この記事を読まれる前に、こちらの記事をお読み頂くと話が繋がりやすいと思います。
私はこういう人間です。
最近、ニュースを見ると日産の社長、カルロス・ゴーン氏が逮捕され、拘留が続けられている話題がよく出てきます。
逮捕されてから留置場に入れられ、取り調べを受ける一連の流れを実体験しているゆえ、ゴーン氏が留置場でどのような扱いを受けているのか、粗方想像が付いてしまいます。
自分が一連の取り調べを受けている時に日本の刑事捜査自体に疑問を抱く余裕はありませんでしたが、こうして冷静になって記事を見てみると、色々と思う部分があったので書いてみようと思います。
ダイヤモンド・オンラインがアップしていたゴーン氏に関する記事に、以下のような記述がありました。
世界が知りつつあるように、日本の検察のやり方は誰かを起訴して裁判に持ち込み、被告に証拠を突き付けるものではない。
有罪を認めるまで被疑者を拘束し、弁護士の立ち会いなしに尋問する。
裁判は基本的に形式的なもので、あらかじめ有罪は決まっている要するに、日本はいまだに独裁国家のように前近代的な司法制度なので、ゴーンの裁判もまともに行われずに、検察の「ストーリー」をなぞる「出来レース」ですよ、というわけだ。
私のところに刑事が乗り込んできた時、車に乗せられてから最初にやらされたことは、刑事が読み上げた文章を刑事に言われるがままに紙に手書きするというものでした。
その内容は、要約すれば「私が日本貨物鉄道の敷地に侵入し、機関車から金属を盗みました」という内容を自供させるようなものでした。手書きしたその紙には、指印を押させられました。
この記事に照らせば、これは予め逮捕前に有罪にするためのストーリーを作っておいて、容疑者自身に手書きさせることによって、本人が自供した証拠として有罪にするための材料を真っ先に作っておいたということだと思われます。
拘留されてから弁護士と接見出来るようになれば、そのようなやり方に応じないように入れ知恵をされてしまうので、その前の何も知らないうちに検察側に有利な証拠を取ってしまおうという魂胆があったのだと思います。
事件自体の詳細についてはいずれ書こうと思っていますが、当時私は機関車の解体には多額の費用が掛かるものと思っていて、お金を出してまで処分するくらいの物ならタダで持っていくことで迷惑が掛かることはないだろうと考えていました。
事件当時同行した元同僚は、当該機関車の置かれていた職場が前職場であり、勝手を知っていて案内してもらえたこともあって深くは考えなかったのです。
その証拠に、私は事件の翌日には自身の元職場へお邪魔して、1トントラック満載分の金属入り廃棄物を回収させてもらっていました。こちらは到着時に総務へ顔を出していましたが、向こうでもそうしていれば事前に間違いに気づいたのに・・・と何度後悔したことでしょう。
大企業ゆえ、本来はコストを掛けなくて済む部分にも手間を惜しんで掛けてしまう側面は多々あるでしょうから、分別して資源にすればお金になる物であっても、お金を出して処分しているのだろうと考えていました。
逮捕される数週間前にも、総務から処分費の掛かる廃コンテナを安く回収出来ないかと依頼されており、社長と相談して外国人ヤードでの活用先を見付け、活用できそうなので無償で回収しますという話がまとまっていて、後日ユニック車で伺う予定でいました。
退職してからも、お世話になった会社に今までと違う形で貢献出来ている・・・転職先のリサイクル業はそのような実感をもってやっていた仕事でしたから、その会社に窃盗容疑を掛けられ逮捕されるなどと、夢にも思っていませんでした。
事件となった現場で回収した部品の損害額は13万円と言われました。しかし、実際のその部品を金属として13万円の価値にするには、人手を使って分解・分別作業が必要なもので、その手間は2人の人手でも5日間くらい掛かりそうなものでした。
移動時間や回収に要した時間、トラックの燃料費等を考えれば、わざわざリスクを犯して大金目当てでやろうと思うような割の良いものでもありませんでしたし、実際処分する際にそのような価値が付くことは考えられず、当該金属の含有量だけで算出された数字なのだと思います。
