このブログで書いていることは、簡単に言えば一人の犯罪者の身の上話です。
多くの人にとってはどうでもいいことであり、そんなつまらない内容のブログを誰が読むのか?なぜ前科が付いてから2年近くが経った今書くのか?と思われることでしょう。
私自身、自分の実名を公開して過去の醜態を晒すなど、これ以上馬鹿で愚かなことはないと思いました。
ですが、このブログを書き始めた背景には、留置場を出て、裁判を終え、執行猶予生活が始まってから自分の身に起こったことが深く影響しています。今日はその背景について少し語りたいと思います。
私は今、家族と住んでいた実家を離れ、自分に何の縁もゆかりもない場所で一人で暮らしています。
当時家族に申し訳が立たなかったという気持ちもありましたが、顔見知りの多い地元から距離を置きたかったというのが本音だったと思います。
当時お手伝いをしていたリサイクル屋の社長は、「家族と暮らすのが辛ければ居候で今後も働いてくれていいよ」・・・と、私の居場所を用意してくれました。
しかし社長には逮捕当時刑事が乗り込んできたり、あらぬ疑いを掛けられたりして多大なご迷惑をかけていて申し訳無さ過ぎたし、当初から1年という約束でお世話になり始めたものですから、有罪判決が出たのが8月半ば、お手伝い開始から1年が9月一杯という時期的なタイミングもあり、そのまま身を退かせて頂きました。
サラリーマン時代、酒もタバコもやらず、趣味で買い集めた物は売って手放せば現金に戻るような物が多くて、それが幸いして貯金の切り崩しと趣味で集めた物の売却で、当面の生活費はやりくりできるだろうと思いました。
そのため、私の過去を知らない人しかいない場所に移住し、どこにも勤めず、大人しく静かに執行猶予期間を過ごそうと思って地元を離れることを決めました。
大事にしていた車を売り、バイクも大半手放して、コレクションした趣味の物も、生活費の足しになる程度のペースでネットオークションで手放していくことにしました。
私に言い渡された執行猶予は3年間。家賃の安い田舎で質素な生活をしていれば、十分に賄える見込みはありました。
その気になればどこかへ就職することだって出来たのでしょうが、とてもそんな気持ちにはならなかったし、履歴書の賞罰欄に「窃盗罪、執行猶予中」などと書けばまず採用されない。
隠して採用されたとしても、ネットに私の実名で事件の記事が残り続ける今の時代、同姓同名の人間がいない私は、いずれ何らかの形でバレて大事になることが容易に想像ができました。
正直、3年後に執行猶予が終わったからといって何かが変わるとも思えませんでしたが、少なくともその3年間は、刑務所に入れられたのと同然と考えて人との関わりを絶ち、静かに過ごそうと思ったのです。
私が移住したのは、人口数千人の小さな自治体です。そこで家賃の安い公営の住宅を借り、軽トラ1台を足代わりにひっそりと暮らし始めました。
携帯電話を持ち歩くことをやめ、腕時計はもちろん家にすら時計も置かずに、ただ太陽の流れに合わせて起きては寝てを繰り返すような、質素で淡白な生活が始まりました。
ですが秒単位で管理され、睡眠時間を削って働く仕事で身体を壊し、逮捕から裁判で有罪判決を受けるまでの一連のプロセスを経て心身共にボロボロだった私は、時間すら気にせず、ただ何もせずに過ごす時間がこの上なく有り難いものに思えました。
貯金が底を尽きたら・・・などと、考えることすら馬鹿らしくなるくらい、投げやりな気持ちでいたと思います。
しかし、一つだけ予想していなかったことがありました。
それは、小さな町では周囲の人は温かいということです。
一人の若者が突然住み始めて、駐車場には見慣れない軽トラが置かれている。
それだけで、近所の人は興味を持って私に声を掛けてくれるようになりました。
どこから来たの?一人で来たの?どうしてこんな田舎に来たの?仕事は何してるの?・・・
色々質問攻めにあうことも少なくありませんでした。
