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ボロボロな人生だからこそ生きろ ~墓前の誓い~

8月は、自宅を出てしばらく実家に戻りました。

 

既に自分の部屋もない実家。窓もなく、クローゼット代わりになっている狭い部屋で寝泊まりしました。

 

苦い思い出ばかりが残った沼津にわざわざ帰りたいわけではありませんでしたが、年に一度くらいは家族のためにも償いをしなければという思いもあって、自然と帰る気持ちになっていました。

 

家の外壁の塗装、電気工事、玄関ドアの修理、親の車のユーザー車検・・・様々な雑用をやって、帰ってきました。実家に帰ってもやることは今住んでいる場所とあまり変わりませんでした。

 

 

実家での滞在中、沼津にある祖母のお墓参りに行ってきました。

 

祖母は私がJRに勤めていた頃、92歳で亡くなりました。

 

私の実家は母親方の両親である祖父母の建てた家で、3歳からそこで暮らし続けてきました。

 

祖母はとても優しいおばあちゃんで、子供の頃に辛い思いをして泣いていたときは、いつも優しくあやしてくれました。

料理が上手で、毎日ごはんが楽しみでした。私が幼児の頃に実家に住むようになってから、亡くなるまで20年以上、文句一つ言わずに面倒を見てくれた祖母。

 

そんな祖母の墓前に立ったとき、犯罪者になってしまった自分がこの上なく情けなく思えて、無意識に悔し涙が流れていました。

 

孫として大事に育ててきたのに、その結果がこんなクズ人間の完成では目も当てられません。

私が犯罪者になって、きっと祖母も悲しんだことでしょう。そう思うと申し訳ない気持ちで一杯になりました。

 

 

私はそんな祖母が亡くなった時、満足に見送ってあげることが出来ませんでした。

 

 

亡くなったのは夜の10時くらいでした。私はちょうどその日は出勤日で、出勤時刻の30分前くらいだったと思います。

母親から電話が掛かってきて訃報を知りました。母は会社にも電話を入れていたようで、直後に会社からも電話がありました。

 

しかしその時に自分は既に会社の目と鼻の先まで来ていて、その場で勤務を放り出して引き返すのには抵抗がありました。出勤時刻直前で運転士が来なくなると、現場がどれほど大変か知っていたからです。

 

運転士が来なくても列車は来ます。そしたら誰かが列車を動かさなければならない。

 

直近で出勤する人の仕事を振り替えてなんとかその場をしのぎ、夜中に休日の人を叩き起こして出勤してもらうまで先延ばしにする。

 

そんな血のにじむような勤務の采配を、出勤30分前から当直さんや勤務を作る交番担当の方々にさせるのは忍びなかったのです。

 

私は少し考えましたが、「もう代替運転士を手配する余裕もないと思うのでこのまま出勤します。」と答えました。

 

その日の当直さん、交番担当さんはとても感謝してくれて、「出勤してくれた分、その後しっかり時間が取れるようにするから」と言ってくれました。

 

それを聞いた私は安心しました。祖母の死に目には会えなくても、終わってからしっかり見送って、供養してあげることが出来る。そう思えたからです。

 

 

私はそのまま制服に着替え、深夜の乗務に乗り込みました。

 

ちょうどその日は静岡から東京方面へ乗務する仕事でした。夜中の12時近くに貨物列車で沼津駅を通過した時、静まり返った沼津の町並みを眺めながらこの近くに祖母が眠っているのかと思うと、急に訃報に現実感を感じて悲しい気持ちになりました。

 

東京で夜明けから午前中にかけて休養を取り、折返しの乗務をこなして午後に静岡に帰ってきました。

 

当直、交番は朝の9時で交代するため、帰ってきた頃には他の面子になっていました。

 

しかし、次の勤務を確認すると、全くの所定勤務になっていたのです。私は思わず言いました。

 

「昨日訃報があって制度上は帰れたのですが、出勤直前だったのでそのまま勤務するという話でまとまって、代わりに休みを配慮してくれると聞いていたのですが?」

 

するとこんな返事が帰ってきました。

 

「ああ、それは助かったけど、お前のシフトだと与えられる休みは変わらないね。」

 

これはどういうことか、業界の人でないと分かりにくいかもしれませんが、夜勤主体の貨物の勤務だからこそ、こじれた話とも言えるでしょう。

 

JR貨物では、直接の親子ではない祖父母の訃報の場合、3日間の休暇を与えられるという就業規則になっていました。

 

私は当時、このような勤務でした。

 

 

