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運転士養成所での生活③~拷問椅子~

前回の話はこちら。

運転士養成所での生活②~待ち遠しい週末~

 

環境的には恵まれていた方だと思える研修所生活でしたが、苦労したり辛い思いをすることもありました。

 

個人的に最も辛かったのは、「椅子」でした。

 

研修所で授業を受ける時に座っていた椅子は、体の形に合わせて成形された樹脂の背もたれに、布製のクッションが入ったもので、それはとても快適なものでした。

 

しかし、研修の中盤頃、国土交通省の監査が入ったことがあったようです。その時、監査に来たお役人がボソッと「椅子が寂しいですね」と言ったそうです。

 

それはどういうことかと言うと、教室で使われていた椅子は長い間使い古されたもので、クッションの布地の一部が破れていたりと、見栄えはあまりよろしいものではありませんでした。恐らくそれを指摘されたのだと思います。

 

しかし、当時の研修所の所長は何を血迷ったのか、監査の翌日にはその椅子を全て廃棄してしまい、新品の椅子に取り換えるという行動に出ました。

 

それだけなら良いのですが、新しく用意された椅子はそれは酷いもので、小学校の椅子のようなプラスチックの平たい座面にクッション無しの、子供が座るような安っぽいものだったのです。新品にすれば何でもいいやと、コストをケチって安物を購入したのでしょう。

 

長時間の授業ではお尻は痛くなるし、プラスチックなのでお尻は蒸れるし、とたんに座学の授業は苦行になりました。

 

しかし、世の中も会社も上の人間の一声には機敏に反応し、下の人間の声には耳を貸さないのが世の常です。

多くの研修生が椅子の苦痛を訴えて教師に申し出ていたのですが、痛ければ座布団を自分で用意しろとのお達しが出て、結局耐え兼ねた研修生の多くが自腹で座布団を購入する羽目になりました。座面の高さも微妙に合わず、腰も痛くなりました。

 

他の研修生もこれにはみんな怒っていて、夜中に所長の事務椅子もこれに変えてやれ!と冗談まじりに批判する者もいました。

 

この研修センターが設立されたのは、バブル期の景気がとても良かった時代のことです。研修所はその頃に潤沢な資金を投入して作られたことが伺える立派な物でしたし、恐らく教室にあった椅子も、その頃に購入された質の高いものだったことでしょう。

 

それが一夜にして、座るだけで苦痛を感じるような安物に変わってしまった・・・まるで会社の窮状を如実に表すかのような仕打ちで、研修中の他のどんなことより辛かったのを覚えています。

 

今後、この研修所で学ぶ社員全員がこの固い椅子に悩まされ、自腹で座布団を買わされることになるのかと思うと、やりきれない思いになりました。

目先のお金を惜しんだことが後々どれほど多くの不幸を生むのか、立場のある人間にはもう少し考えて欲しかったと、ただただ残念に思うばかりでした。

 

 

一方、ソフト面での辛さと言えば、一部の教師のやり方が自分に合わず苦労したことくらいでしょうか。

 

運転取り扱いの規定では、特定の条件下での運転士からの合図を複数定めている場合があります。

例えば、機関車に乗ってブレーキ試験を行っている時、正常な時は無線機を使って検査員に「エアオーライ」と言うか、汽笛を一声鳴らすかのいずれかを行うと決められています。

 

研修中、それを座学で習うわけですが、実習中にEF65-1001号機に乗ってブレーキ試験の訓練を行っていたとき、正常なことを確認して教師に「汽笛を鳴らしてもいいのですか?」と聞きました。

 

すると「なんで無線機があるのに汽笛を鳴らすんや!!」と怒鳴られたことがありました。

 

無線機がある場合はそっちを優先しろとはどこにも書かれていないので自然に湧いた疑問だったのですが、聞いただけで怒鳴られるとは理不尽な教師だと感じたものです。

 