言い辛い真実ばかり持ち合わせていた私は正直に答えられませんでしたが、私の過去に左右されず、一人の人間として向き合って下さる地域の方々の接し方が素直に嬉しかったのです。
逮捕されて以降、私をそのように見て下さる人と接することがほとんどありませんでした。
どんなに気にしないと言ってもらえても、過去を知っている以上、無かったことにすることは出来ません。
お互いに気を遣うし、私自身、気を遣って頂いていると思う事自体が息苦しくて、言葉に表せないプレッシャーのようなものを感じて精神が参っていました。
そんな状況で、久しぶりに感じた純粋な人間関係。
それは枯れ果てた心に水を与えてくれたかのようで、他愛もないことなのに、不思議と涙がこみ上げてくるような熱い気持ちになっていました。
男の一人暮らしだからと、お隣さんが夕飯のおかずをおすそ分けしに来てくれたり、家の周りの草刈りを手伝ってくれたり、仲間内での夜の宅飲みに招待して下さったり・・・
地元に居た頃にはあり得なかった人の温かさに触れて、「何もせずに過ごす」と決意していた私の心は簡単に揺らいでしまいました。
「私も、この地域の方々のために出来ることがしたい。」
いつの間にかそんな気持ちが芽生えていました。
そしてある日、地域で小さな文化展のような行事があり、そこに趣味で作った作品を展示してくれないか?というお声掛けを頂きました。
私はかねてより鉄道模型作りが好きだったのですが、そのことを聞いた地域の方が気を回して下さったようです。
先述のような気持ちになっていた私は「お役に立てるならもちろんです」と快諾し、模型を製作して出展することにしました。
しかし、その時に事件が起きました。
その文化展の告知のため、実行委員会のホームページに私の名前が載ってしまったのです。
私の実名が、初めて事件以外の内容でインターネットに流れた瞬間でした。
それだけで何も起きなければ特に問題ありませんでしたが、残念ながら恐れていた事が起きてしまったのです。
私の名前をインターネットで見つけた何者かが、私が逮捕された時の新聞記事をコピーしたものを実行委員会、町の観光協会、さらには町役場にまで送りつけてきたのです。
ある日実行委員会の担当者さんに呼ばれ、お邪魔すると神妙な面持ちでその手紙を私に見せてくれました。
送られてきたコピーには3新聞分の記事をスクラップしたものが貼付けて印刷されており、ご丁寧に私の名前部分に蛍光マーカーで線まで引いてあり、封筒の宛名はパソコン印刷。差出人は当然無記入、さらには3箇所に送りつけた手紙が各々郵便局の消印まで変えてあるという手の込みようで、私の過去を知らしめて陥れてやろうという悪意に満ちた内容になっていました。
ここで気になったのは、事件の記事がネットからのプリントではなかったことです。
この時点で逮捕されてから1年10ヶ月ほど経過しており、その新聞が発行されてからは相当な時間が経っています。
つまり、サラリーマン時代の私のことを知る誰かが、私が逮捕された当時発行された新聞からその記事部分だけ切り抜いて(それも新聞3社分の記事)後生大事に保管しており、ネットで私の名前を見付けるや否や、それを引っ張り出してきて送り付けてきたことになります。
逮捕時の報道のタイミングで、赤の他人の事件の記事にここまで手間を掛けるでしょうか?まずあり得ないと思います。
それを当時のうちからここまで手の込んだことをしていたとなれば、もう勤めていた会社の関係者以外には考えられず、改めてそういう人間がはびこる会社の恐ろしさを実感しました。
しかし、誰がやったのかとか、それが卑怯だとか、そんなのはどうでも良かったのです。
このとき私が最も案じたのは、第三者の悪意によって私の過去を知ってしまった地域の方々の心境です。
それまで普通の若者だと思っていた人間が、実は犯罪者だった。
それを知ってしまったら、普通の人はとても恐ろしい気持ちになるのではないでしょうか。
犯罪者とも知らずに家に上げてしまった。
