前回の話はこちら。
とうとうJR貨物を退職し、JR社員ではなくなった私。
これからはリサイクル業のお手伝いとして、1年間を過ごしていくことになります。
「アルバイト」という言葉を使わないのは、これが収入のためではなく、勉強のためだと思って臨んでいたからです。
正直、JRのように公務員に近いガチガチのサラリーマン気質で生きてきた人間が、いきなり自営業で生きようとしても上手く生きられる気がしませんでした。
そんな人間が自営業で生計を立てられるようになるには、自営業で結果を出している人から直接学ぶことが最短ルートであると確信していました。
その生き方を学べるのであれば、私は1年間お給料など要らないと思っていたのです。
社長は40代前半でしたが、それまで壮絶な人生を生きてこられた人でした。その経緯について聞いた範囲でお話します。
若くして和歌山の実家を飛び出し、大阪で板前の修行を行ったものの夢破れ、飛び出した手前実家に帰れず10代で路上生活に。
ある時ミナミで吉本に拾われ、芸人を目指したそうです。その時組んだ相方は今もNGKの舞台に立たれているようです。
しかし吉本の世界も肌に合わずに数年で辞め、今度は布団の販売店で飛び込み営業マンの仕事をしてきたそうです。
それがとても性に合い、完全歩合の仕事でバンバン売上げを上げて月収300万円を超えたこともあったとか。しかしそれは一般人では精神が持たないほどの壮絶な仕事で、飛び込み営業を掛けた部屋に極道が住んでいて、そのまま部屋に監禁され殺されかけたこともあったそうです。
その後静岡にやってきて、静岡市の中心街でホルモン屋を開業し、2号店を出すまでに成長させたものの、リーマンショックで一気に業績が悪化し廃業。
その時お店の常連だったお客さんに助言を貰い、新規にリサイクル業を立ち上げて現在に至るということでした。
七転び八起きという言葉がぴったりのバイタリティー溢れる人物で、私はその生き様にとても尊敬の念を抱きました。
会社員を続けているとどうしても「守り」の人生になってしまい、リスクのあることを無意識に避けようとしてしまいます。
それが悪いことだとは全く思いませんが、少なくとも私は自分自身がそのように変化を望まない人生を送り続けることに疑問を感じていました。
JRで勤めていた頃は確かに変化を望まない人間でしたが、会社での労働環境は年々悪い方へ悪い方へと変化していき、その変化にずっと苦しみ続けていたからです。
人生において変化が起こらないことなど有り得ない。なら自分から能動的に変化を起こしていける生き方をした方がずっと良い。
いつしかそう思うようになったのです。
そんな私にとって、この社長の下で学ばせて頂くことは、自分の人生を大きく変化させるきっかけになるだろうと確信していました。
結果的に犯罪者として裁かれるという形での大変化も起こったし、極道ではなく警察に拉致監禁されるという経験もしたわけで、それまで無難な人生を生きてきた私にとっては十二分に大きな変化が起こったと言えるでしょう。
そんな気持ちでリサイクル業のお手伝いをすることに向き合っていた私は、JR社員という社会的肩書きを失ったことについては何の悔いもありませんでした。
「JRの運転士からゴミ屋のバイトに」と言えば大きく転落したように聞こえますが、その先で目指している志が独立起業である以上、日銭を稼ぐだけの先が無い仕事とは全く思いませんでした。
私がこれからの1年間、社長のお手伝いをする上で最も意識していたことがあります。
それは、「頂く給料以上の利益を会社にもたらすこと」です。
少人数の小さな会社ほど、お金の動きが目に見えるようになります。
もし社長が私を雇ったことで、増加した利益が人件費を下回っていれば、私がその会社に存在する意味がありません。いわゆる「給料泥棒」ということになります。
そんな状態では、会社のお給料というバックアップが無くなった瞬間に食っていけなくなるわけですから、自営業を営むなど夢物語でしかありません。
だから最初こそ私の人件費で会社を赤字にしてしまうかもしれませんが、1日も早く仕事の要領を覚えて、給料以上に稼げるようにならなければと強く思うようになりました。
その気持ちがあると仕事を覚えることにも身が入るし、仕事の効率化も自主的に考えて改善が出来るようになります。
大企業に勤めているとそのお金の動きが見えないため、給料が安いとかボーナスが低いとか自身の待遇ばかり気にするようになりがちです。
しかし、自分はそもそもJRの社員として毎月いくら会社に貢献出来ていたのだろうか?と考えると、あながち安い給料を嘆いてはいられなかったのかもしれないと思います。
JR貨物で運行されている貨物列車は、その9割近くが赤字列車だそうです。
走らせるほど赤字が膨らむような列車の運転士をやっているのであれば、会社に利益をもたらしているとは到底言い難いです。だって走らない方がお金が残るんですから。