こういう話は研修所を出てからの見習いを経験してきた先輩方からも良く聞く話で、やたら理不尽に厳しく指導する人間がいて見習い中に辞めてしまう人が続出していると、問題にされていたこともありました。

 

研修所の教師も元運転士の人間が全国から集められてやっているため、全員が人に物を教える資質を持っているとは限りません。自分たちの研修所時代はもっと緩かったと昔話をするわりには、今の研修生にはやたら厳しくする人がいたのです。

 

あとは本人が聞いている前で人格を否定するような発言をしたり「誰々よりはマシかもな」とか、教師同士で話しているのを聞いた時は耳を疑いました。クラスには一応担任と副担任がおり、それはその二人を前にして個人面談の時のことだったと思います。きっかけは声が小さかったとか、そういう些細なことだったと思います。

 

研修所で学ぶ勉強自体はさほど苦痛ではなく、むしろ楽しいくらいでしたが、小さなことの積み重ねでやはりストレスの大きい環境でした。同期ともあまり良い人間関係は築けず、東海支社の入社同期の輪の中でも浮いたままで、これもストレスの原因になっていたと思います。

 

金曜日の最後の授業が終わったら誰よりも先に研修所を飛び出して帰省し、平日は淡々と授業を受ける。さっさとカリキュラムを終えてここを去りたいと思っていました。

 

 

4か月の研修の終盤、試験は全教科特に問題なくクリアすることができました。

 

点数が足らず再試験となった人はとてもピリピリしていて、研修所内の空気は合格者と不合格者の温度差で非常に居心地が悪い環境となっていました。

 

研修所生活に付いて行けず、途中で脱落した人間も2人くらいいたと思います。そういう社員の今後はどうなるのかとても案じたものですが、今となっては結果的にリタイアして運転士にならないほうが幸せだったのではないかとさえ思います。

 

試験をクリアした人間は、再試験の人間が補習を受けている間、JR東日本の指令所を見学に連れて行ってもらいました。

広大なオフィスで大勢が忙しそうに駆け回っていて、マイク越しに列車に指令を出している司令員も大勢いました。その日はお召し列車の運転もあったようで、オフィス中央にあるステージのようなテーブルでひときわ慌ただしくしている人たちがいたのを覚えています。これがJR東日本の頭脳なのかと思うと、すごい世界を見てしまったような気がしました。

 

あとは常磐線三河島駅へ行って、近くの神社へ出向いて昭和時代に起こった三河島事故の慰霊碑の前で手を合わせるといった研修も行われました。自分の手一つでこれだけ多くの犠牲者を出せる仕事をするのだと、責任の重さを実感させる目的だったと思います。

 

研修期間中も何度かレクリエーションのようなものがあり、遠足みたいな感じで近くの海浜公園へ行ったり、草野球をやったり、体育会系の人にありがちな身体を動かさないと我慢できないストレスを発散するような機会もありました。学生時代に体育の授業が最も嫌いだった私にとっては、それも苦痛でしかありませんでしたが・・・

 

 

なんだかんだしているうちに、4か月間の研修が終わりました。

最後の夜には全員で50人規模の飲み会をやり、最終日には全員で研修所の大掃除をやって、部屋のチェックをしてOKをもらった部屋から解散になりました。

 

私たちの部屋は加湿器に水が残っていたという理由で没になり、再チェックしてもらうまでに30分以上待たされて予定の列車に乗れなくなるなど、最後の最後までストレスを感じる時間でした。

 

やっと解放されても、今度は慣れない職場で本格的な見習いが始まります。研修所には2月に入所して、6月初頭に静岡に帰る流れだったと思います。もう汗ばむ季節になっていました。

 

吉原駅で過ごした平穏な日々と違い、年が明けて運転課に転勤してから全く気の休まらない日々がまだまだ続くのです。

 

機関車のハンドルを握るのは夢ではありましたが、その日がだんだん近付いてきたかと思うと、逆に不安ばかりが大きくなっていくのでした。

 