犯罪者とも知らずに仲良くしてしまった。
犯罪者とも知らずに・・・・・・
きっと戸惑われたでしょうし、怖くなったかもしれません。申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
私はこのとき、この町にもそろそろ住めなくなるかな・・・と思いました。
人口の少ない町では噂が広まるのは早いです。近所の人だって、犯罪者が隣近所に住んでいたら嫌だと思うのが普通でしょう。
今まで良くして頂いてきた分、余計に申し訳ない気持ちになり、私がいなくなることが地域の方々へのせめてものお詫びになるのではないかと思いました。
また住居を移しては誰かに晒され、また移しては晒され・・・
そんな肩身の狭い生き方しか許されないのかと、ネットに名前の載った前科者の厳しい現実を改めて感じることになりました。
メンタルの弱い人ならとっくに自殺してるかもしれません。間接的に人を追い込んで殺しても日本の法律は犯人を裁けませんから、法律に引っかからないように非人道的なことの出来る手紙の送り主は賢いなと思います。
しかし、地域の方々の反応は私の予想とは違いました。
その手紙により私の過去を知ってしまった人は、
「過去にどんなことがあっても、今の加納くんはそんな人じゃないから大丈夫だよ。むしろこんな手紙を送ってくる人の方が怖いし、捕まるべき。」
「人をあやめたわけでもないのに、おおごとになって大変だったね。」
「誰にだって言い辛い過去はあるでしょ。それを見えない人間に蒸し返されるなんて怖かったでしょう。」
と、私を励ましてくれたのです。
また、手紙の届いた文化展の実行委員会では、この一件をどう処理するか役員会議まで開いて下さったそうです。
その会議には、地域の重鎮の方々が大勢出席しており、地域に関わることですから今後の処遇について慎重な結論が出るだろうと思っていました。その役員の中には、私の家の斜め向かいに住んでいる方も居たそうです。
しかし、こちらも結果は私の予想と異なり
「加納さんの過去とこの文化展は一切関係ないし、今ここで犯罪を起こしてるわけではないので何ら問題ありません。せっかく参加して頂いたのですから、来年以降も是非ご参加を・・・」
と、これ以上ないくらい嬉しいお返事を下さいました。
これは本当に予想できなかった結果で、改めてこの町の人の温かさを感じ、私のような人間にも居ていい場所があるんだ・・・と、心から嬉しい気持ちになりました。
そして、この一件で私の中に心境の変化が現れました。
私自身が陰湿な人間に貶められることは、自分で撒いた種ですから仕方ないと割り切ることが出来ます。
しかし、事件の後に知り合った人が私の過去を突然知ったことによって戸惑ったり、恐怖感を覚えたり、迷惑を被ることは絶対に避けたいという気持ちになりました。
そのためには過去を隠そうとすることをやめ、自らがその過去を公にしていかなければならないと考えたのです。
執行猶予が終わっても前科は前科。消える訳ではないしネットには一生残ります。
つまり3年後に再就職をしようとしても、結局いつかは何らかの形で知られてしまうことでしょう。
仮に自分で商売を始めたとしても、代表者として自分の名前が公になれば、必ず今回のような人間が現れてきます。
だったら消えない過去を隠そうとするのはやめて、先に自分の口からこの過去を明かして、理解してくれた人とだけ付き合うようにしたらいいと思いました。
以降、新たに知り合った人に「なぜここに住むことにしたの?」と聞かれたら、正直に経緯を話すようにしました。
すると、本当に全員がそれを受け入れて下さり、今の私に一人の人間として向き合って下さるのです。
それ以来、今まで嘘をついてごまかしていた自分の過去を正直に言えるようになり、私自身の心境も何かつっかえている物が外れたような晴れやかな気持ちになりました。
執行猶予終了後、もし再就職をするために面接を受けることがあれば、履歴書にはしっかりと