それでも実際には金品を盗んで損害を与えてやろうなどという思いは無かったものですから、警察が来た時も事情を説明して、会社にも謝罪して提示された被害額を即刻弁償したい旨を申し出ました。
しかしその申し出は却下され、弁済の申し出は弁護士がやってくれるまで先延ばし、会社への連絡も認められず、「売れば金になると思って、私が盗んだことに間違いありません。」という検察のストーリーを軸に捜査は進められていくこととなりました。
これがダイヤモンド・オンラインの言う、「出来レース」というものなのだと感じました。
拘留中に弁護士に聞いたことですが、「罪の意識なく行った犯罪行為は罪に問われない」という法律の基本があるそうです。それを過失とまで言っていいか分かりませんが、その結果発生した損害等があれば、民事で解決しなさいというものです。
その条文があるために、もし私の本心を証拠能力のある形で残してしまえば、私を有罪にすることは出来ません。
取り調べの間、刑事はあの手この手で、執拗に私が罪の意識を持ってやったことだと認めさせたがっていました。これはそういうことなのだと、弁護士に聞いた直後から感じていましたが、時既に遅しでした。
弁護士を間に入れず、容疑者に不利で検察側に有利な証拠をいち早く集めておく。
容疑者が有罪を認めるまで拘留され、検察が起訴すれば確実に有罪判決を勝ち取れる状態を作ってから、始めて起訴される。
それ故、裁判になってしまえば何を言おうにも容疑は覆らず、出来レース同然の流れで進められていく。
そんな流れを、身をもって味わってきました。
だから日本の刑事事件では、起訴された人間の有罪判決率は99%以上となっているのでしょう。
日本の検察の目的は真実の追求ではなく、自白を引き出して一人でも多くの犯罪者を作ることなのだと思います。
私が弁護士に最初に会えたのは、逮捕された翌日の夕方でした。
その頃には既に検察による最初の取り調べも終わり、今思えば有罪確定とさせる証拠を全て集め終えられていたのだと思います。
さらに、日本経済新聞ではこのような記事を見掛けました。
韓国の司法と比べた、日本特有の「人質司法」
『韓国では、捜査段階の調査を証拠として採用できる条件は明確化。
取り調べに弁護士が立ち会う手続きや、取り調べ可視化の方式を規定。
容疑者調べは身柄を拘束せずに行う原則を明文化--などだ。
どれも容疑者・被告人の人権を守り無理な取り調べをさせないために効果のある、
そして日本の刑訴法にない条項である』
『驚くべきことだが、日本の刑事訴訟法では、容疑者の取調べに弁護人は立ち会えない。
こんな対応は独裁政権下のことかと思うだろうが、日本のことだ。』
法は容疑者の人権を尊重してこのように定められているようです。
もし日本の司法で容疑が掛けられた当初から弁護人が立ち会うことを認められていたら、全く異なる展開になっていたに違いありません。
そしたら事件の結末も、大きく異なっていたのではないかと思います。
実は、警察が乗り込んできた当日、私はその場にいませんでした。
刑事は住民票のある実家へ来たようですが、私はその時リサイクル屋の社長のところに泊まっていて、親から電話が掛かってきてその事実を知りました。
そこで雲隠れすることも、時間を稼いで徹底的に証拠を隠滅することも出来ましたが、私は正直に今の居場所を刑事に伝え、彼らが車でやってくるまでの1時間程度、その場を離れずに待っていました。
わざわざ刑事に自分の居所を伝えるくらいですから、身柄を拘束しなくても逃げるようなことはしなかったのに、手錠を掛けられ拘束された状態で捜査を続けられることになりました。
これが人質司法と呼ばれる、日本独自の刑事捜査なのだと思います。
もう一つ疑問に思ったことは、弁護士を通じて謝罪や弁済の申し出も行っておきながら、なぜ会社には応じてもらえなかったのかということです。
事件の形態は様々なので比較するのも間違っていることかもしれませんが、管理職が会社のお金を2千万円横領したとか、路線バスの運転手が運賃箱から合計350万円を盗んでいたとか、そういう関係者が起こした事件のニュースって結構頻繁に見かけると思います。
皆さんはその事件が結果的にどのように収束したのかまで見届けることは、ほとんど無いのではないでしょうか?