この話の続きはこちら。

本物の機関車で訓練する ~触ったら即死~

ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。

鉄道会社で働くことへの憧れ ~将来の夢にどんな絵を描いたか?~

運転士養成所での生活③~拷問椅子~」に12件のコメントがあります

  1. >しかし、世の中も会社も上の人間の一声には機敏に反応し、下の人間の声には耳を貸さないのが世の常です。

    まさにその通りですね

    主任は課長に、課長は部長に、部長はさらに上に…

    JRは国土交通省に…

    やはり偉くならないといけなのかな?と思いました。

    このブログは実体験をもとにしているだけに読んでしまいます。これからも頑張って下さい

    1. >西日本さん

      いつも応援して下さりありがとうございます。

      おっしゃる通り、自分の意見に影響力を持たせるには、偉くならなければいけないのがこの国の図式なのだと思います。

      しかし、偉くなった人は若いうちから勉学に励み、努力してきた背景があると思います。

      偉い人を責めるばかりでは何も始まりませんが、その勉学の過程で、先見の明も養って頂きたいというのが本音でしょうか。

      毎回お読み下さり感謝いたしております。今後ともよろしくお願いいたします。

  2. はじめまして。
    いつもブログ拝見させていただいております。
    私はこの夏に 関西支社の入社試験を受ける高校生3年生です。
    正直、給料も高くなく生活リズムも不規則でとても不安です。
    そんなことで悩むならやめた方が良いと思われるかもしれませんが、私にとってこの会社で働くこと、貨物列車の運転士になることは幼い頃からの夢であり諦めたくありません。
    また仕事は憧れだけで出来るものではないとも充分理解しています。
    そんな中、加納さんのブログに出会って勇気をもらえました。 会社のこと、いざという時人は逃げ道をみつければ心が楽になることを教えてもらえて、このおかげで憧れに縛られていつまでも働くのではなく5年6年経ったら地元に帰ろうと簡単に考えられるようになりました。
    加納さんはそんなつもりでブログを書かれているつもりではないかも知れませんが私みたいに加納さんから勇気をもらえた人間がいることを知ってもらいたいと思いコメントさせていただきました。
    求人指定という逃れられない環境で心に支えができたことに感謝しております。読みにくい文章ですみません。ありがとうございました。

    1. >高校生さん

      初めまして、ご丁寧なメッセージをありがとうございます。
      これから将来を考える大切な時期の学生さんに、このような汚れた内容のブログをお目に触れさせることになってしまい大変申し訳なく思います。

      そんな中、こんなブログから価値を見出して頂けたこと、心より嬉しく思います。お言葉を頂いて、私自身とても救われた気持ちになりました。ありがとうございます。

      あなたの人生において貨物列車の運転士になること自体が夢なのであれば、この会社で働く以外に選択肢はほぼありませんので、お考えの進路は間違っていないと思います。

      しかし、生涯運転士として40年以上のキャリアを積むことが出来たのは、正直国鉄入社世代までだと感じております。

      私が勤務していた頃にはそういう世代の方が定年退職していく姿を何度も見送りました。

      最後の列車を到着させ、同僚に花束で迎えられて笑顔で会社を去る。

      そんな国鉄機関士の姿に憧れ、自分もその使命を全うしたいと強く思った時期もありました。
      しかし、正直現在はそのような働き方が出来る環境ではないと感じますし、きっと今から40年後には、鉄道に運転士は要らない時代になっていると思います。

      私もあなたのように憧れを持ってこの仕事に就きましたが、そういう人間ほど、「好きで憧れて就いた仕事なんだから途中で投げ出してはならない」と、厳しい環境でもメンタルブロックがかかるのは事実だと思います。
      「一番やりたかった仕事をしてるんだから、辞めても今より良い仕事が自分にはあるのか?」と考えるようになり、身動きが取れなくなるのです。

      しかし、一度会社という小さな世界を抜ければ、人生の選択肢は無限に存在します。あなたもそのことを忘れず、自分の人生において貨物列車の運転士をした時代があったという歴史を刻めること自体に重きを置けば、何年でリタイアしたとしても満足度は変わらないと思います。