「窃盗罪、懲役1年4ヶ月 執行猶予3年 〇〇年〇〇月〇〇日終了」
と書きます。
それを承知した上で面接をしてくれる会社があれば、
「私にはこういう過去があって、こういう経緯で今ここに住んでいます。過去を知った地域の皆さんは、こんな私を遠ざけるのではなく、温かく受け入
れて励ましてくれました。そんな心優しい人たちの住むこの町に貢献したくて、私はここで働きたいと思っています。」
と、正直に答えようと思いました。
商売を始めるにしても同様です。
「こんな過去を持つ私を受け入れてくれたこの町に貢献したくて、ここで商売を起こしました。」
そう言い切れるような代表者になろうと思いました。
これが、タイトルに書いた「なぜ実名でこのブログを書くのか?」という疑問の答えです。
私の過去を偶然ネットで知ってしまった隣人が、事件の記事のような表面的な事実だけを読んで戸惑い、恐れることのないようにしたい。
なら、私の実名で検索した時にこのブログが同時に表示されるようになれば、このブログにも目が留まるはず。
だからブログを読んで背景を知り、安心してほしい。その上で今後の人間関係をどうするか決めてもらえたらいい。
そんな思いで、バカとも思える実名公開で前科を晒すというこのブログを書き始めることを決めました。
いわば、一生消えない過去を含めた自己紹介の一貫のようなものです。
私はこのブログを、将来知り合う人のために書いています。
私の過去を知らない人とお知り合いになった時、私という人間とどう付き合うか。もしくは付き合うことをやめるか。その判断材料にして頂くために。
(追伸)
もしかしたら、私が勤めていた会社に現在勤めていらっしゃる方もこのブログを読んでいるかもしれません。
そういう人が読めば決して気持ちの良いものではないし、馬鹿だ、非常識だ、異常だと、好き放題言いたくなることでしょう。
一人が知ればとっくに社内に広まっているかもしれません。なにせ7000人近く社員がいる会社でしたから。
ですからこの場で先に謝っておきます。不愉快な思いをさせてしまい申し訳ございません。
ですが、会社の皆様にどう思われようが、どんなに罵られようが、私はこのブログを先述した理由で書いています。
あなた方組織の中の誰かが自己満足の私刑で私を潰そうとしている以上、私が住んでいる地域の人はもちろん、今後出会う人とのつながりを維持するためには、このような方法しかないのです。
もしかしたら、あの手紙を送り付けてきた張本人もこのブログに辿り着いているかもしれませんね。
あなたの思惑通り、私はとても嫌な思いをしましたし、辛い気持ちになりました。あなたの企みは成功ですよ、おめでとうございます。
ですが、私以外の多くの人の心まで傷付け、迷惑をかけたことは自覚した方がいいと思います。そういう人間が存在する会社だということを一般の人に知らしめて、自身が勤めている会社の名誉も傷付けたかもしれません。
到底私が言えることではありませんが、逮捕されたり前科が付かなかっただけで、やっていることは事件を起こした時の私と同レベルの行為ですよ。
仕事への不満は多いかも知れませんが、それなりのブランドのある看板を背負い、社会的地位のある高尚な仕事だと思います。
底辺まで落ちた私だからこそ、この時代に正社員として仕事があり、収入が約束されているあなたの仕事はとても価値あるものだと心底思います。
そんな会社に勤めながら底辺に落ちた部外者を更に引き下げて自己満足に浸るくらいなら、ご自身の勤める会社に貢献することを考える方にエネルギーを使われたらどうですか。
長い記事になってしまいましたが、ふと思い立ったので書きました。
どうせ明日も明後日もやることは無いし、あと1年はただ貯金を食うだけですからね。
【2019年2月15日 追記】
この記事で紹介した嫌がらせの手紙の内容を公開しました。新しい記事はこちら。
この記事のカテゴリ「前科者の現実」に関する記事一覧はこちら。
誰と過ごすのがベストなのか?
