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祖父を見送って参りました

しばらく連続での投稿に努めていましたが、再び投稿が空いてしまいました。

 

 

先日実家から連絡が入り、祖父が亡くなったと聞かされ、しばらく実家に帰省しておりました。

 

父親がいない私にとっての祖父とは母親のお父さんにあたる人で、私は幼い頃から沼津にある祖父の実家でずっと育ってきました。子供の頃からいつも遊んでくれて、厳しい人ではありましたが優しく、私にとっては父親以上に大切な存在だったことは間違いありません。

 

祖父は今月、92歳で亡くなりましたが、最後まで一切家族の手を借りず、自分のことは全て自分でやる人でした。

 

92歳になってもボケることもなく、2輪の自転車を乗りこなして買い物へ行き、普通に歩き回り、ハシゴに登って木の剪定もやる、活力のある人でした。

 

亡くなった原因は脳出血だったそうです。血管の老化が原因で、医師は事前に検査したとしても防ぎようのない発症だったと言っていました。

 

生前「俺は誰にも迷惑掛けずにポックリ死ぬから」と口癖のように言っていましたが、本当に有言実行してしまい、驚くばかりです。

 

そして、年金の受け取り口座には、きっちり葬儀費用分のお金が残されていたそうです。

 

こんな綺麗な生き方が出来る人間がどれほどいるでしょうか。

 

 

 

亡くなった日の朝も、家族が仕事へ行くまでは普通に元気だったそうです。

 

夜勤をやっている弟が午後に起きてきた時、洗濯機の前で倒れているのを発見したと聞きました。

 

亡くなる当日まで、自分で家事をやっていたのです。

 

92年の寿命=健康寿命だった祖父。私ごときにはとても敵わないと感じました。

 

 

私はJR貨物の運転士をしていた頃に祖母が亡くなり、その時には十分な休日も得られず、満足に見送ってあげることが出来ませんでした。

 

ボロボロな人生だからこそ生きろ ~墓前の誓い~

 

その時の後悔があまりに大きかったため、今回は現在のような自分の立場を利用して、心行くまでしっかり見送ってあげたいと思い、約2週間の間、実家の沼津へ帰ることにしました。

 

晩年、寝たりだった祖母と違い、祖父は亡くなる当日までとても元気にしていました。

 

そのためあまりの急逝に実家の家族のショックも大きく、家族のメンタルが落ち着くまでにも相応の時間が掛かることが容易に想像出来ました。

 

 

急いで実家へ戻ると、暗い家の中、無言の家族、家の中に立ちこめる線香の匂い・・・気が滅入るような重苦しい空気が流れていました。

 

そこへ元犯罪者の私が戻ってきます。家族とはまともな挨拶も交わしませんでした。

 

祖父は病院から家に戻され、いつも寝ていたベッドの上に横たわっていました。

 

まるで眠っているような安らかな寝顔で、「じいじ」と声をかけたら今にも起きそうな顔をしていました。

 

しかし触ってみると身体は冷たく、固くなっていて、二度と目覚めることがないという現実が突きつけられます。

 

顔を近づけると、かすかにおじいちゃんの匂いがしました。その瞬間、思わず涙がこぼれます。

 

 

祖父は昭和2年に横須賀で生まれ、戦前に沼津へ移住してきたそうです。

 

東芝の機械工として就職し、産業機械のパーツの原型となる、木型の製作をやっていたようです。

その木工技術は素晴らしいものだったそうで、実家の物置には沢山の木工工具が仕舞ってありました。

 

子供の頃、祖父はその工具を駆使して、私たちのオモチャを作ってくれました。

 

良く飛ぶ竹トンボ、バランス良く浮かぶ木船、竹細工の釣り竿・・・今でも鮮明に覚えています。

 

 

太平洋戦争を経験し、機械工のため徴兵はされませんでしたが、軍需工場となった東芝の社屋には焼夷弾が雨のように降ってきたと聞かされていました。

 

大急ぎでトンネルのある水路の中に逃げ込もうと走っていたら、目の前で同僚が焼夷弾の直撃を受けて即死したと、悲しそうな目で語っていたのを覚えています。

 

そこで直撃を受けたのがその同僚ではなく、祖父の方だったら、母も、兄弟も、私も生まれることはなかったのです。

 

私に限って言えばその方がよかったのか・・・そんなことは考えたくありません。

 

 

戦後の復興から高度経済成長の時代、バブル期、バブル崩壊後の平成不況、そして平成になってから31年が経った令和元年まで、日本にとって最も激動だった時代を生き抜いてきた祖父。

 

そんな時代を生き抜いた祖父の人生のことを思うと、今の私の悩みなど、なんてくだらないんだ? と思うくらい、自分という人間が小さい存在に見えました。

 

 

逮捕された?だから何なんだよ。そんなの自分で撒いた種だろ。おじいちゃんは同じ日本という国に暮らしながら、罪も犯してないのに爆弾落とされて命まで取られそうになったんだぞ。

そんな激動の時代で家族を養い、娘一人、孫3人を育てあげた。その苦労がどれほどの物だったか分かってんのか?

