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法律上の一般人に戻りました

 

2019年9月2日。私は3年前の有罪判決で与えられた執行猶予3年を満了し、法律上の一般人に戻りました。

 

長く辛い時間でしたが、再び逮捕されることもなく、こうして刑を満了出来たことで少し気持ちが楽になりました。

 

執行猶予の判決を受けて社会に戻された人間は、執行猶予が満了したからといって特に通知されたりはしません。なので本当に9月2日が満了日なのか心配になり、9月1日に私が起訴された愛知県の名古屋地方検察庁一宮支部に直接電話を掛け、執行猶予の満了日について問い合わせをしました。

 

その結果、高度なプライバシーが必要な個人情報だから、本人確認が出来ない電話では教えられないと言われました。

 

逮捕時に散々実名報道されているのだからプライバシーも何も無い気がしますが、一応本人が直接出頭すれば教えることは出来ると付け加えられました。

 

しかし現在住んでいる町は愛知県一宮市からは遠く離れているため、そのためだけに直接行くわけにもいきません。

有り難いことに、電話口の係員は出来ないと言うだけの事務的対応ではなく、有罪判決から執行猶予満了までの日数の計算方法を教えてくれました。

 

その話によると、有罪判決を与えられた翌日から起算して14日間が控訴可能期間となり、この期間は執行猶予にカウントされないので、実際には執行猶予3年であれば有罪判決から3年と14日間は執行猶予中、15日目には満了となっているとのことでした。また注意点としては、有罪判決の14日後が土日の場合、月曜日まで延長されるとのことです。

 

私の場合、有罪判決を受けたのが2016年の8月18日。そこから14日間を追加すると9月1日(2016年の9月1日は平日でしたので控訴期間の延長は無し)、その翌日9月2日が満了日という計算で間違いないようです。

 

満了日だからといって特に何かがあったわけでもなく、何の実感もないまま法律上の一般人に戻ったということになります。

 

 

しかし、執行猶予の満了というのはあくまで法律に基づく刑を終えただけであって、社会的に犯罪者というレッテルが剥がれたわけではありません。

 

今でも私の実名を検索すればいくらでも逮捕当時の記事が出てきますし、身元を調べられれば簡単に元犯罪者だと知られてしまいます。今後も執行猶予中と同様に、前科という足かせが永久に付きまとうことに変わりはないのです。

 

今では自殺するかしないかという葛藤こそ自分の中では無くなりましたが、こうしてあっけなく執行猶予が終わっても、じゃあこれから何をするかという考えは一向に浮かんできません。

 

今までは「執行猶予中の身だから」という言い訳が出来たので何もせずにダラダラと生きてこれましたが、その言い訳が出来なくなったら、もはやただのニートです。それも再就職が難しい足かせの付いたニート。

 

仮に雇ってもらえる場所があったとしても、どこかで雇われて再就職という生き方にも正直抵抗があり、自分のメンタルが信用出来ない中で再び人に使われる仕事をしたら、また髄膜炎を発症して倒れるのではないかと不安も付きまといます。

 

貯金の切り崩しと趣味で集めた物を売却してやりくりしてきた家計もそろそろ先が見えてきているし、今後の生き方を真剣に考えるべき時が来たのだと感じます。

 

 

執行猶予の満了した犯罪者というのは、刑期を終えて刑務所を出所した犯罪者と同じだと思います。

 

本人の社会適応能力が下がり、犯罪者というレッテルが再就職をさらに難しくする。そしてすぐに生計に行き詰まり、再び犯罪に手を染めてしまう・・・これはよく聞く話だと思います。

 

また、刑を終えたところで社会からの批判的な目は無くなるわけではなく、社会に出ても居場所が無くて精神的な苦痛が続き、その結果自殺してしまったり、逆に世の中を恨んで凶行に走ってしまう。

 

