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自動車短大で学んだこと ~ポンコツ車が教えてくれたもの~

前回の話はこちら。

高校からの進路を決める ~目標がないから楽しそうなことを選ぶ~

周りのみんなが知っていることを自分だけが知らなかった場合、自分の存在が場違いに感じることはないでしょうか?

全く聞いたことがない話を、周りのみんなはさも常識のように語り合っている。

そんな中で「なにそれ?」と聞けば、周りからは非常識な人間だと思われて恥ずかしい思いをするかもしれません。

 

普通科高校を出た私が選んだ自動車短大の授業は、そんなアウェー感に苛まれながら過ごす時間に他なりませんでした。

自動車整備士を目指して岐阜県の中日本自動車短大へ進学した私は、本格的に車の勉強を始めることになります。

興味はあったものの、普通科高校を卒業したばかりの18歳には車のような工業製品の知識は皆無でした。

同級生には工業高校を出た者も多く、同じクラスの生徒は自分以外みんな基礎知識を持っているように感じて不安になった時もありました。(この短大は実習を行うため、高校までと同じようにクラス制となっていました。)

 

実習もいきなりディーゼルエンジンの噴射ポンプを分解整備するというもので、BTDC何度とか・・・先生もそんな用語を平然と使う物ですから全く意味不明でした。

それでも高校時代はエアガンやラジコンといったオモチャのメカ弄りは得意だったので、業界用語の意味が理解できるようになってくるとなんとか付いていけるようになりました。

とはいえそんな上辺の勉強だけでは、使える技術が身に付くことはありません。

岐阜へ引っ越した際に生活の足として50ccの中古スクーターを買ってもらったのですが、そんな簡単な構造のバイクすら、何かあれば整備経験のある友達に直してもらう始末でした。

 

転機があったのは入学して半年後くらいのことです。

日々車に触れていると自分の車が欲しくなってしまい、親からお金を借りて中古車を買うことにしました。

入学時よりガソリンスタンドでアルバイトを続けてきたこともあり、多少のお金は貯めることが出来ていました。

高校時代にグランツーリスモというゲームにハマって以来、欲しいと思っていた車。

それは旧型のローバーミニクーパーでした。

小さくて可愛い見た目でありながら、立派なクラシックカーとして個性がある車でしたので、ずっと自分の物にしたいと思ってきました。

価格も当時は20万円台から入手できる個体があり、古い車なので整備士を目指している自分にとっては良い教材にもなると思いました。

 

そして出会ったのは、黒いボディに白い屋根のお洒落なミニクーパー。

マニュアル車で24万円。当時の私には理想的な一台でした。

 

しかし安く買えたと喜んでいたのも束の間、案の定ミニはポンコツで、初っ端からあちこち壊れまくりでした。

専門店に持っていけば、エンジンマウントが千切れているから今すぐ溶接が必要と言われ、いきなり5万円の出費・・・

その後もオルタネーターという発電機がおかしくなってバッテリーが死んだり、点火系統がおかしくなってエンジンが不安定になったり、寒くなるとエンジンが掛からなくなったり、球切れしていないはずのライトが点かなくなったり・・・

本当にあちこち壊れて、なけなしの貯金は見る見る消えていきました。

 

程なくしてお店に預けるお金が尽きた私は、同級生の中でそれなりに整備の技術を持っている人間に頼み込んで作業をやってもらうという手に出ました。作業のお礼は1000円以下の食事を奢る程度が精一杯でしたが、それでも手伝ってくれる人はいました。

しかしある時、社会人経験のある8歳年上の同級生にミニクーパーの整備をやってもらっていたところ、彼が途中で作業を放棄して帰ってしまうということがありました。

「これ部品足りないから仕上がらないよ。俺には責任持てないから帰るわ。」

そう言って、さじを投げられてしまったのです。

しかし、自分ではどうしようもないので、「なら元の状態に戻して欲しい」と頼んだのですが、このあと忙しいからと取り合ってもらえず、バラされて動けなくなったミニクーパーが駐車場に放置された状態となってしまったのです。

 

今思えば、この経験が私の考えを大きく変えたきっかけになりました。

その時は悲壮感に苛まれましたが、自分も整備士を目指しているんだから自分の手でなんとかしようとして、ネットオークションで中古パーツを探し、自分で取り付けに挑戦するようになりました。

恐る恐るエンジンルームに手を突っ込み、まだ手袋をするとか考える頭すらない状態で、手を真っ黒にしながら工具を握りました。

そして、バラされたままだったパーツを元通り組み立てられた時、私は今までに感じたことのない充実感を得ていました。これが車を弄るということなのかと・・・。

 

高校時代、レースゲームで車を速くするためにパーツ交換するのは、ボタン1つで一瞬で終わることでした。

しかし、実際に車のパーツを換えるということは、汗をかき、油にまみれて、苦労して行うものなのだということを身をもって学びました。

結局このとき組み上げたパーツは表裏を逆に組んでいて、後日ショップでダメ出しを食らいました。しかし、この作業がきっかけで、私は仕上がった時の達成感に喜びを感じるようになったのです。

それ以来、私はぐずる車と向き合いながら、パーツと工具を買い漁り、自分で車に向き合っていくようになります。

アルバイトもガソリンスタンドは時給が安かったので、より待遇の良いクロネコヤマトの仕分け場での夜間作業に従事し、とにかく車のために日々を過ごすようになりました。

 

ポンコツのミニクーパーが私に教えてくれたことは、機械を弄ることの楽しさでした。

その楽しさの価値は、この車の修理に掛かった費用を遥かに上回るものだったと確信しています。

 

初めてのバイク、初めての車、初めてのアルバイト。短大に入って最初の1年は何もかも新鮮な経験でした。

それは同時に楽しい時間でもあり、まだまだ若かったこともあって苦労は感じませんでした。

あっという間に過ぎ去った1年生が終わり、短大なので2年生になるともう就活です。

再び進路と向き合う時がやってきました・・・

 

この話の続きはこちら。

20年前の求人票から ~すべり止めと記念受験~

ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。

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