前回の話はこちら。
貨物列車の運転士という仕事を続けたいと思って張っていた最後の糸が切れ、自分でも驚くほど唐突に退職を決意した私。
人間は決断した時、初めて「行動」というレベルで物事を考えることが出来るようになります。
それまでは様々考えることはあっても、結局は「たられば」の話でしか物事を考えられません。
このまま運転士を続けたら痔が再発して、また入退院を繰り返すようになって・・・
もし運転士を辞めたら、今以上に自分がやりたい仕事には巡り会えないんじゃないか・・・?
そんな不毛な押し問答を繰り返すばかりで、結局は「行動しない理由探し」になっているのです。
しかし、一度こうすると決断してしまったら、じゃあこれからどういう行動を起こしていくかという話になりますから、ようやくプラスの前進が見られるようになります。
私は運転士を辞めてどうするかを考えた時、まず二つの選択肢を考えました。
1つはJR貨物の社員として在籍し続け、駅員等の他職へ転勤させて頂く
もう1つは会社自体を退職し、転職して違う仕事で生きる
どちらを選ぶかによって、人生は大きく変わってきます。これは当時の私にとって、今後の人生を決める大きな決断だったと思います。
もし運転士を降りれば身体は楽になるかもしれません。しかしその分給料も下がり、生活はもっと厳しくなります。
一方、転職すれば逆に収入アップも見込めるかもしれません。仕事も違う意味できつくなるかもしれませんが、毎晩自宅でしっかり睡眠が取れればそれでいいと思いました。
このときの私は、慢性的な睡眠不足の影響で「給料は要らないから寝かせてくれ・・・」と思うくらい、本当に睡眠に飢えていたのです。
検討の結果、まずはJR貨物の社員として在籍し、他職へ転勤させて頂くという道を模索することにしました。
過去に運転士の先輩方でも、体調を理由に運転士の職を降りた人を何人も見ています。些細な運転事故が原因で降ろされた人の方が圧倒的に多いのは事実ですが、疾病を理由とした転勤願いであれば、話は聞いてくれるのではないかと思いました。
それで転勤が叶えば、運転士という仕事からは離れても、好きだった鉄道の仕事には今後も関わっていられる。自分の中での妥協点としては理想かもしれないと思いました。
しかしそれは自分の都合であることも分かっていて、会社的にいきなり受け入れる職場が無いのであれば、素直に退職し、転職の道を選ぶということも同時に決意して行動に移ることにしました。
もっとも、事故で降ろされて二度と乗務が叶わなくなった運転士は、どこかしらの職場が用意されて転勤していたものですから、行く職場が無いということはあまり考えていませんでしたが。
職を降りるにあたり、まずは現場長に相談する必要があると考え、運転課の課長に時間を取って頂きました。
既に痔の悪化により仕事に穴を空けがちになっていた私でしたので、事情を説明し、運転士の職を降ろして欲しいと申し出ました。
課長は驚いた様子でしたが、「なんとか考え直してくれないかな?」と私を説得する姿勢でお話をされていました。
しかし、私は既に運転士という仕事を続けるか続けないか?という次元では物事を考えていなかったので、そこは素直にお断りし、体調の面もあるので出来るだけ早期に他職へ移して欲しい。部長にもその旨を伝えて欲しいと嘆願して最初の話し合いを終えました。
それから1~2週間後、再び時間を取って頂き、その後の進捗について聞いてみました。
しかし、課長の口から聞かされたのは今後のことではなく、もう一度考え直して欲しいという話で、何の進展も見られませんでした。
さらに、引き止めるための口実として「主任運転士への昇職試験を受けてみないか?」という提案がありました。
昇職試験には現場長推薦という制度があるそうで、現場長として指名することで合格率を上げることが出来るらしいです。
ですが、これはお門違いな提案です。
私はこれ以上の痔の悪化を避けるために運転士の職を降りたいと申し出ているのに、昇職試験を受けて主任運転士になることは何の問題解決にもなりません。
それに、私は社内で昇職試験に有利になるような評価を受けられる時間外活動には一切参加していませんでしたので、現場長として私を推薦出来る要素も皆無だったことと思います。
もし私のような人間が推薦されるとしたら、評価を受けるためにプライベートの時間を割いて会社にやってきて、真面目に時間外活動に精を出している他の同僚たちに説明がつきません。有り得ない話だと思いました。
私は丁重にお断りし、次回部長に相談できるよう取り次いで下さいとお願いして、2回目の話し合いを終えました。
こうしている間にも、私は身体に不安のある状態で日々の乗務をこなしており、正直猶予がないと感じていました。
ここまで先を急いだのにはもう一つ理由があります。それは以前睡眠時無呼吸症候群の治療法に関して会社に相談した際、結局その意思決定を聞くまで1年以上待たされていて、未だに結論を聞けていなかったことです。
以前の記事でボトムアップの意見がほぼ聞き入れられないと書きましたが、それは大局的な話だけに留まりません。
こういった個人の処遇に関することであっても、上が決めたことには直ちに従い、下が申し出たことは永遠に保留される。そんな社風であることを肌で感じていたためです。
自分の身で経験してきたそんなことを思うと、今回の話も向こうからアクションがあるのを待っていては人生が終わってしまうという危機感すら抱いていたのです。
睡眠時無呼吸症候群の治療法に関する意思決定は、結果的に私が退職するまで結論を聞かされることはありませんでした。
そして数週間後の3回目、今度は部長のいる総務課へ課長の同伴で出向くことになり、部長に直接事情を説明して今後の処遇を検討して頂こうと思いました。
そしてこのときの部長との面談が、私のその後の人生を大きく左右するきっかけとなったのでした。
続きはまた次回に。
この話の続きはこちら。
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待ってました
人間は決断した時、初めて「行動」というレベルで物事を考えることが出来るようになります。
私が行動できない理由が決断だと気付かされました
猶予期間のない待ったなしの危機的状態ですね。部長との面談の話待ってます。
>西日本さん
いつもお読みくださりありがとうございます。
このようなブログから、何かを見出して頂けたのでしたらこの上なく有難く思います。
今の自分が置かれている状況でいくら頭を使ったところで、そこで考えられる可能性はたかが知れていると感じました。会社員だった頃の私は、頭で考えるばかりで行動しない人間だったと思います。
今では何かを始める時、結果的にどうなるかわからないのでまず決めてしまい、それに向かって行動していくことで新しい道が開けるのだと信じています。