前回の話はこちら。
正社員で年間休日数120日以上という条件さえ満たしてくれればいいと思って始めた転職活動ですが、ことごとく上手くいかずに心が折れかけていた私。
とうとうその条件を捨て、自動車整備士として正社員で転職出来る仕事はないかと探すようになりました。
今の時代、地方では自動車は一家に一台どころか、一人一台持っていてもおかしくありません。
そんな商品を扱う仕事であれば、仕事の選択肢も沢山あるだろうと思ったのです。
実際、探してみると自動車整備士を求人している会社は沢山ありました。
これならすぐに決まるのではないかと思えて再び活力が湧いてきましたが、短大だった時代から自動車整備士の仕事はブラック職場が多いと言われていましたので、選ぶ時は慎重になる必要がありました。
そうなると、まずは名の知れた会社から探してしまうわけで、静岡県東部で探してみると、まず出てきたのは「伊豆箱根鉄道」という会社。
ここは文字通り鉄道会社ですが、路線バス事業もやっているため、そのバスの整備士を募集しているということでした。
バスを弄るというのは面白そうだと思って早速電話で問い合わせをしてみましたが、ここで現実を思い知ることになります。
私「初めまして、加納と申します。転職サイトでバス整備士の求人を拝見してお電話したのですが。」
会社「ありがとうございます。加納様は以前はどちらでお仕事をされていましたか?」
私「JR貨物という会社で働いておりまして、まもなく退職見込みです。」
会社「あ・・・整備士としてのご経験は何年ほどございますでしょうか?」
私「整備士の資格は持っているのですが、実務経験はありません。」
会社「そうでしたか~、でしたらすいません。あくまで経験者を募集しているものですので。」
私「えっ・・・資格があっても使って頂けないのですか?」
会社「はい、整備士として経験をお持ちであれば歓迎なのですが、未経験ですとウチでは採用いたしかねます。」
・・・以下略
なんと、私が最終手段として拠り所にしていた自動車整備士の資格すら、実務経験が無ければ無価値同然だったのです。
2年間短大へ通って取った資格が、新卒で自動車業界に行かなかったがために活かすことが出来なくなっているわけです。さすがにショックを受けました。
しかし、これは立派な鉄道会社のバス部門であるからだろうと思い、めげずに他の会社にも問い合わせてみました。
この時点で既にテンパっており、ブラック職場に気を付けなければとか、そういう考えは頭からすっ飛んでいました。
会社「はい○○です。」
私「初めまして・・・(以下略」
会社「あー、実務経験をお持ちでないと難しいですね。こちらとしてはウチの社員に技術的な指導をしてくれる整備士を募集してますので。」
私「・・・」
更に問い合わせを続けます。
会社「お電話ありがとうございます。株式会社○○です。」
私「初めまして・・・(以下略」
会社「26歳で資格をお持ちなのにご経験が無いとなると・・・ちょっと厳しいですねぇ。」
私「やはり実務経験があることは重要なのでしょうか?」
会社「そりゃそうですね、整備士のご経験がありませんとあなたの技量が分かりませんので。こちらとしてはすぐに一人で整備の仕事をやってくれる人を求めてますんでねぇ。」
私「・・・」
その後も、静岡県東部で見付けた自動車整備士の求人に何件も応募の電話を入れてみましたが、どこも実務経験がないことを理由に門前払いされてしまったのです。
それもそうです。冷静に考えてみれば、自動車整備士の資格を取っておきながら6年間も自動車業界の外に居た人間など、人材としては採用するメリットが一切ありません。
資格だけ取って実務経験をせずに歳を取った人間を採用するくらいなら、自動車短大や専門学校を出たばかりの若い人を採る方がいいに決まっています。
さすがに参ってしまいました。自動車整備士であれば働く先はいくらでもあるだろうと思っていたのに、転職者という枠組みに入ると実務経験があること。すなわち整備士として即戦力になることが最低条件となっていたのです。
自動車整備士の転職者を求めている会社に、26歳で整備未経験などという人間を悠長に育てている余裕は無いと言わんばかりの現実が突きつけられました。
私はいよいよ転職自体が出来ず失敗に終わる可能性が見えてきて、恐ろしくなってきました。
JR貨物の部長が言っていた「転勤先を考えなくはない。いつになるかは分からないけどな」という言葉を頼りに、いつか転勤先を用意してくれることを祈りながら、身体に鞭打って何年も運転士を続けるという未来が頭をよぎり、軽い吐き気を催すような脱力感に苛まれました。
既にメンタルがかなり押し潰されていた私は、再びこの不遇を嘆くようになりました。
学生時代から始まった波乱の人生を振り返って、結局自分は鉄道の運転士という仕事に就くことに固執したがために、人生を台無しにしてしまったのではないか?と感じました。
『高卒でJRに入って運転士になる。』
そういう目標を掲げていた私と、
『進学校で勉強し、いい大学へ行き、医者か国家公務員になれ。』
そう言って厳しい教育をさせようとしてきた親。
それに真っ向から対立して、結果的に自分の意見を押し通した私。
その選択肢は根本から間違っていて、最初から職業に夢なんか持たずに親の言うとおりにしていれば、こんな人生にはならなかったのかな・・・。
もしJR貨物という会社がもっと働きやすい所だったら、自分は幸せに運転士として勤め上げられたのに・・・。
先輩方はみんな国鉄時代は良かったって言ってる。自分がこんな時代に生まれてきたせいで夢が叶わなかったんだ・・・。
そんな感じのマイナス思考なことを色々考えて、今更後戻りなど出来ないと分かっていながらも、自分が夢を追ったことへの後悔が溢れてきて泣きたいほど悔しい気持ちになりました。
いや、腹が立ったと言った方が正しいかもしれません。当時の私はまだどんな不遇でも原因は自分にあるということを理解できておらず、上司や会社、時代や世の中のことを恨みました。
このときの私は、家族からも「顕史郎は負のオーラが出てる」と言われるくらいで、相当なマイナス思考の塊だったようです。
八方塞がりとなった転職活動。
このまま断念かと思っていたのですが、思わぬところからこの状況を打開する兆しが見えたのでした。
次回に続きます。
この話の続きはこちら。
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短い期間での投稿お疲れ様です
すっかりこのブログを見るのが日課になりました。
思い当たるところがあり、感情移入してしまいます。私は罪を犯していないためどういう生活なのか到底想像がつかないし、むしろ失礼かもしれません。
しかし、夢や絶望感は似たようなところがあり、そうだよなあ、と共感するところがあります。
次回作も待ってます。寒いですがお気をつけて下さい。
>西日本さん
いつもお読み頂きありがとうございます。
このような犯罪者に感情移入して頂くのは危険なことかもしれません。ですが犯罪という形で表に出なくても、仕事が上手くいかないとか、人間関係で悩んでいるとか、そういうことであっても深く悩むことはあると思います。
人の悩みはみんな違います。自分なりに答えが出せればいいと考えて、今後も気持ちの整理をしていきたいです。