罰を与えることには積極的でも、その人間が更生することに関しては懐が浅いのが日本という国だと思います。ネットを見れば事件の記事はどんどん拡散し、面白おかしく書かれたまとめサイトも出来ている。そういうサイトでは、道を踏み外した人間に対して痛烈に批判するコメントはよく見られます。

 

ですが、そうやって正義感を振りかざして一人の人間を社会的に抹殺していくことは、本当に世の中のためになるのでしょうか。

 

 

過ちを犯した人間を徹底的に潰すことは、被害者にとっては当たり前の報復であり、第三者にとっては良いストレス発散にもなるでしょう。

 

しかし、それを受けて当事者はどう感じるかが問題です。

 

犯罪者であっても一人の人間です。自分の過ちを悔い改め、やり直そうとしているところで社会に受け入れてもらえなかったり、嫌がらせを受けたりすれば、本人は強い疎外感を感じると思います。

 

そうして社会からやり直す機会を奪われていくうちにだんだん精神が参ってきてしまって、更生どころか逆に世の中に恨みを持ってしまうというのは、人間であれば誰にでも起こりうる流れだと思います。

 

ニュースを見れば最近起こったことだけでも通学中の小学生を無差別に殺したり、アニメ会社に乗り込んで放火したりと、凶悪な犯罪が目に付きます。

しかし、そういう事件を起こした人間は、最初からそんな凶行に走るような人間として生まれたことは決してないと思います。

 

不遇な生い立ちや学校でのいじめ、家庭環境、社会に出てからの理不尽な境遇などの外的要因に翻弄されているうちに人格が壊れていき、自分でコントロール出来ないくらいに精神が参ってしまった結果、起こした事件なのだと思います。ですから、事件を起こした張本人をどんなに厳しく処罰し、再発防止の法律を整備したところで、未来に起こる凶悪事件を未然に防ぐことにはならないと私は感じています。

 

「だったらお前はどうなんだ?」と思われるかもしれませんが、自分の起こした犯罪のことを自分で環境のせいだと言うのはあまりにも無責任です。

ですが社員だった時代に会社で経験した数々の不遇が、最後の最後で自分の判断を狂わせた可能性はあったのではないかと思います。「社員の元同僚が大丈夫と言ってるからいいんだろう・・・」ではなく、そこで「廃棄物でも一応現場に確認した方がいいでしょ」と思えなかったのは、どこかで辞めた会社のことを信頼していなかったからなのかもしれません。

 

もっとも、この考えも厳しい刑事捜査の過程や、見せしめのために厳罰を求めるという会社の意向を知ったことで参ってしまい、歪んだ私の人格から出ているのかもしれませんが。

 

いずれにしても、結果的に私のその浅はかな考えがしっぺ返しとなっているのは、火を見るより明らかです。

 

しかし、それは逆の立場でも言えることだと思います。

 

刑期を終えて罪を償い終えた人間であっても、過去に一度でも過ちを犯した人は受け入れないという風潮の社会が、今度は凶悪犯罪という形でしっぺ返しを受けているのではないかと思います。

 

過日の記事で公開したような、会社の関係者から送り付けられた私に対する嫌がらせの手紙。

 

今年も嫌がらせをされるのか?~地域の文化展~

 

罪を償っている人間がこういう嫌がらせをされたら、この行為に恨みを持って復讐に走る確率は飛躍的に高まると思います。

私もこの手紙が送られてきたことを知った時はショックを受け、黒い感情が湧き上がりそうになりました。しかし、その感情を爆発させる前に収めることが出来たのは、私という人間を受け入れてくれたこの地域の方々の人情があったからに他なりません。その時の話についてはこちらの記事に書いております。

なぜ実名でこのブログを書くのか?~前科者の現実~


 

このブログを読まれているあなたが私の立場だったらどう感じるでしょうか?

