前回の話はこちら↓
いよいよ最後の乗務も見えてきて、自分がハンドルを握る回数も残り10回を切った頃。
私は同僚と過ごす時間を大切にするようにしていました。運転士はいつもバラバラの時間で一人で仕事をしていますから、同じ職場であっても1ヶ月以上会わないことだって珍しくありません。
そのため退職までに職場の全員に挨拶することは難しく、結局直接顔を合わせることなく終わってしまった人も少なからずいたように思います。ですから話す時間があれば同僚と会話することを意識していました。
そんな中で、最もじっくり話す機会があるのは「便乗」で乗り合わせた時です。
運転士の仕事は必ずしも往復ハンドルを握るわけではなく、行路によっては片道ではハンドルを握らず、機関車の反対側の運転席に乗って出先まで移動するだけという場面もありました。列車の遅れや運休などで急遽発生することもしばしばあります。
便乗は文字通りただ乗っているだけですから身体は楽ですが、拘束時間に対して実労時間が非常に短くなり、収入的には極めて非効率で、生産性のない仕事でもありました。
そんな場面で、自分だけでなく他の運転士と乗り合わせることになれば、相手によってはその時間は延々と会話する機会が生まれるわけです。
私は退職の直前、ある同い年の同僚と便乗で4時間を共にすることとなりました。
彼は高卒入社で会社では2年先輩という立場でした。ですが年齢は同じなので友達感覚で喋ることができ、車やバイクの趣味も合って話題も尽きませんでした。
そんな彼と喋っているとき、私の退職の話になりました。
私が辞める理由を語ると彼も納得したようで、今度はおもむろに自分の悩みを打ち明け始めました。
彼は会社や職場に対してひどく不満を持っていました。彼も鉄道好きで仕事自体にはそこまで大きな不満はなく、寝不足になることについても、私ほど深刻には考えていませんでした。
しかし、いがみ合ってばかりの労働組合や、職場に人のことを陰でチクる根暗な人間がいること。人間味のない上司ばかりなのが嫌だと、主に対人関係についての悩みを抱えているようでした。
彼は以前、通勤中に車かバイクが故障したという理由で会社に遅刻したことがあり、それが理由で車通勤を禁止されていました。
しかし運転士の仕事は電車の走っていない深夜に勤務が終わることや、同じく深夜に出勤する場合もあり、勤務時間の都合などから車やバイクで通勤したくなる場面が多いです。
ある日、やむを得ずバイクに乗って会社へ行き、駐輪場にバイクを停めておくと、それを見付けた誰かが上司に告げ口して、彼は呼び出されてかなり厳しく怒られたそうです。
このとき、別にバイクで来たことが原因で遅刻したり、事故を起こしたわけではありません。しかし無許可でバイクで来たという理由で、疲れている夜勤明けに1時間以上お叱りを受けたようでした。
そして、その場面で彼は聞いたそうです。「もう車通勤を禁止されてから1年も経ちます。ではいつ車通勤を許可してもらえるのでしょうか?」と。
すると上司の返事は「最低3年だろ。それくらい普通だ」と言われたようです。その時に、もうこんな仕事やってられないと感じたようでした。
私はこの話に、深く同情してしまいました。それは以前も書いた、自分が睡眠時無呼吸症候群の治療に関する話で1年も返事を待たされていた経験をしていたからであり、会社の意思決定にひどく時間が掛かることへフラストレーションが溜まる気持ちは、とてもよく理解出来ました。
東京ほど公共交通も便利ではなく、勤務時間も日によってバラバラの運転士という仕事で、通勤手段として車を使うことを禁止されることの辛さは計り知れません。
確かに遅刻したことは彼にも問題がないとは言えませんが、遅刻は故意にやったことではないわけで、車両の故障という不慮の事故は、車通勤自体に問題があったわけではありません。
彼も彼で怒られればすぐに反感を持つわけではなかったと思います。普通ならきっと申し訳ないと感じ、整備に一層気を付けるなり、車種を変えるなりするようになるとは思いますが、怒られたこと自体が問題だったのではありません。
