執行猶予が満了してから早くも1ヶ月が経ちました。
この3年間、自身の立場を言い訳にニート同然の暮らしを続けてきたわけですが、既にその言い訳は出来なくなっています。
しかし、再び社会に出て組織の中で働くという生き方を想像すると拒絶反応のような感覚に襲われ、未だに就職という道を選ぶことが出来ていません。
いくつかの転職サイトに名前だけ登録してみましたが、紹介で来る案件は派遣の仕事ばかり。さらに私の立場では、それすらも果たして就くことが出来るのか分かりません。
正社員とか派遣とかアルバイトとか、とりあえずそういうこだわりはやめて受けに行けばいいのでしょうが、履歴書を書くときに自分の前科をどのように書けばいいのか。それを思うと端から就職は無理だと思わざるを得ないのです。
前科を隠して就活するという方法もありますが、私のように実名報道で事件の記事が書かれてしまった人間は、本名をネット検索で調べられただけで簡単に元犯罪者であることがバレてしまいます。当然そうなれば採用されないでしょう。
仮に運良く調べられずに採用されたとしても、後々バレてしまう可能性もあります。
同僚が何気なく調べて知ってしまったり、仕事上資格が必要になり、何らかの資格を得る立場になったとき。そんな時に前科があることが理由でその資格がおりずに会社にバレて、犯罪歴があることを隠して入社したとして解雇されることだってあり得ます。
では逆に、前科があることを堂々と履歴書に書いてみたらどうなるのでしょうか。
ネットで調べると、賞罰の書き方というものが情報として出ていました。
一応、このような書式で記入することが正しい書き方になるようです。
私が就職活動をするのであれば、ここを書かないわけにはいきません。しかしこれを書いた履歴書で就活をしようものなら、用紙代と郵送費をひたすらドブに捨てるようなものであることは明らかです。
仮に採用されたとしても、前科のある人間でも採ってやったんだからと、職場で差別的な扱いを受けるケースは非常に多いと聞きます。
ということは、前科がある人間は結局就職できないという結論に至るのは、普通の感覚を持った人間であれば当然陥る思考です。
そして仕事に就けないまま生活費が資金難に陥り、追い詰められて自殺をする人もいれば再び犯罪に手を染める人もいるでしょう。
このブログでは何度も話題にしていますが、日本という国は犯罪歴のある人間にとって更生を許さない風潮があります。表向きには違うと言われるかもしれませんが、実際はそれが現実です。
私も再就職が出来ないまま貯金を食い尽くしたら、その後どうなるのかは想像がつきません。
ただ一つ言えることは、都会や地方都市ではなく長閑な田舎へ移住したことにより、就職という道を選ばなくても生きていく方法があることを知ったということです。
世の中には人に雇われずに自力で生きている人も沢山います。そういう人は自分の肩書きや社会的地位がどうであるかは関係なく、日々一生懸命働いてお金を稼いでいます。
例えば農業をやっている人なら、その作物を作った人間に前科があろうがなかろうが、生産した作物は平等にお金になります。
漁師であれば、船乗りに前科があろうがなかろうが、獲ってきた魚の分だけ平等にお金になります。
お金を稼いでいくために肩書きや社会的地位は必要なく、純粋に生産した物の価値に相当するお金をもらえる働き方は確かに存在します。
同時にこれらは、上の人間に命令され、給料という形でお金をもらう時間の切り売りではありません。これらは自分自身が生み出した価値をお金に替える仕事。
田舎で暮らしてみて、そんな生き方をしている人を見るとどこかエネルギーに満ちていているように感じました。
会社に再就職したら、私は昔の自分に戻ってしまうような気がしています。
毎日通勤電車に揺られ、日々仕事や会社に対する不平不満を愚痴りながら、時間に縛られ、嫌な上司の命令を聞き、ストレスにまみれた暮らしをする。
そんな生き方には、もう到底堪えられそうにありません。
私が今後も生き続けて天寿を全うするとしたら、少なくともあと50年は見ておかなければなりません。その時間は、私が産まれてから今日に至るまでの31年という歳月の、実に2倍近くもあるのです。