もしこれが小規模な企業であれば会社ごと潰れるのが時間の問題となるので、会社に対して給料を上げろとかボーナスを出せなどと主張している余地がないことは誰でも分かると思います。
しかし大企業、ましてやJRとなるとまさか会社が潰れることなど有り得ないと、社員は口には出さなくても心のどこかで思っているので、つい市場原理に反した物言いをしても通るように錯覚してしまうのだと思います。
それが労働組合という物の活動に繋がり、全く生産性の無いことにエネルギーを割く人間の増殖という結果に繋がっていってしまうのではないでしょうか。
会社では当時、「Fネット運動」と言って、社員のプライベートの人間関係から、JR貨物で荷物を運んでくれる荷主さんになり得る人を探してきてくださいね。というキャンペーンを社内で展開していました。
私は当時、まだ定年退職まで勤め上げるというビジョンを持っていたので、何かそういうご縁がないかと思い、母親が勤めていた住宅メーカーと引き合わせたことがありました。
結局輸送物が住宅用コンクリートパネルで、コンテナ輸送出来ない物だったことから打ち合わせのみで輸送契約の実現はしなかったのですが、そういう活動を全社員が真剣に取り組んだら、きっと赤字の貨物列車に1個でも多くコンテナが載るようになり、しっかり会社に利益をもたらすことになったと思います。
仮にJR貨物が社員数百人以下の小さな会社だったら、自分たちがやらなければ会社が潰れると思って全社員一丸となって必死に新規顧客を探すことでしょう。
しかし現実はそうではありません。労働組合活動に熱心な人に限って、会社が呼びかけているそういう活動に対しては「バカらしい」と全く無関心だったりします。
これでは会社の利益は全く増えないし、経営陣だって、そんな生産性のない社員に高い給料を支払おうと思わないのは当然です。
そして、社員は給料が安いことに不満を持ってさらにやる気が無くなり、社内での存在価値が薄れているにもかかわらず労働者の権利という物を主張し始める・・・非常に悪循環だと思います。
JR貨物の労働組合には「専従」と呼ばれる、JR貨物の社員として在籍していながら会社の業務に一切関わらず、組合費から給料を貰ってひたすら労働組合活動だけをやっているという人物が存在していました。そういう人間の存在はその最たる物だと思います。
しかしそんな人間の存在が社員として会社に認められているということは、その人間と表に出ないところで話し合いを重ねることで、会社にとっても労働組合を操作して有利にコトを運べるというメリットがあったからだと、当時の先輩方は皆言っていました。みんな自分が払った組合費からその人物の給料が支払われていることには、あまり納得していない様子でした。
今思えば様々な思惑が交錯した、非常に深い闇だと思います。
話が逸れましたが、私もたった6年半でありながら、勤めているうちに完全に大企業労働者の思考回路になっていました。
ですが小さな会社で社長直々から学び、お金の動きを見せてもらえたおかげで市場原理というものを肌で感じることができ、自営業で生きるための原則を自分自身に落とし込むことが出来たのだと思います。
まだリサイクル業の現場は1回職業体験させてもらっただけでしたが、色々お話も聞いたので仕事の流れは大体分かっていました。
この会社の売上げが自分の立ち上げた会社の売上げだと思って取り組もうと、非常に高いモチベーションで新しい仕事の初日に臨んだのでした。
しかし10月1日の朝、そんな気持ちで起きると社長がまだ起きていません。
寝室へ行き「社長、約束の時間ですよ」と起こしてみると、眠そうな顔で社長は目を覚まし一言
社長「昨日飲み過ぎて二日酔いやねん。今日は昼まで寝とってええで~。その後サウナでも行こか~」
私「え?・・・あ、はい。ありがとうございます・・・」
あまりに自由奔放な振る舞いにあっけにとられ、なんだか拍子抜けしてしまいました。
しかし、全てを自分で決められるという生き方を目の前で見せ付けられた気がして、心の中では感動している自分がいました。
自分もいつか、人に縛られない、そんな自由な生き方を手に入れたい。
純粋にそう思えた瞬間だったのです。
次回に続きます。
この話の続きはこちら。
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大企業と自営業の比較については大いに議論の余地がありますが頑張って下さい。
>西日本さん
同じ仕事という枠組みであっても、在り方の違いにここまで差があるのかと思いました。
どちらが良い悪いではなく、その人間にとってより良い居場所を選択することが大事だと思います。ですが、他の生き方という選択肢すら知らずに一つの場所に留まり続けることだけは、絶対に避けるべきだと感じました。