普通ならこの時点で反省とか、悔い改めるという気持ちが消え去り、この嫌がらせをしてきた人間・組織・会社への怒りや反感が先行して湧き上がってしまう人は大勢いると思います。

 

この手紙も、会社とは全く関係ない人物が独断でやった可能性がゼロだったかというと、それは分かりません。しかし、こういうことをされた当事者がどう感じるかは、理屈ではなく気持ちの問題なのです。

アニメ会社への放火事件だって、きっと被害を受けた会社には何の罪もなかたっと思います。

しかしこうして嫌がらせを受けたり、社会から居場所を奪われて恨みを持った人間は、一度思い込んでしまったら収集がつかないでしょう。あの事件の犯人はそのアニメ会社に作品を盗まれたと思い込み、あんな凶行に走っているのです。

 

私がこの手紙が原因で会社に恨みを持って、同じような凶行を起こしに行ったら、今度は私をもっと厳しく吊し上げてから死刑にすればそれで済むのでしょうか?

 

恐らく大事なのはそこではなく、その犯罪の引き金となった原因・背景の方にあると思います。

 

犯罪者という立場を経験して思うのは、犯罪というのは、その人間が置かれてきた環境が生み出した結果でしかないということです。

 

どんな立場にいる人間であっても、しっかり一人の人間として居場所のある社会であることが、犯罪を減らす最も有効な手段だと確信しています。

 

 

社会が犯罪者の更生を受け入れない限り、今後も凶悪犯罪は減らないと思います。

誰かが起こした犯罪のニュースを見て、ネットで好き放題非難のコメントを書いている人がいるとすれば、その人は未来の凶悪犯罪の種をバラ撒いていると思った方がいいと思います。

 

 

偉そうな能書きになってしまいましたが、執行猶予が終わりこれから先の人生の苦難を想像すると、そんなことを考えてしまうのでした。

 

さて、明日からどう生きようか・・・

 

この記事のカテゴリ「前科者の現実」に関する記事一覧はこちら。

 

法律上の一般人に戻りました」に7件のコメントがあります

  1. 社会復帰おめでとうございます。
    ついに執行猶予が晴れましたね

    犯罪者であっても一人の人間です。自分の過ちを悔い改め、やり直そうとしているところで社会に受け入れてもらえなかったり、嫌がらせを受けたりすれば、本人は強い疎外感を感じると思います。

    この記事を読んで私の好きな本を思い浮かべました。

    人の心はいつも変わらず、変わるのは人々の顔ぶれであり、カモにされる連中であり、世の中を操ろうとする連中であり、戦争であり、天災である。しかしかに、いかに変化してと世の中変わらない。人の心が世の中を動かそうとすれば、世の中もいつも変わらず、理屈はない。理論で動かないし人間の感情にほかならず、人々は持っているものすべてを世の中に持ち込もうとする。

    アレンジしましたが、加納さんのように苦しむ人はこれからも出て来るでしょうし、貶めようとする連中は形を変えて別のターゲットに変えるなり出て来るでしょう。流石に手紙や文化展の嫌がらせはもうないでしょう。物証があるためこれ以上やると一線を越えてしまうから。

    さて、明日からどう生きようか・・・

    個人的にですがやはり機関工はどうでしょう。
    東海地方なら自動車産業が盛んですよね。トヨタ自動車、アイシン、デンソー、思い付くだけでたくさんあります。
    今後の米中の景気にもよりますが自動車の機関工には3年働けば正社員登用もありますし、なにより機関工は20-30代の採用は高く、すぐ働ける無職は歓迎されやすいです。しかも、人と接しないため気が楽になるのではないかと思われます。

    機関工から社会復帰してはどうでしょうか。

    1. >西日本さん

      ブログ開設早々から今日まで励まして下さり、本当にありがとうございました。
      おっしゃる通り、一個人がどんなに声を上げたところで、世の中が変わるとは思いません。今日こうしている間も何らかの容疑で逮捕される人がいて、明日にはそれが実名報道のニュースになり、ネットで叩かれることになるのでしょう。
      そんな世の中で唯一変えられるのは、自分自身だけだと思います。世の中の構造が変わらず顔ぶれだけが変わるなら、自分がどの立場の顔ぶれに入ればいいか。それを考えて今後を生きていきたいと思います。
      ネットの時代であることによって私自身も犯罪歴が永久に残り、実名が表に出れば嫌がらせをされるわけです。しかし反面、ネットの時代だからこそ、そういうことをする人間が存在することを世の中に訴えることも出来るし、純粋に自分を一人の人間として接してくれる人とだけ付き合う生き方が出来るのだと思っています。