残りの人生をサラリーマンとして精神的苦労をして生きるくらいだったら、多少肉体的苦労が増えたとしても自力でお金を稼ぐ道を探した方が、ずっと人間らしく、少なくとも自分に合った生き方が出来るのではないかと思えました。
幸い、私にはまだ考える時間が残されています。資金的には、もって1年以内といったところでしょうか。
今住んでいるこの町で、自分の力で生きる道を見出すことが出来ないか、真剣に考えていこうと思った今日この頃でした。
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本当にこのブログを読んでると生きるか死ぬかの瀬戸際にいることを彷彿されます。
筆者のような罪はありませんが、かつかつです。
幸い、私にはまだ考える時間が残されています。資金的には、もって1年以内といったところでしょうか。
返信コメント見させてもらいましたが、メーカーはアレルギーがありますか。工学で自分に起き嫌なことかもしれませんがお金だけは減っていきますよ。
サラリーマン以外ですと私はやったことないので、ブログで収入とか安直なことしか言えません。前にも書いたかもしれませんが、鉄道の就活に絞ったテーマとかどうでしょう。苦難が多かったからこそ他のひとには同じようになってほしくないと伝えらるのではないでしょうか。
フリーランスは全くわかりませんが、昔読んだ本にブラックIT企業から倒産、フリーランスになったきたみりゅうじさんを思い出しました。
https://oiio.jp/
>西日本さん
いつもありがとうございます。
逮捕されて以降、いっそ死んでしまった方が楽だと考えたことは数え切れないくらいありました。
しかし生きてさえいれば、悪いことばかりではなく必ず良いこともあると思えるようになり、今では精神的に生死の瀬戸際を彷徨うことはなくなりました。
とはいえ、今度は物理的な面で生死の瀬戸際に瀕していることを考えなければならない状況に来ており、いつまでも言い訳ばかり言ってられないと感じているのも事実です。
これから1年間の間は自分自身の力で生きていく道を探し、どうしても見付からなければ最終手段としてアルバイトで食いつなぐしかないかと思っております。
日雇いなどのガテン系の仕事であれば、どんな過去を持っていようが使ってくれると聞いております。しかしそのような仕事を経験してこなかった私が、いきなり重度の肉体労働に耐えられるかというと全く自信はありません。
ブログの収益化について、ご提案下さりありがとうございます。
まずこのような内容のブログで生計を立てることは不可能だと感じております。一度申請してみたことがありますが、広告が許可されませんでした。
一方、別のブログを作って鉄道会社の就活について書くことは読者さんにとって有益かもしれません。しかし私のようなマイナスの経験しかしてこなかった身では、結局入らない方がいいという一方的な意見の記事しか書けそうになく、それも違うのではないかと思います。もちろん、私の元いた会社に入社を検討している人がいたとすれば、口が裂けてもお勧め出来ないのは事実ですが。
今の自分の環境で考えられることから、新しい生き方を見付けていきたいと思います。いつも気に掛けて下さりありがとうございます。
こう考えてはどうでしょうか。
人によって前科の考えは十人十色
ならば、履歴書に前科を書き就職活動をして理解されるところに就職してはどうでしょうか。
もし就職活動をして落ちてもくよくよする必要はありません。
前科が無くても就職活動は落ちるものです。
人によってなので理解する人もいれば
理解してくれない人もいるでしょう。
しかし、意見が分かれるのは罪だけではありません。仕事の考え方も意見が分かれることはよくあります。
面接で自分を知ってもらってはどうでしょうか。
加納さんなら十分やっていけると思います。
いまは、時代も変わり少子高齢者が進み、どこの会社も人が足りない現場が多くなり、外国の方の協力がないと仕事を回せない会社もあります。
仕事は、社会貢献です。
ブログを書くことも人に影響を与えるため立派な仕事だと思います。
どんな仕事も大変ですが頑張りましょう。
>しんべいさん
アドバイス頂きありがとうございます。