それが自業自得の汚点をネットやらニュースやらで晒されたくらいで何追い詰められたふりしてんだ?なめてんじゃねーぞ!!

 

 

祖父の寝顔を見ていると、不思議と自分自身をそのように責め立てる言葉が湧き上がってきました。

 

そんな言葉を脳裏によぎらせながら流した涙は、悲しみの涙だったのか、それとも悔し涙だったのか・・・

 

 

もう家族の最期の見送りすら妨げられる仕事をする必要もない。だから納得行くまで見送ってあげたい。

 

そう思って実家に籠もりきりで、家族と一緒に祖父に向き合いました。

 

お通夜には母の仕事関係の人も多く参列して下さり、その中にはテレビや新聞、ラジオなどのメディアを通して、私が逮捕された事実を知っている人も大勢いました。

母は、「逮捕された長男も帰ってくるのか?」と、同僚に聞かれたそうです。

 

そんな人間の中で、一遺族として見送りの言葉を述べるのは非常に恥ずかしいことでした。

 

しかし、そんなことよりも純粋に祖父への感謝の気持ちを述べようと心に決め、言葉に詰まりつつも目の前にいる祖父に語りかけるように、最後の言葉を贈りました。

 

 

祖父は世帯主だったため葬儀の後もやることは多く、亡くなった病院での精算、実家の相続の手続き、喪中ハガキの製作まで、出来るかぎりの手伝いをしてから帰ってきました。

 

葬儀用の写真を探すために祖父のアルバムをめくっていると、1958年、ホンダの初代スーパーカブに跨がる若き日の祖父の姿が写っていました。

 

このスーパーカブが発売された時に、祖父は「俺が職場の誰よりも早く新車で購入したんだ」と、誇らしげに語っていたのを思い出しました。

 

それを裏付けるかのように、写真には同僚にカメラを向けられ、まるで役者になったかのように笑顔で新車のカブに乗る姿が記録されていたのです。

 

私の実家には、そんな初代スーパーカブの廃車が眠っています。さすがに祖父の物ではなく、私がスクラップ屋で見付けてきたものです。

 

逮捕される前、それをレストアし、再び祖父に跨がってもらおうと考えた時もありましたが、とうとう叶いませんでした。

 

 

 

やらなかったことを後悔してからでは遅い。

 

 

それが、祖父が命と引き換えに私に教えてくれたことだと思いました。

 

私がもし祖父と同じ寿命を生きられるとしたら、あと61年もあるのです。今の年齢から見れば、やっと3分の1を終えたところです。

 

そんな段階で人生終了のような考え方をしていて、何もかもやることを放り投げているようではもったいない。

 

今の私に与えられた選択肢は確かに他の人より少ないかもしれない。でもだからといって生きられない訳ではない。

 

太平洋戦争の時代を生きた祖父の世代が若かった頃と比べたら、今は無限の選択肢があると言っても過言ではないと思います。

 

だからこそ、典型的な生き方に捕らわれず、こういう立場になってしまった自分だからこそ選択できる生き方を選びたいと、強く感じた帰省となりました。

 

 

家族がまた一人減り、代わりに私に新しい教訓を教えてくれた気がしました。

 

 

今後の人生をどう生きるか。今まで以上に真剣に考えていきたいと思います。

 

 

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鉄道会社で働くことへの憧れ ~将来の夢にどんな絵を描いたか?~

 

祖父を見送って参りました」に7件のコメントがあります

  1. はじめまして。①〜④までのブログを拝見させていただきました。
    私も犯罪をした者です。ただ私はブログ主さんのように知らなかったどころか、わかっていて犯罪をしました。被害者の方と話し、現在起訴等にはなっていません。しかし、いつか訴えられ裁かれるかもしれないと思うと自業自得ではありますが恐怖と自己嫌悪に苛まれます。

    何か楽しんでいると、ふと自分に楽しむ権利はない。きっと犯したことでネット等に晒されれば私は愚かなことをしたのだから苦しめ、と誰かの消費コンテンツになるのだろうかと思います。

    1. >。。。さん

      初めまして、長たらしいブログにもかかわらず、全ての記事をお読み頂き本当にありがとうございます。

      分かっていて犯罪を犯す。それはもしかしたら、一瞬魔が差しただけかもしれません。私だって、もう少し考えていればやってはいけないことくらい分かっていたはずです。
      仮に確信犯だったとしても、その行動を取ってしまった背景には、人には言えない色々な事情の積み重ねがあったことでしょう。その背景を一番知っているのは貴方自身だと思います。

      他人は決して自分を許さないかもしれません。それは仕方のないことでしょう。ですが貴方だけは、貴方自身を許すようにしてください。自分の心を守るためです。

      シャバで楽しく生きる権利があるかどうかを決めるのは司法であり、ネットの住人ではありません。他人にどんな誹謗中傷を言われようと、身近な人間が離れていこうと関係ありません。