日付は便宜的に1日からカウントにしていますが、2日の早朝に前日からの夜勤を終えて退勤。会社で午後まで休養し、次の出勤時刻まで時間がないので沼津の自宅に帰らずに、そのまま静岡で過ごしていました。

 

そして2日の出勤直前、訃報が入ります。

 

 

就業規則では訃報を聞いた時点で出勤する必要はなくなるため、私が規則通りに休暇を取れば以下のような勤務になりました。

 

2日は前日からの夜勤明けになっているので休みにカウントされず、3日、4日、5日の3日間、休暇扱いとなります。

この場合、5日の出勤は翌日にまたがる勤務のため、6日も実質休日扱いとなります。

7日の早出というのは、日付を跨いだ直後に出勤する勤務のことで深夜1時~4時くらいの間の出勤を指します。早出の勤務は当日中に終わるため、翌日にまたがる夜勤明けとはなりません。ですが時間帯の問題で通勤が難しいので、結局は休養を取るために前日の夕方には会社へ出てくることになります。

 

私が規則通りに休んでいれば実質4日間は葬儀のために動くことが出来たのですが、それを職場への迷惑を考えて出勤した結果、以下のような勤務になりました。

 

 

3日の夜勤明けからカウントして3日間の休日が与えられ、結果として次回の出勤日は変わらないままとなっていたのです。しかも7日は早出のため、夕方には家を出る必要があるので実質2日半しか動くことが出来ません。

 

「それでは十分な時間が取れません。訃報を聞いた後に出勤した分、休みを配慮してくれると聞いたんですけど・・・」

 

「そんな話は聞いてない」

 

「うちは父親がいないので、僕が代わりに動かないと大変な家庭なんですよ。なんとかなりませんか?」

 

「でも規則は規則だからしょうがないな」

 

「僕だってその規則に従えば昨日から休めたところを、職場に配慮して出勤したじゃないですか」

 

「それはお前が勝手にやったことだ」

 

 

そう言われて、それ以上言い返す気にもなりませんでした。この時から、会社に対する不信感が強く芽生えたように思います。

 

大切な祖母が亡くなった時にこんないざこざになって、夜勤明けの疲れもあってイライラした状態で帰宅することになってしまいました。

 

暗い顔をした家族が待つ家に帰った頃、更に追い打ちを掛けるように指導助役から電話が掛かってきました。

 

その電話の内容は私に同情するものではなく、当直・交番と揉めた私に説教する方向の物でした。人が家族の葬儀で大変だと分かっていながらそんな電話を掛けてきたことに、更に不信感は強まりました。

 

 

そして、お通夜には行けず、葬儀と火葬には参加して、最小限のお見送りで祖母とお別れした後、夕方には次の早出のために会社へ向かったのでした。

 

しかし、会社に出てきたら今度は指導員が出てきて、再び説教をされました。話を注意深く聞いていましたが、訃報を聞いた後に出勤したことについては何の労いもありませんでした。

 

規則にとらわれずに協力した結果、規則によって休みを奪われ、さらに協力したことには感謝されず揉めたことを責められる。会社に入って以来、こんなに理不尽だと感じたことはありませんでした。

 

これ以降、私自身の仕事に対するモチベーションが切れてしまったのか、そのメンタルに引っ張られるように体調も落ちていき、最終的には乗務を降りて入院しなければならなくなるくらい体調も悪化していくのでした。

 

こうして今思い返せば、「病気は気から」という言葉は本当にその通りだと思います。仕事にやりがいを感じていてモチベーションが高いうちはあまり体調不良も起こらないのに、メンタルが落ちると見る見る体調が落ちていくのです。

 

 

今となっては、このとき祖母が命と引換えに「ここはお前のいるべき場所じゃない」と教えてくれたのかもしれないとさえ思います。

 

 

話が逸れましたが、お盆に祖母の墓前に立った時、亡くなった日のそんな出来事をつぶさに思い出しては、様々な思いにふけっていたのでした。

 

 

人生を顧みず、70年生きてから孫の私のために最後の20年を捧げてくれた祖母。

 

そんな祖母のことを考えていると、生まれて30年しか経っていない人間が、現時点の苦しみが原因で生きるか死ぬかと悩む事自体、愚かなことではないかと思うようになりました。

 

 

そして、今の私の状況を振り返り、祖母の墓前でこう誓いました。

 

 

「あれから3年近く経ちました。大事に育ててもらったのにこんな人間になってごめんなさい。でもこんなボロボロの人生だからこそ、諦めず貴方のように最期まで必死に生きることにします。」