人に恵まれたのは大きいことですね。捨てる神あれば、拾う神あるですね。反省していたから神様がもう一度チャンスをあげよう、というふうに見えましたね。都会では人とのふれあいはあまりないですよね。 軽微とは言え、有罪判決を受け入れてくれたのは田舎の人ならではのやさしさでしょうね。
前職の人は住んでる地域もこのブログも恐らくマークしているでしよう。荒らし行為がないように見えるので、淡々と眺めているのではないかと推測されます。実名だから当たり前ですけどね。ただ、一介の読者からすれば、前職の人はブログ主を貶めたいという気持ちより、うらやましいと思っているんではないでしょうか。これまでの記事を読んでみると息のつまる職場、きつい仕事であれば、たしかに所得も仕事もないけど、人に恵まれてルールに縛られず自由に生きてるブログ主が羨ましく見えるのじゃないでしょうか。
生きていれば誰でもやっかみも出てきます。前職の人も、これからも思い出したようにちょっかいはかけてくるでしょう。人の噂も75日ではないですが、そのうち飽きてきます。これまで通り淡々とブログ主には生活して欲しいものです。
元同僚のものです。
色々悩み苦しみ、我々には図りがたい思いを抱えながらも
自暴自棄にならず前に進もうと決意して今に至っているのだと慮り、ブログ記事拝見いたしました。
実名でこれまでの経緯を公開するという事がいかに勇気がいることかお察しいたします。
無事で元気にやってくれていればいい、そう思ってコメントなどはつけず、見守ろうと考えていました。
しかし、今回の記事に関しては黙っていることができません。
記事本文については素敵なエピソードだと思いますが、追伸の内容ですべてが台無しになっていると感じます。
中傷の手紙を送った主が元同僚と断定する理由が納得できません。
過去の新聞記事なら図書館へ行けば何十年前のものでも縮刷版があり、だれでも閲覧、コピーが可能です。
それだけで共に苦労を分かち合った元仲間の犯行だというのですか?
もちろんあなたの話は職場内で時々話題に挙がります。
ブログの内容に関しても本当に反省しているのか懐疑的な感想の方がいることは否定しません。
まだ話が途中なので、それも致し方ないことかとは思います。
しかし、自分の知る限り、職場内にあなたの人間性を悪く言うものはいません。
ましてや、やってしまったことを真摯に受け止めて再出発しようとしている、あなたの邪魔をしてやろうなどという根性の悪いものは皆無です。
むしろあなたが構わないならば会いたいという人が多く、自分もその一人です。
様々なことがありましたから元の職場を悪者にしたい気持ちもわからなくはありません。
でも、あなたとういう人間と向き合って大変な仕事も乗り越えてきた仲間ではないのですか?
少なくとも自分はそう考えており、その点では今のあなたの周囲の方々と変わりがないのではありませんか?
そのため、言いがかりともいえる決めつけ、そしてその上での元同僚と推定した犯人に対する言いよう、とても受容できません。
あなたはこの犯人にとても傷つけられ、周囲の方々の気持ちにも思いを巡らせていますが、我々は考慮に値しない無価値な人間どもなのでしょうか?
あなたのブログにおいては我々も実名で挙がっているのと同じです。
つまり我々はこんな恥知らずな人間の集団だと名指しで非難されたわけです。
そして、実際にそれを信じた方もいて、同調したコメントもつけています。
そのことに非常にショックを受けました。
我々はあなたにそこまで恨まれることをしてしまったのでしょうか…。
他の記事とこの追伸部分は多分に文調が違いますので、
あまり気持ちの整理をせずに、感情のまま書いたのではないかと信じたいです。
また、決定的証拠があるなら謝罪いたします。
自分も同僚にこんな不愉快な人間がいるとしたら耐えられません。
>西日本さん
いつも温かいコメントを頂きありがとうございます。
第三者に自分の過去を明かされてしまい、それを知った人はとてもショックを受けたと思います。
私自身も、見知らぬ町で自分の過去が周囲に知れ渡り、日々後ろ指を指されるような暮らしは堪えられないと思い、次の移住先をその日から探してみたりもしました。
しかし結果として予想外の人の優しさに触れ、今住んでいる町が今まで以上に好きになってしまいました。都会や人口の多い町で暮らしていたら、きっとどんどん疎外感に追い詰められていったと思いますので、そういう意味では運が良かったのだと思います。