おっしゃる通り、履歴書に前科のことを書いた上でも採用して頂ける会社があるとすれば、それは非常に有難いことです。
一方で、そんな人間をわざわざ採用するということは、他に人を選ぶ余地のない余裕の無い会社か、人をボロ雑巾のように使い捨てるつもりのブラック企業である可能性も高いです。
再び以前のようなブラックな世界に身を投じては、心身ともに堪えられないことが分かっているので、慎重にならざるを得ないのが現状です。
再就職という道が絶たれたとまでは思いませんが、雇われるという形を取らず、自分の力で生きていく道はないかと、模索しております。
親切なアドバイスを頂きとても救われました。ありがとうございます。
それを見付けるまでには
初めてコメントさせていただきます。
実は私も加納さんと同じ会社に勤めていた時期があります。
といっても期間はかなり短かったのですが、うつ病を発症し退職しました。
その後別の会社に就職したのですが色々あり、現在は無職になったばかりです。
私は短い期間でしたが、在籍していた会社の元社員の方のブログということ、そして私もうつ病を発症した時に自殺を本気で考えた経験があるということから、加納さんとは何か繋がるところがあると一人勝手に思っております。
加納さんのブログにコメントをさせていただいたことさえなかったものの、前々から拝見させていただいておりましたが、あなたには人の心に訴えかける文章を書く文才があると思います。
これからの日本は終身雇用も崩壊し益々、個人で仕事をする時代に拍車がかかると思います。
あなたのような聡明な方ならたとえどこかの企業に属さなくともどうにでも生きていけると思います。
あなたには過去の辛い経験を実名でインターネット上に書き込む強さがある。そして人より辛い経験をされたあなたはその分人に優しくできる。あなたなら大丈夫。
少なくとも私はあなたのブログで心を救われています。
>H.Mさん
初めまして、コメントを下さりありがとうございます。
あなたもJR貨物にお勤めされていた経歴をお持ちなのですね。うつ病を発症し、退職に追いやられたとのこと、現場によって非常に理不尽な環境であるを知っている身だけに、大変辛かったこととお察しいたします。
私のいた職場でも、うつ病で長い休職の後、退職された30代後半~40代の方がいました。人によっては非常に耐えがたい環境であることは間違いございません。
人間、一度心身のバランスを崩してしまうと立ち直るのは難しいものですよね。
私も未だに不規則な勤務をしていた時代の影響なのか睡眠の質が低く、体調も優れない日が続いております。精神的な面でも再起の妨げとなっている要素も多く、たった数年間で人生の大半を食い潰してしまったかのような後悔が残るばかりです。
ただ、その一方でそのような組織に身を置いたことにより、終身雇用で働く時代が既に終わっていることや、人に使われない生き方もあるということに気付くことが出来たとも感じています。
今思うことは、人生は満足な給料がもらえることが大事なのではなく、人間らしく生きられることが最も大切だと感じております。そのためには理不尽な環境に堪えて働き続けるよりも、収入が少なく不安定だって周囲の人との繋がりを持ち、お互いに助け合って生きていける環境に身を置いた方が良いと思います。
H.Mさんも現在は無職とのことですが、無職というのは人生の夏休みのようなものです。しっかり心身を休め、気持ちが落ち着いたところで新たな生き方を探して行かれると良いと思います。
これは私の経験から思うことですが、出来ることであれば今お住まいの場所から遠くへ引っ越されると良いと思います。今まで想像もしなかった環境へ身を移すことにより、そこで初めて新しい生き方があることに気付けると考えております。これは今いる環境でどんなに頭を使って考えたところで、絶対に思い付かない生き方です。
私も実名でブログを書いている以上、いつまでも未練たらしく不遇を嘆くばかりでなく、こうして読んで下さっている方の励みになるような、そんな生き方を見付けていきたいと考えております。
同じ会社の元社員として、心よりH.Mさんの再起を祈っております。お互い頑張りましょう。
世間は今、ラグビーワールドカップで色めきたっていますね。
メディアはブームを作る一方で、