 

 

平凡な人生を生きていたら、生きることの有り難みを感じることさえ難しくなってしまいます。

 

ですが、こうして大幅に転落した人生だからこそ、それを底辺から元に戻すプロセスはまた大きな変化があり、自分次第で価値のある人生に変えていけるのではないかと思いました。

 

 

雑用ばかりの不毛な帰省になると思っていましたが、一人で祖母のお墓に行ったことで何か大きな気付きを得られたような気がした、そんなお盆休みでした。

 

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ボロボロな人生だからこそ生きろ ~墓前の誓い~」に8件のコメントがあります

  1. 久々の更新待ってました

    気を悪くするかと思いますが、会社の就業規則、配慮と助役の諭しが正しいです。

    葬式のときは新人でもゴネても許されるのです。葬式は1回しかないのです。あとがないのです。残念ながら、人に迷惑をかけまいと出社したことは歪んだ正義です。JR貨物がブラック企業かどうかとは関係ないです。就業規則のしっかした職場ならなおさらです。公共交通機関なら葬式と正月はないとそもそも思うべきだったのです。

    いろいろ書きましたが気を悪くしないで下さいね

    1. >西日本さん

      いつもお読みくださりありがとうございます。
      言い辛いことを率直に言って下さってありがとうございます。全くもって西日本さんのおっしゃっる通りです、私が職場に無駄な気遣いをしたがために、話がこじれたのは事実だと思います。

      規則通り、休む権利を行使していれば何ら問題がなかった話です。当時の私はその辺が割り切れておらず、人間対人間の話だと考えていたのだと思います。

      現場に居た頃は、「変に気を遣うといいように使われるから気をつけろ」と先輩方によく言われていたものですが、この時私も、その意味を理解しました。

      貨物の仕事は始発終電という概念がなく、乗務員は長距離を乗るものですから、家族に万が一のことがあっても尚更融通が利かないです。私のときは乗務中ではなく出勤前だったのですから、規則通り忌引を行使していればよかったと後悔が残るばかりでした。

  2. こちらこそこんな下らないコメントの返信ありがとうございます。

    現場に居た頃は、「変に気を遣うといいように使われるから気をつけろ」と先輩方によく言われていたものですが、この時私も、その意味を理解しました。

    その通りかと思われます。自分の身は自分の身で守るしかないのです。

    ただ、やりたい仕事につけて使命感に燃えていたこと、まだまだ若かったことを考えると、割りきることが難しかったのではないかと思われます。読んでいるだけで情景が浮かんできます。

    「変に気を遣うといいように使われるから気をつけろ」

    「あれから3年近く経ちました。大事に育ててもらったのにこんな人間になってごめんなさい。でもこんなボロボロの人生だからこそ、諦めず貴方のように最期まで必死に生きることにします。」

    ということを学べたことが葬式に行けなかったおばあ様への手向けになるかと思います。まだまだ負けてないですよ。

    1. >西日本さん

      度々のお返事ありがとうございます。

      そうですね、憧れの仕事に就けたことで、仕事に期待し過ぎてしまったのだと思います。仕事を仕事と割り切って勤めていれば、余計なストレスも生まれなかったのは間違いないですし。

      こういう考えも、この歳になったから出来るのかもしれません。若い頃にはなかなか割り切れなかったのは正直なところです。

      自分の身は自分で守る・・・本当おっしゃる通りです。

      私のような人間では会社組織に再就職は難しいでしょうし、尚更その気持ちで生きていかなければなりませんね。

  3. 静岡総鉄は、随分冷たいクラだね。

    分会も何もしてくれなかったの?

    だから、オレは会社も組合も信用していない。

    1. >匿名さん

      コメントありがとうございます。
      他の機関区に所属の社員さんのお見受けしますが、そう感じられるということは、同じ会社内であっても職場によって環境は大きく違うということなのでしょうね。

      私が居た頃には、何か困ったことがあった時に組合を頼るという話はあまり聞いたことがありません。

      以前は事故を起こした時に乗務を外されたり、他職に飛ばされないための保険だと思って第一組合にいるべきと言われていたようですが、私が働いていた頃には第一組合の人であっても些細な事故で簡単に降ろされていましたし、少なくとも組合に救われているという印象はありませんでした。

      それくらいですから、この記事で書いたような小さないざこざをフォローしてもらうなど端から期待出来ないことです。

      結局、一社員に出来るのは、全ての理不尽を割り切ってその職場に身を置き続けるのか、自身がそこから身を引くのかのいずれかしかないと思います。

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