      ただ、鉄道の運転士というキャリアだけでは、正直他の業界への転職は厳しいです。私も会社を辞める前に転職活動をしましたが、鉄道で培ったスキルなど他では一切役に立ちません。自動車整備士の資格ですら、20代後半にして現場経験がないという理由で却下されたくらいです。

      なので、数年後の離脱を視野に入れるのであれば、転職の際に潰しが利くよう、世の中で必要とされるスキルを習得しておくことをお勧めします。今は必要ないと思っているスキルでも、思いがけないタイミングで将来の自分を救うことになるはずです。

      もしくは、30歳を迎える前までに卒業できる年齢のうちに、再度専門学校などに進学するというのも方法の一つだと思います。そこで専門知識を学べば、その学校の持つパイプを利用して新しい業界へ転身することはとても確度の高い方法です。その学費を自分で出せるよう、JR貨物から頂いたお給料を無駄遣いせず、大切に貯めておくことも考えてみてはいかがでしょうか。

      これは結果的に犯罪者になった人間のアドバイスですので、あくまで可能性の一つとしてご参考にして頂く程度で受け止めて頂ければ幸いです。あなたの人生がより良いものになりますよう祈っております。

      1. ご返信とアドバイスありがとうございます。
        高校の担任に相談しても好きなことができるんだから一生懸命にやりなさい、としか言われなかったのでいままで知識のある方からアドバイスをもらえることなんてありませんでした。
        加納さんはご自身のことを元犯罪者とおっしゃられていますが私が将来に希望を持つことが出来たのは他でもない加納さんのおかげです。私は御縁があり JR貨物さんに内定を頂いてからも加納さんの言葉を忘れず生きて行きます。
        これからもブログ読ませてください。
        ありがとうございました。

  3. はじめまして。
    いつも拝見させていただいております。私も加納さんと同様に、心底鉄道に惹かれて鉄道に勤めた者です。そして、実務とは離れたところで鉄道業界の闇も知ることになり、幻滅していた人間です。

    「憧れて就いた好きな仕事なのだから」という束縛にいつしか縛られ、激務と複雑な人間関係、職責と職場の融和の間で葛藤し、本当に辛くてたまらなくなっていました。

    そんな時、加納さんのブログと出会い、感銘を受けました。有事の際の処罰を教えられるのか、成功した際の報酬を教えられるのか。この一言が私に進むべき道を示してくださいました。会社がどう言おうと、正しい道は加納さんの仰る通りだと思います。

    これからも拝見させていただきます。ありがとうございます。

    1. >アゴヒモさん

      初めまして、ご丁寧なコメントをありがとうございます。
      あなたも鉄道に憧れて業界に入られたのですね。やはり憧れを持って入った人間ほど、現実に幻滅してしまうのかもしれません。

      おっしゃる通り好きで入った人間は、現実が酷いものであったとしても決断が出来なくなると思います。そうしているうちに体を壊したり、精神を病んでしまったりするのでしょう。

      私は退職後に他の仕事を経験したことで、生きがいというのは仕事の内容で得られるものではなく、仕事をする環境によって得られることを知りました。
      どんな仕事をしているかは関係ありません。畑違いな業界であっても、きっとあなたにとって理想の居場所があるはずです。

      こんなブログに価値を見出して下さり、ありがとうございます。あなたが今後良い方向へ人生を進められますよう、応援しております。

  4. はじめまして。人間、生きていたら色々な事がありますよ。いい事も悪い事も。
    頑張りましょう!

    1. > 美魔女おばさん 様

      初めまして、励まして下さりありがとうございます。

      おっしゃる通り、生きていたら予想も出来ない出来事が沢山起こりますね。厳しい現実に圧倒されて参っていましたが、長い時間穏やかに過ごしたことで少し元気が出てきました。

      執行猶予が終わったら社会復帰出来るよう頑張ります。ご配慮のあるコメントをありがとうございました。

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