      私はむしろ、そういう人間に感謝しています。なぜなら、犯罪者だと分かった時点で叩いてきたり、離れていく人間は、そもそも自分の友人にはなり得ない存在だからです。

      普通に暮らしている時は、誰が本当の友人なのかは見えません。しかし、こういうことがあったとき、それは簡単に分かると思います。
      犯罪者となった自分であっても、その事情を聞いてくれて、そして最後まで傍に寄り添ってくれる人が、本当の友人であるということです。

      ネットで自分が犯罪者であることを拡散し、叩いてくれることで、その記事だけを読んで一人の人間を決めつける人たちとは、最初から知り合う手間が省けるのです。

      そして、そんな過去を持っていても温かく接してくれる人が、本当に貴方の友人になりうる存在なのです。

      なので、貴方の過去を叩く人間ではなく、貴方の過去を知りながら、一人の人間として向き合ってくれる人を見るようにしてください。そしたらこんな時代のこんな国でも、あなたにはまだまだ沢山の仲間がいることが分かります。

      何かあれば直接連絡ください。私で良ければお話聞かせて頂きます。

      1. お返事をくださりありがとうございます。
        >>色々な事情の積み重ね
        そうですね…1つ1つのことは相談することでも無い、愚痴で終わるような言い訳がましいことですが、それがいつの間にかトリガーの1つになったのだと思います。

        私がしたことを知っても変わらずに接してくれる人が一人でもいてくれるだけで凄く幸せなことなのだと考えたいですね。
        自殺に踏切ってしまうまでは自分がしなくてはいけないことを少しずつこなしていこうと思えました。

        そう言っていただけてありがたいです。ありがとうございます。もしもの際はメッセージを送らせていただきます。

  2. 先日、相模原の被告人が死刑になりましたね。
    被告人の方は障害者は死んだほうがいい、とそれを実行したことを咎められています。そして、ネットを見たところ被告人が死刑になるのは当然、さっさと執行されるのが社会にとって良いという意見を拝見しました。

    社会にとって必要ないから消したいという思想を持った被告人、
    社会にとって必要ないから消したいという思想を持った被告人を叩く人
    裁かれる可能性を持つ立場になり初めて、この両者に何の違いがあるのかと考え込んでしまいました。

    これまで死刑制度に確固たる反対意見を持っていませんでしたが、初めて死刑制度の必要性を考えました。
    捕まったから、服役したからといって犯罪をした人の人生は終わらない。物語なら罰を受けた、おしまい、悪者は罰を受ければ受ける方が気持ちいい。

    私は今迄、功罪に関わらずメディアに載ってきた人達を漫画やアニメのキャラクタのように見なしていなかったか。「物語」に則って倫理を説くことを「忘れられる」ことが難しい現在、今一度考え直す必要があると思います。

    1. >。。。さん

      相模原の事件を機に、死刑制度について思うところがあったのですね。

      両者の違いは、「日本の法律に照らし合わせた時に悪と見なされるかどうか」だと思います。

      残酷な事件を起こした犯人も、本人なりの正義というものがあったのかもしれません。
      歴史を振り返れば、似たような理由で国を挙げて罪もない他の民族を虐殺してきた人物は大勢います。しかしそういう人間たちは必ずしも犯罪者として裁かれるわけではありません。きっと虐殺をしていた本人にも、自分なりの正義があったことでしょう。

      では何故歴史の人物は人を殺しても生きながらえ、今回の事件の犯人は死刑判決を受けたのか?

      それは、現在のその国の法律に違反する行為をしたからに違いありません。

      もし日本に「人を殺したら○○の刑に処する」という法律が無かったら、この事件の犯人はそもそも犯罪者になりません。
      世の中の大半の人間には、身近に「今すぐ死んで欲しい人」がいると思います。それは家庭内だったり、学校内だったり、会社内だったりするでしょう。
      そしてその気持ちをそのまま行動に起こしたとしても、日本にこの法律がなければ何の罪にも問われないわけです。

      犯罪者というのは、この国で定められた法律に違反した人間のことを指すわけで、その法律を決めたのも、結局人間なのです。

      そして、日本人はその人間が決めた法律を守ることが最も大事だと幼少期から教え込まれるわけですから、法律に従うことが正義であり、それに違反する者は排除して当然という考え方が一般的になるのは当然です。

      ただ、法律違反を犯した人間に直接危害を加えればその人間も法律違反を犯すことになってしまうわけですから、法律に触れないあの手この手で、法律違反した人間を攻撃しようとするのでしょう。それがネットでの誹謗中傷だったり、嫌がらせという形になっているのだと思います。

      貴方は犯罪の加害者となったことで、裁かれる側の人間の本当の辛さが分かる人間になれたと思います。

      犯罪者であっても一人の人間であることに変わりは無い。どんな場面でも相手が感情を持った人間であるということを分かっていれば、今後の人生において人間関係を築き上げていく場面でも、きっと役に立つことがあると思います。

      1. 返信してくださりありがとうございます。
        ルール遵守で社会秩序を守る日本なのですから、確かに違反した者を叩く流れになるのは当然かもしれませんね。
        この経験が何かの役に立つ日が来ると思いたいです

  3. すみません、
    社会にとって必要ない(社会に悪影響な犯罪者である)から消したいという思想を持っている、被告人を消したい人達、ですね。

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