時に恐ろしい考え方や風潮を国民に押し付けてきます。
私はメディアの作るドラマなどが好きなので、あまり、偉そうなことは言えませんが…
加納さんのおっしゃる通り、今の日本の社会は一回でもミスをしたり、躓いた人には寛容でないように思います。
この名前のないシステムは本当に恐ろしいです。
さっきまで仲良くしていたひとが、手のひらを返すだけでなく、凶器を持って、全力で潰したり、消そうとしてくるようなものです。
私の勝手且つ誇張した考え方かもしれませんが、考えただけでも恐ろしいです。
だからこそ、加納さんのように地道に生きていこうとする人にこそ路が拓かれるべきだと思うのです。
田舎は横のつながりが密だと聞きます。
加納さんは、地域の方々に恵まれているように私には見えます。
地域の方々との関係をより良くすることが、これから生きていくことにつながるのかなと、今回のブログを読んで感じました。
縦の関係より横の関係を大事にできる環境が今の日本に求められていることだと思います。
そういった意味では加納さんは、いま現在、最高の環境にいらっしゃるのかもしれませんね。
先日発生した台風が東日本に甚大な被害を及ぼしました。
加納さんは、ご無事でしょうか。
自然の前には人間はあまりにも無力です。
無理をなさらずに、お過ごしくださいね。
>愛媛の鉈さん
いつもご覧いただきありがとうございます。
おっしゃる通り、日本という国は一度道を踏み外した人間がやり直すことを許さない風潮が強いです。名前の無いシステムとおっしゃいますが、本当その通りだと思います。
私の場合でも、会社の同僚を含めある程度中の良かった人の多くが「失望した」「そんなことする奴だと思わなかった」などと、捨て台詞を吐いて離れていきました。そういう行動を取った人の大半が、事件の背景を知ろうともせず、メディアに報道された内容しか見ていないということが恐ろしかったです。
仲がいいと思っていた人間でさえも、その名も無きシステムに従った行動をすることは身をもって感じておりますので、愛媛の鉈さんがおっしゃることは誇張でもなんでもなく、事実だと思います。
田舎暮らしをしてみて思うのは、人間の心にゆとりがあるということです。
他人より優位に立つことより、お互いに助け合うのが当たり前の文化。大勢の人が住んでいる地域より、人間一人一人の価値が重いというか、大切にされていることを肌で感じられます。
先日の大型台風でも、都会ではスーパーの在庫が買い占めで奪い合いの状態になったと聞いていますが、こちらでは確かに在庫は減るものの、食べる物がなくて本当に困ったら分けてくれる人が必ずいるという安心感がありました。
世代も地位も肩書きも関係なく、純粋に人間として助け合いが出来る今の環境はとても恵まれていると感じています。
私が自殺や復讐などという破滅的な選択肢を選ばずに済んだのは、今住んでいるこの場所に心が救われ、日本という国にもまだ自分の居場所があると感じることが出来たからだと思います。
台風被害へのお心遣いもありがとうございます。おかげさまで特に被害もなくやり過ごすことが出来ました。そちらはいかがでしたでしょうか?
はい。私の所は特に被害はありませんでした。お気遣いありがとうございます。
危機に瀕した時に誰かを思いやれる心を持った方達って素敵ですね。
そういうところで数字や肩書きで計れない人間の真の価値が顕れるのだと思います。
決して無理をせず、自分のペースで、時に周りの方々と支え合って、この世界を生きていってください。
>愛媛の鉈さん
台風のお被害も受けられなかったようで何よりです。命あってこその人生ですから・・・
危機的状況の時に他人を思いやれるかどうかは、普段その人間がゆとりのある生活を出来ているかどうかで決まるような気がしています。
田舎に住む人々というのは、仕事や時間、お金に追われる強迫観念が都会よりも少ないのだと思います。忙しい日々に追われて心身が疲れていると余裕が無くなり、自分さえ良ければいいという考えになりがちです。
その原因は本人にあるのではなく、生きている環境にあるのだと強く感じています。今後も自分に合う環境に身を置くことを重視して、この色々な意味でボロボロな加納顕史郎という人間と向き合っていきたいと思います。