      今後の生き方についても、真剣にアドバイスを下さってありがとうございます。確かに工業系の仕事であれば取っ付きやすいでしょうし、モノを相手に黙々と出来る仕事であれば精神的な苦労は少ないかもしれません。

      しかし、暗い因縁を作ってしまった以上、もう静岡県や愛知県などの東海地方で暮らすという選択肢を取ることは出来ないです。その地で暮らしているだけで、ストレスになってしまうからです。静かな田舎で暮らしながら、生計を立てていく生き方を模索したいと考えております。

  2. 遅くなりましたが、期間満了おめでとうございます。貴方のブログに書いてあること以外の気苦労や葛藤もあったことでしょう。
    長い間、本当にお疲れ様でした。

    貴方のブログの記事を読むのは覚悟がいります。
    まるで、お坊さんの説法を受けているかのような気になったり、神父さんにする懺悔を見ているような、一人の人間が命を削って紡いだ文章を見ている気にもなります。

    そのような文を前にした私には陳腐な言葉や言い回ししか出てきません。

    無責任なことは言えませんが、お身体に気をつけて、どのような形であれ、「これから」を生きて行って下さい。
    陰ながら応援しております。

    1. >愛媛の鉈さん

      温かいお言葉をありがとうございます。ブログに綴っていない苦労まで察して下さるようなお心遣いあふれるお言葉に、思わず胸が熱くなってしまいました。
      たかが一人の犯罪者の戯言を並べただけのブログにもかかわらず、丁寧にお読み下さり本当に嬉しいです。懺悔と言うのは大げさかもしれませんが、こうして記事にすることで自分自身も気持ちの整理をしているのは確かです。
      3年という歳月は、冷静に物を考えられる精神状態を取り戻すには十分な時間だったと思います。ただ、だからといって元犯罪者というレッテルが消えることは一生ありません。ですから、そのレッテルを抱えていたとしてもストレスなく生きていけるような、そんな生き方をじっくり模索していきたいと思っています。
      今後もブログは書いていきたいと思っていますので、また思い出したら寄って頂けたら幸いです。

  3. 執行猶予刑期満了おめでとうございます^ ^
    いつもblogを読ませて頂いております。

    私も同じ様な境遇なので、貴方のblogを読み共感し、また勇気を貰っています。

    私もある事件を起こし、実名報道されました。
    親の仕事にまで影響が出る程、連日TVや新聞で騒がれ、ネットには悪口を書かれました。

    結果は不起訴でしたが、実名報道のおかげで社会から疎外された気持ちになり、酒に溺れ、犯罪を重ねてしまい約3年前に執行猶予判決を受けました。あと3カ月くらいで刑期満了です。

    仕事探しは実名報道された人がぶち当たる壁だと思います。
    正直、前科があろうが実名報道されてなければ何事も問題ないと思います。
    結局、派遣など安定しない仕事や、働かせてもらった知り合いの会社には他に行くあてもないと足元を見られ、パワハラや給料未払いなど超ブラックでした笑

    ある時に気付きました。日本に住んでるからこんなに過去の過ちを気にしないといけないし、終わりが見えない罰を受けないといけないんだと…
    そして日本から近い東南アジアにしばらく滞在しました。
    1カ月の生活費は、国にもよりますが住まい食費あわせても5〜10万円程です。
    現地に行って気付いた事は、たくさんの日本人や外国人がパソコンやスマホを使い仕事をしてる事でした。
    ビザも国に寄りますが、長期間取れる国やビザランできる国、無査証で数ヶ月滞在出来る国などたくさんあります。就労ビザがなければ現地では働けませんが、blog、ウェブデザイナーやFXで生活している人など色々な人がいました。
    この様な素晴らしいblogを作れる貴方ならパソコンやスマホを使いすぐ生活出来るくらいのお金を稼げると思います。

