年末年始は亡くなった祖父の納骨のため、再び沼津に帰省しました。
赤ん坊の頃から傍にいて、ずっと育ててくれた祖父。骨となった身体に声を掛け、骨壺の裏蓋にお礼の言葉を書いて、祖母が眠るお墓に入れてきました。
どんなことがあっても私の味方になってくれた人が、また一人居なくなった事実。
それを噛みしめ、今後の自分はたとえ味方がいなくても頑張って生きようと強く決心しました。
この記事は2020年最初の投稿です。
前回の話はこちら。
遊びながら給料が振り込まれる、年休消化という夢のような時間を得た私は、以下の3つの夢をこの期間に叶えることにしました。
1・スーパーカブで北海道一周ツーリング
2・南の島へ旅行して、綺麗な海でダイビングをする
3・鉄道に乗って、九州から北海道まで日本全国を縦断する旅をする
それぞれ順番に計画し、第1弾の北海道一周ツーリングは8月23日~9月4日で実行することにしました。
世間はお盆休みが終わり、北海道フェリーも予約が取りやすくなる時期でした。出発日を8月23日としたのは、その翌日、24日から北海道フェリーの運賃が繁忙期料金から通常期料金となり、大幅に安くなるからでした。
余裕を持って1日6~7時間くらい走る前提で計算したところ、北海道一周の約3000kmは10日間あれば1周出来ることが分かり、その結果13日間というスケジュールを導きました。
私はスーパーカブの荷台に山盛りのキャンプ道具を詰め込んで、日本にあるまだ見ぬ世界を求めてハンドルを握りました。
・・・
このブログは旅行記ではないので旅の詳細は綴りませんが、この旅を経験して得られた経験は、JR貨物の運転士を続けていたら65歳までは確実に叶わなかったものであると確信しました。
明日も明後日も明明後日も、大好きなスーパーカブに乗って自由に走り続けられる。
今日は何処へ行こうかな・・・明日は何をしようかな・・・
北海道の美しい景色を眺めながら、そんな自由な気持ちで自分の行動を決められることに、この上ない幸せを感じていたのでした。
スーパーカブに乗って10日間眺めた北海道の景色は、今でも鮮明な彩りで脳裏に焼き付いています。
「たとえ会社を辞めた後の人生が暗いものになったとしても割り切ることが出来る。そして一見小さく見える日本という国は実はとても広くて、今自分が住んでいる場所に居場所が無くなっても、場所を移せば全く違う世界が広がっていて、そのどこかに未来の居場所がある。」
私がそのような考え方を出来るようになったのは、この経験があったからに他なりません。
この旅行に掛かった費用は総額14万円ほどです。たったそれだけのお金で、一生忘れることのない、何物にも代えがたい経験が得られたのですから安いものです。
もしそこで目先のお金を心配して何もしなかったり、逆に14万円を稼ぐためにアルバイトでもしようものなら、今の私はとっくに人間として死んでいたに違いありません。
このツーリングを無事に終えた後、9月6日~9月9日にかけて東京の島、八丈島へ再びスーパーカブに乗って2回目のツーリングへ行き・・・
さらに9月10日~9月27日まで、今度は鉄道に乗って九州~北海道まで、日本の東西南北端の駅を巡る壮大な旅へ出ました。
まるでJR貨物で働いていた6年半、溜め込んでいたものを清算するかのように、毎日気が済むまで好きなことに向き合いました。
これだけ長い旅をしていると、終わることが本当に名残惜しくなっていることに気付きます。
旅の最後はとびきり贅沢にしようと、釧路~札幌は特急おおぞらのグリーン車に乗り、札幌駅直結のホテル日航で高層階のデラックスルームに泊まり、最後は寝台特急カシオペアのメゾネットスイートに乗って帰りました。
最後の2日間で使った金額は20万円を超えていました。
9月27日に最後の旅を終え、退職金の全額を使い終えたところで、私の人生の夏休みも終わりです。
8月23日に旅に出て以来、まるで夢の中に居るかのような36日間でした。あっという間かと思いきや、振り返ると途方もなく長い時間を過ごしてきたと感じるくらい、思い出が詰まっていました。
「こんなに幸せな時間はもう二度と来ないかもしれない。でも、一度は経験出来たのだから自分は幸せな人間だ。明日からどんな過酷な人生が待っていても、割り切って向き合おう。」
何の我慢もなく、自然にそう思えている自分がいました。
36日間の旅は、ひたすら心に栄養を与えた時間だったと言えるかもしれません。
この経験が視野を広げ、メンタルを大きく成長させてくれたと思います。まとまった金額は使いましたが、これほど生きたお金を使えたと思えた時は後にも先にもありません。
JR貨物の社員として在籍するのはあと3日。最終日の9月30日は日勤として出勤することになっていて、1ヶ月半ぶりに制服を着て会社へ行くことになります。
そして翌日、10月1日からは、リサイクル屋の社長の下で新しい仕事を経験させて頂くのです。
期待と不安、両方の気持ちがありましたが、心に十分な栄養を補給した私は、不思議と期待の方を大きく持つことが出来たのでした。
次回に続きます。
この話の続きはこちら。
会社を辞めるまでの話を最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
最後の記事から3ヶ月経ちましたね。
コロナの影響もあるかと思いますが続編待ってます。
>西日本さん
ご無沙汰しております。3ヶ月どころか半年も経過してしまいましたが、お待ちくださって本当にありがとうございました。
おかげさまで自分のような人間でも生計を立てていける、新しい居場所を見つけることができました。これからもよろしくお願いいたします。
更新を楽しみにしております。
>みかんさん
更新が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
このようなブログが更新されることを、みかんさんのように楽しみにしてくださる人がいるのだと知り、とても有難く思います。これからも断続的にはなるかもしれませんが更新して参りますので、これからもよろしくお願いいたします。
あなたのブログに出会ったことで、自身と向き合うきっかけを見つけることが出来ました。
復帰される日を心待ちにしてます。どうかご自愛くださいませ。
>寿太郎さん
コメントを頂きありがとうございます。このようなブログからそこまでの価値を見出してくださり、心から嬉しく思います。
更新が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。これからも細々ですが更新を続けて参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
私も前科がある人間ですが、
あなたのブログから勇気をもらいました。
更新を心待ちにしております。
>匿名さん
コメントを頂きありがとうございます。同じ境遇をお持ちの方にとって、これから生きていく上で少しでもお役に立てたのでしたらとても嬉しく思います。
犯罪者として裁かれるようなことをしてしまったことは事実なので、それについては自分の当時の行動を省みて、今後生きていく上で気を付けていかなければならないと思います。
しかし刑法に則って裁かれ、言い渡された罪を償った後であれば、一人の人間として社会でやり直していく権利はあると思います。
お互いこれからも自分の人生を生きていきましょう。