世話になった同僚たちにできる限り声を掛けておこうと思いました。
先輩、同世代、後輩まで、辞めることを伝えてお世話になったことへのお礼も伝えるようにしました。
みんな驚いていましたが、体調のことを知ってくれていた人も多く、身体に気を付けて、新しい仕事も頑張ってと、励ましてくれる方が多くて嬉しかったのを覚えています。
特に国鉄世代の方に退職する旨を伝えた時のことが印象に残っています。
「まさか鉄道好きな加納が俺より早く退職するとは思わなかったな~」
「正解だよ、身動きが取れる若いうちに辞めた方がいい」
「俺もお前と同じ世代だったらとっくに辞めてる」
「選択肢がある若いうちはいいよな~」
まるで国鉄時代から30年以上勤め上げたことを後悔しているような口ぶりの人が非常に多くて、きっと自分もこのまま歳を取ったら、そういうことを言う中年になっていただろうなと思いました。
同期や後輩にはどんな話をしたかよく覚えていませんが、思っている以上に転職は難しいこと。一生涯勤めるつもりが無いのなら、今のうちに資格やスキルを取るなど、何かしらの勉強をしておいた方がいいという話をしたような気がします。
そして、運転士見習いの時に私を教育してくれた、師匠の先輩にもお礼を伝えました。このとき先輩は三人目の運転士見習いを育てているところで、苦労して養成して頂いたのに運転士になって5年あまりで辞めてしまうことは、正直申し訳ない気がしました。
でも先輩はそんな私を咎めることなく、優しく送り出してくれました。
先輩「顕史郎が決めたことなんだから気にしなくていい。見習い中ならともかく、ひとり立ちした以上は立派な運転士だ。新しい仕事でも頑張れよ。」
そう言って背中を押してくれました。
そして乗務した先の機関区でも、お世話になった出先の当直さんにお礼を伝えるようにしました。
私の乗務エリアは東は東京貨物ターミナル・新鶴見機関区、西は稲沢駅と三箇所ありましたので、乗務で出先へ行っては、日替わりの当直さんに出来るだけお礼が言えるように努めました。
中でも新鶴見機関区には仕事の出来る当直さんがいて、いつも運転士の休養を最優先に考えて点呼時間などを采配してくれました。列車が遅れている時は何度もお世話になりましたので、必ず直接お礼を言いたいと思っていたところ、何度か行ったところで会うことが出来ました。
私「来月で降りることになりました。もう新鶴見に来るのはあと数回だと思います。短い間でしたが本当にお世話になりました。」
当直さん「ええ!? そうなのかぁ~、若いのにもったいないなあ。でもお疲れ様!」
私「ありがとうございます。遅れた時は何度もお世話になって、本当助かりました。これからも静岡の運転士をよろしくお願いいたします。」
そのような挨拶を交わしたと記憶しています。
そして、東京ターミナルに乗務したときの当直さんとの会話も印象に残っています。
私「来月で降りることになりました。もうターミナルに来るのはあと数回だと思います。短い間でしたが本当にお世話になりました。」
当直さんA「あら・・・そうなんだ。まだ若いのにねぇ」
当直さんB「どっか他職に転勤でもするの?」
私「いえ、実は会社自体を辞めることにしまして、他の仕事で生きていこうと思っています。」
当直さんA「ええ!会社辞めちゃうのかぁ・・・でもあながち間違いじゃないかもね。」
当直さんB「ははは!そうだな、とうとう沈みかけた船から飛び降りる奴が出てきたぞー(笑)」
そのような会話を交わしました。
東京ターミナルの当直には、この時期私が運転士の研修所で同期だった若い社員が時々入るようになって、この日とは別の乗務で会ったときに最後の会話を交わしました。
そのときに記念写真を取ってくれたものが、今でも手元に残っています。
運転士という仕事に終わりが見えてからというもの、それまで変わり映えのしない退屈だった日々が急に儚いものに見えてきて、日常が輝き始める感覚がしました。
たとえ退屈な日々であったとしても、その生活が終わりを告げるときは、もうすぐ終わろうとしている当たり前の日常に価値を見出すことが出来るののでしょう。
同時にそれは、私がこの日まで少なからず鉄道の仕事に思い入れがあったということなのだと思います。仕事も会社も嫌いになったって、鉄道自体が嫌いになることはなかった。それはせめてもの救いだったかもしれません。
最後の乗務まで、何百回と行き来した線路を走るのはやっぱり退屈です。
でも、その仕事を通じて関わった人達の大半は、会社を辞めれば今生の別れになることでしょう。
だから最後にしっかり話をして、自分の記憶の断片にその人の存在が少しでも残るのであれば、それは価値のある出会いだったのではないかと思います。
次回は最後の乗務までの間に、実際に機関車に乗って感じたことを書いてみたいと思います。
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