    私も生き辛い日本を捨て、近いうちにまた海外に出るつもりです。

    1. >たろうさん

      初めまして、ブログをお読み下さりありがとうございます。
      貴方も私と同じような境遇に苛まれているのですね、心中痛いほどお察しいたします。ご両親のご苦労も思うとやりきれない思いだったことと思います。
      気持ちを入れ替えてやり直そうと思っていても、社会の不寛容ゆえに追い詰められてしまうのは非常に悲しいことです。犯罪者を罰することばかりに積極的で、やり直そうとしている人間を許さない社会が、再び犯罪を生むというサイクルの典型例ですよね。

      就職活動については、おっしゃる通り犯罪歴があっても実名報道されていなければ個人や会社レベルで調査することは困難ですから、現実としてほとんど問題は起こらないと思います。

      たろうさんはそんな逆境にも負けず、再就職に挑戦されたのですね。同じ境遇の人間として心より尊敬します。しかしその努力もむなしく、犯罪歴を盾に足元を見られてしまうのは悔しいですよね。私もきっとそうなるのだろうと思うと、再就職に関しては積極的になれないのが現状です。

      そんな中、海外へ身を移すという選択肢を実際に取られた行動力は素晴らしいと思います。執行猶予中の海外旅行はパスポート取得から非常にハードルが高いことと思いますが、それでも逆境を乗り越えて海外へ行くという行動力は私にはありませんでした。

      東南アジアでの暮らしは、日本よりも少ない生活費で実現出来るのですね。就労ビザを執行猶予中に取るのは更に困難なのでしょうけど、確かに投資やネットビジネスであれば海外にいても同じように出来ますから、そのような方法で生計を立てる基盤が作れれば日本という国で暮らす理由も無くなりますね。この程度のブログ作成能力で生計が立てられるとはまだまだ思えませんが、とても勇気を頂きました。

      私も執行猶予が終わってパスポートが取れるようになりましたので、海外を見るという経験をしてこようかと思いました。素敵なご経験を語って下さり本当ありがとうございます。

      たろうさんも執行猶予満了まであと3ヶ月なのですね。最後まで気を強く持って、残りの期間を乗り切られるよう。そして今後、平凡に日本で暮らし続けた人生よりも、ずっと豊かな人生を生きられるよう応援しております。

      もしよろしければメッセージも送って頂けたら嬉しいです。差し支えなければ、たろうさんのご経験をもっとお聞かせ頂けたら幸いです。

  4. 初めまして、JR東日本にて駅員のアルバイトをしている者です。このブログを拝読いたしまして、改めてJRという会社の残酷な一面を認識した次第であります。私自身勤務においてかなりの失敗をしてしまいまして、今となっては30人近くいるバイト駅員の中で自分だけシフトが減らされる、更に後輩の指導にも就かせてもらえないという状況であります。
    かねてより接客が苦手で、自分としましては懇切丁寧に指導してもらえると思いましたが現実は3ヶ月程度で使えるか使えないかを判断しまして、使えないと判断された場合、即刻勤務から外していくということでした・・・
    また、内勤の方が「あいつは指導できないから見習がいる日は入れないよ」と小言を言っていたのも耳に挟みました。
    あの駅員バイトは週3日程度の出勤が採用条件で、勤務リクエストも週5日程度で希望していましたが、返ってきたシフトはなんと週1日でした、、
    仲間はずれといいますか、少しでも邪魔に感じた人間を外に追いやるのがあの会社なのかもしれません。
    加納さんの仰るとおり、失敗した人間は積極的に貶めるが、その更生には消極的なのだということを痛感した次第であります。特にJRという古い体質の会社はそれが顕著何かな、とも思いました。
    長文、大変失礼いたしました。

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