出勤時刻が毎日違う運転士では時間管理も難しく、運転士を何年もやってきた中で偶然1回失敗してしまったことに付け込んで、最低3年間車通勤禁止という罰を与えられることが、一人の人間としてどう感じるか?ということが問題なのです。
今となっては定かではありませんが、そこには他の運転士への警鐘という意味も込められていたのではないかと思います。
現に彼以外に車通勤を禁止されている社員はいませんでしたから、これは「もし遅刻したらこいつみたいに車で通えなくなるぞ」と、彼を生け贄にして暗に注意を促そうとしていたのかもしれません。いわゆる「見せしめ」ということです。
私が逮捕されたときも、会社の調書には「社員に警鐘を鳴らすため厳罰を望みます」と書かれていました。きっとそれと同じ考え方なのだろうと思います。
こういう扱いを受けて、しかも上司に知られる原因が他の同僚からバイクで来たことを上司に告げ口されたものだと知れば、それは誰でも反感を持つことでしょう。
彼は思わず本音をこぼしました。
「あの時、正直に車が壊れたなんて言わないで、体調不良で行けないって嘘つけばよかった。バカだよな、俺ももうこんな会社辞めたいわぁ・・・」
私はそれを聞いて、数ヶ月前の自分と重ね合わせてしまいました。
彼のために何か出来ないかと、話を聞いてみることにしたのです。以降、彼のことは「S」と呼ぶことにします。
私「それじゃあSさんも、転職活動してみたら?正直JRの人間として転職活動するのって大変だけど、やらないよりはやってみた方がいいと思う。」
S「そうだかねぇ、でも他に出来ることもないしな。」
私「高卒採用だと学歴勝負もできないからね・・・何か資格とか持ってないの?」
S「一応工業高校出てるもんで、電気工事士の資格は持ってるよ。」
私「じゃあ転職先見付かるんじゃないかな?その資格なら欲しい会社多い気もするけど・・・」
S「でも別にやりたいわけでもないんだよな。車のローンもあるから給料もある程度欲しいし。」
私「そうかぁ・・・」
私は彼と話しながら、資格だけで転職しようとした人間がどうなるかを思い出してしまい、それ以上強く言えませんでした。
しかし、彼は仕事が出来ないわけではなく、一人前に乗務をこなしていて運転も上手な方でしたから、気持ちさえあればどんな仕事でもこなせるのではないか?と思いました。
私は自分がこれから向かっていく、リサイクル業の仕事のことを思い出しました。
私「俺ね、これからリサイクル業の仕事勉強するんだよ。仕事体験させてもらったんだけど、資格も何もなくても、自分の努力で結果を出せる仕事だと思ったよ。」
S「へぇー、そりゃ面白そうだね。加納くんはいい仕事見付けられていいなぁ~」
私「それでさ、1年手伝ってノウハウ教わったら、自分で起業してみることにしたんだ。自分で仕事作れば嫌な上司に命令されることもないし、職場の人間関係に悩むこともないし、自分次第で頑張った分だけ稼げるから給料が安いとか嘆く必要もないよ。Sさんもそういう仕事やってみない?」
S「起業するんだ?そりゃすごいな~。でも俺には自分で商売やるなんて無理だからね。そういう仕事してる人の下で働ける機会があるならいいけども。」
私「そうかぁ・・・・・・じゃあさ、俺がもし無事に起業できたら一緒にやってみる?」
S「いいの!?そりゃ面白そうだ!」
私はとっさに言ってしまいました。
理由は違えど同じ境遇で悩んでいる同僚を見て、放っておくことが出来なくなっている自分がいたのです。
このまま会社に不平不満を抱えながら歳を取っていってほしくない。そう言って思わず口から出た言葉でしたが、意外だったのは彼の方がそれにすぐ乗り気になったことでした。
きっと今すぐの話ではなく、私が会社を辞めて1年後という、まだ時間的に猶予のある話だからだったのではと思います。
しかし同時に、そんな話にすぐに気持ちがなびくほど、彼は今の仕事が嫌になっていたのだと思います。
この会話から1年後、彼は私と一緒に逮捕され、罪に問われることになりました。
この日の会話が、後に私たちが犯罪者として生きていく道に繋がる最初の分岐点だったのかもしれません。
次回に続きます。
この話の続きはこちら。
会社を辞めるまでの話を最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。