容疑者が逮捕された記事を読んで終わりか、何かすると言ってもSNSとかブログに傍観者目線の感想や、容疑者批判のコメントを書き込むくらいではないかと思います。
実際、私も以前はそれくらいでした。次の日にはそんな事件のことなんて頭の片隅にも残っていやしない。
しかし、自分が事件の容疑者として罪に問われた経験を持つと、そうやってニュースにされて名前を挙げられた人の事件は、最終的にどうなったのかを興味深く探るようになりました。
その結果、関係者による犯行によって会社に損害が発生した場合、犯人がどのような人間なのかも会社側は分かっているため、示談のうえ弁済をもって被害届を取り下げ、不起訴で終わるパターンが圧倒的多数であることに気付きました。
かたや、私が盗んだ物は13万円(と言われている)金属ゴミです。しかも防犯カメラがあることを知っていて平然と出入りしていたため、車やナンバーで誰なのか簡単に分かってしまいます。
それでも弁護士を通じての弁済には応じず、謝罪文も受け取ってもらえずに示談とはならなかったわけですが、弁護士が伝えてくれた話を聞いて、何故私がそうならなかったのかを理解することが出来ました。
弁護士によれば資料には会社側への調書が織り込まれていて、そこにはこのようなことが書かれていたとのこと。
「最近社内で工具など備品の紛失が続いており、社内に盗んでいる物がいると考えている。そのような人間に警鐘を鳴らすためにも、容疑者には厳罰を求めます。」
そういうことか・・・と思いました。
要するに私は、未だ捕まっていない社内の犯人への見せしめということだったのですね。
申し出た弁済を受け取ったり、謝罪の手紙を受理したりしてしまえば、示談となって刑事事件ではなく、不起訴となって民事になってしまう可能性が高まります。
そうなれば未だ分からない社内の犯人に示しが付かないため、ちょうどいいタイミングで現れた私達を徹底的に潰すことで、
「このまま犯行を続けるなら、いずれお前もこうなるぞ」
と、脅しを掛けておきたかったのだと思います。
被害者側がそういう思いでいれば、もはや金額の大小や対象物が何だったのかなど考慮されるはずもありません。被害者側と検察側の利害が完全に一致してしまっているのですから。
この話を聞いた時、私は留置場の塀の中で、自分の人格というか、心が壊れる感覚を確かに感じました。
あのとき、どれほど自分の不運を嘆いたことでしょうか。
私が拘留されている間、その檻は覚醒剤容疑で拘留されていた30代半ばの人と相部屋になっていました。
真実を知り、檻の片隅で頭を抱え、髪の毛を握りしめてうずくまっている私を見て、彼がその時の私を慰めてくれなかったら、本当に自殺していたかもしれません。
長期間拘留され、手錠を掛けられた状態で本心に反することを何度も自白するように吊るし上げられているうちに、実は自分はそういう考えで行為に及び、自分自身もそういう人間だったのではなか?という気持ちになってきます。
「そうか、自分は確かに体を壊して会社を辞めたし、本当は会社に恨みがあったんだ。
だから会社に損害が発生しても知るかという気持ちで、安易に敷地に入って盗むようなことをしてしまったんだ。
こんな人間なんだから、罰せられても仕方ない。」
いつの間にか容疑を否定する気力もなくなり、最後の方は突きつけられた状況証拠に対して、うつ向きながら刑事の都合のいいようにハイ・・・ハイ・・・と言うことしか出来なくなっていました。
あとは言われるがままに刑事の作文に指印を押させられ、もはや挽回の余地すらない状態となって初めて、保釈が認められるのでした。