確かに日々の仕事で身体を酷使しながら働くよりは、時間を気にせずに過ごせる生活は良く見えるかもしれません。ですがその生活には終わりが見えているし、逮捕されて前科が付いた結果こうなっているわけですから、決して羨まれるような生き方ではないのですけどね。
何か前向きな行動をするたび、誰かに引き下げられるのではないかという恐怖心は今でも感じています。ですが、それは自分が引き寄せた結果です。今後も逃げるのではなく、その事実とは向き合っていかなければならないと感じています。
西日本さんのコメントにはいつも救われた気持ちになります。今後ともよろしくお願いいたします。
>長文ごめんなさい さん
コメントありがとうございます。いつかこのブログが元同僚の方の目に留まり、こういう日が来ると感じていました。
退職してから3年が経とうとしています。正直な心境としては、もう消えた人間ということにして記憶から抹消して欲しいという気持ちです。
それは私自身、元同僚の方々にどんな顔をして会えばいいか分からないし、会ったところで私の負い目が大きすぎて、今までのようなお付き合いは出来ないと感じているからです。
結局は会社でお世話になった人にほど、私の気持ちがいつまで経っても整理できないのだと思います。今でも静岡市へ近付くほどに動悸を感じるくらい、強い負い目に苛まれています。
職場に居た頃の私は、本当の人間性を隠していただけなのかもしれません。きっと退職して本来の人間性が表に出た時、社会にそれを知らしめる結果となったのだと思っています。その本性を反省という気持ちで抑え込んでいるような、どうしようもない人間なのだとつくづく感じる日々です。
>長文ごめんなさいさん(つづき)
記事の件について、不快なお気持ちにさせてしまい申し訳ございません。
決定的証拠と言えるほどの物はありませんが、状況証拠で十分に説明がつく、記事には書きれていない背景があるのです。
手紙を送った人物が元職場の人間と決めつけているわけではありません。あくまで組織の中の誰かという認識です。
私が留置場を出た後、ある労働組合の人物から連絡がありました。
「お前のために組合で弁護士を『雇おうとして』やったんだぞ。どれだけ組合の人間に迷惑を掛けたか理解してるのか?お前は組合にも恥をかかせたんだ!」
非常に強い口調でそう罵られました。その後も、主に組合を盾に批判を浴びせられることが何度もあり、留置場を出たばかりで焦燥していた自分には死にたくなるほど辛い時期がありました。
携帯電話のアドレス帳を全て抹消し、自分で新たに登録した番号以外からは電話に出ないようにして直接の連絡は免れましたが、きっと個人ではなく、組織として非常に強い反感を買ってしまったのだと思います。
そのため、私の名前がネットに出た時、組織をあげて私を潰すいい機会だと捉えられたのかもしれません。組織の意向なら行動に移した時の責任も分散されるでしょうし、都合も良かったのだと思います。
新聞記事も組合でネタとして保管していたということであれば説明はつくでしょう。なにせ3新聞の記事をスクラップしてありましたから。
それに送りつけられてきたコピーの印刷状態を見ると、新聞紙のザラザラとした汚れまでしっかり印刷されており、コピーの原本が図書館に保存される縮刷版のような高品質の紙ではないことは明らかでした。
見ず知らずの他人の事件記事を3新聞分も2年近く保管しているなど有り得ません。決定的証拠と言えるかは分かりませんが、これらの経緯があり会社内の人物であることは間違いないと思ったのです。
>長文ごめんなさいさん(つづき)
ですが、職場で仲良く過ごさせて頂いた方が個人でやったとは思っておりません。ただ、あなたが元同僚の方であれば、組合の闇については説明する必要もないと思います。個人的にではなく「組織の一人」として、行動に移った人物がいる可能性は否定出来ません。
とはいえ、それを勘違いさせる文面で書いてしまったことは謝罪いたします。内容は修正しておきました。
これからも、元職場の方が読めば非常に不快に思える書き方をしてしまうことがあるかもしれません。
私も気をつけますが、気付いたことがあれば今回のようにご指摘頂ければ修正します。決してお世話になった職場を罵るために書いているものではありませんので。
記事にも書いた通り、このブログを書くようになったきっかけが、その手紙事件だったということは知っておいて頂けたらと思い、今回の記事を書きました。
やはり私のような人間は、表に出しゃばらずに密かに暮らしていた方が良かったのだと思います。そうしていれば、あなた方も、今の私の周りにいる地域の皆さんも、誰も傷付かずに済んだのですから・・・
このまま続けたほうがいいのでは
作品展に名前を掲載するのは別に反社会的な行為ではありません。快く思わない人がちょっとチクって揺さぶりをかけよう、と思ってやったことです。しかし、送りつけた人物もやり過ぎると迷惑行為になり不利になることは百も承知でしょう。もちろん、あえて刺激するのはよくないです。これまで通り、淡々と生きればいいのです。
どうしても苦痛で耐え難いことであれば、ご存知かと思いますが家庭裁判所に申し立てを行い改名するのも手段の1つです。裁判官の裁量によるので、簡単にできませんが相談してみるのもいいかと思います。
>西日本さん
励まして下さりありがとうございます。
一からやり直そうと思って生活を作り直し、ようやく心穏やかに暮らし始めた矢先の出来事でしたので、改めて陰湿な人間のいる組織だと感じました。
とはいえ、日々不満だらけの仕事をしている中で、会社を辞めた挙げ句犯罪を犯した人間が自分たちよりも良い暮らしをしていたら、気に入らないのも当然だと思います。
元同僚さんは先コメントのように言われていましたが、私の名前から地方のローカルな作品展の広告を見つけ出して手の込んだ嫌がらせをするくらいですから、相当私のことを知る人物の仕業だと私の中では確信を持っています。
粗方人物の特定も出来ていますが、だからといってこちらがどうこうするつもりはありません。相手がそれで気が済むのなら構いません。
ですが、今の私はわざわざ陥れる必要もないくらい酷い状況であることを、このブログから知ってもらえたらいいと思っています。
彼らの方がよっぽど恵まれていて、私が妬んだりやっかむに足る存在ではないことが分かれば、わざわざ手間をかけて嫌がらせをすること自体バカらしくなるのではと思います。
私は自身の過去に目を背けずに向き合う覚悟でこのブログを始めました。
ですので改名して逃げるようなことはしません。命の続く限り、自分の名前に責任を持って生きていくつもりです。
通りすがりの者です。
警備員をやっております。
警備業は他人の財産を預かるという性質上、採用する前に前科前歴の調査が入るぐらい犯罪歴には敏感なんですが、同僚の中に窃盗の前科を抱えた人がいます。
詳細は書きませんが、実際に彼と話をしてみると「なぜ彼が犯罪を?」と思うぐらい非常に誠実なヤツで、自分の犯した罪と真摯に向き合っていると感じました。
すべてを承知の上で会社が彼を採用し、派遣先のビルのオーナーも暖かく迎え入れてくれた理由は、結局そこなんだろうと思います。
罪を本気で償い、罪と真摯に向き合っている人に対しては、案外社会は懐深く受け入れてくれる
彼を見ているとそのように感じます。
>guardianさん
コメントを頂きありがとうございます。
身の潔白さが大事にされるお仕事にもかかわらず、前科を持ちながらも従事してらっしゃる同僚さんがおられるとのこと。
彼を採用してくれた会社は、とても人情深い経営者さんなのでしょうね。そういったご縁に巡り会えるかは運の要素もあるとは思いますが、この先どんな生き方を選べるかは、自分自身の在り方に掛かっているのだと感じました。
通りすがりにもかかわらず、素敵なお話を聞かせて下さりありがとうございます。伺ってとても勇気付けられました。
私も自分の犯罪、病気の事でブログを始めたくて、初めてブログを拝見しました。
とても強い方だと思いました。
私はまだそこまでなれないけど、ブログを見て泣いてしまいましたが勇気をもらいました。
私が一歩踏み出すことにより、誰かの役にたてるのなら、、、
そして私自身が前を向ける気がします。
初めてのコメントで、まとまりのない文章で申し訳ないです。
ただ、「ありがとう」を伝えたくて、、、
>>20 私も犯罪者です。さん
このようなブログをお読み下さりありがとうございます。自己満足で書いているようなこのブログですが、身に余るお言葉を頂いてしまいとても嬉しいです。
貴方も道を踏み外し、その後の更生にご苦労なされているのでしょうか。犯罪者というレッテルが貼られた以上、その人物の苦しみを周りの人々が理解してくれることは少ないと思います。
それでもご自身が前を向き続ければ、いつか新しい生き方が見つかると思っています。こんなブログが少しでも何かのきっかけになったのでしたら、これ以上嬉しいことはありません。貴方の未来が明るい物になりますよう、応援しております。