結局被害者側は一切のコンタクトを拒否。裁判の判決直前に、それまで拒否していた弁済金の受け取りに応じ、7万円上乗せされた20万円の請求を黙って支払いました。
しかしその時点では既に裁判は判決を言い渡すだけの状況になっていて、上乗せまでした弁済の事実が有利に働くことはありませんでした。
徹底的に潰したいけど、判決後では支払いを渋る可能性が出てくるので、弁済していない事実で不利な状態を作りつつ、しっかり金は回収出来るように受け取りを判決直前まで引っ張ってやった。
恐らくそんなところだと、弁護士は言っていました。この時点では、私には既に物事の判断能力は残っていなかったと思います。
あれからもう2年半以上。これだけの時間をおいて初めて、当時の記憶が整理出来るようになった気がします。
だから今更どうしようという気持ちもありません。たとえ刑事の捜査が荒っぽかったとしても、会社が非情だったとしても、そういう結果を引き寄せた原因は全て自分の行動にあるのだと思っています。
原因を自分に見出だせなくなると反感や被害者意識が高まり、自身を破滅に追いやったり、相手に復讐するといった破壊的な行為へ向かってしまいます。
私はそうならないために、最近は心理学系の本を積極的に読むようにしていて、身の回りに起こることの全ては自分の考えや行動が原因で引き寄せた結果なのであると自分に言い聞かせ、当事者意識から一歩引いて、客観的に自分を見るようにしています。
カルロス・ゴーン氏の逮捕は私なんかと比べれば遥かにスケールの大きい話だとは思いますが、きっとご本人は、そのような中で本心と反することに容疑を掛けられる理不尽さに苦しんでいることと思います。
もっと時代を遡れば、ライブドアの堀江貴文氏のような方だって、きっと本心とは違うことで追い詰められていたのではないかと感じます。
塀の中で散々脅しをかけて自白を引き出され、塀の外へ出てみれば、真実を何も知らない世間に袋叩きにされる。
それが日本で犯罪の容疑者になるということだと思います。
このブログの読者さんの中で既に容疑者として報道され、苦しい日々を送っていらっしゃる方がいたら、自分の苦しみの原因を世の中や周りの環境のせいだと思うことを、一度やめてみましょう。
自分の行動の結果が今の苦しみなのであれば、未来の自分の行動を変えれば、未来の自分のもとにはまた違う結果が訪れます。
そして、事件とか容疑者とかと無縁の大半の読者さん。
ニュースで誰かが何かの事件で逮捕されたニュースを見たら、報道の内容がどこまで核心を突いているのか、一度考えてみて下さい。
この容疑者は、本当に報道されているような悪意をもってその行為に及んだのか?
仕方なくやらなければならない背景はあったのか?
とこかで勘違いはあったのか?
SNSやブログで好き勝手言う前に少しでもそういうことを考えてあげたら、容疑者だっていくらか救われて、更生のハードルが低くなるのではないかと思います。
こんなことを言えば、
「犯罪者のくせに被害者ぶって偉そうなこと言ってんじゃねーよ!」
って、思う人が沢山出てくることでしょう。
でも私はこのブログの読者さんの中で、たった1人でもこの話を聞いて、事件ニュースへの見方を変えてくれる人がいて下されば十分です。
先述の通り人格が壊れたせいなのか、最近見下されたり罵倒されれることへの反応が鈍感になってしまった代わりに、人の優しさに触れることに非常に敏感になってしまい、触れると涙が止まりません・・・。
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