今までも断続的な更新で細々と続けて参りましたが、今回は半年ぶりに更新します。
しばらくブログ自体を管理していなかったのですが、その間に励ましのコメントを下さった方々、本当にありがとうございました。
中には鉄道会社でお勤めの方から頂いたメッセージもあり、勤めていた当時を思い出しながら、あの頃感じていた気持ちは決して自分が異常者だからではなく、現場の皆がそう感じていたことだったのだと思えて、とても安心することができました。
私がこのブログを書き始めた時、ブログのコメント欄は誹謗中傷で溢れかえるだろうと予想していました。
しかし実際には、こんな犯罪者が人生をやり直すことを応援してくださる方と沢山出会うことができて、とても励まされました。
私は今、実名でこのブログを書き始めて本当に良かったと思っております。
たとえ私の過去を知る人間にどんなに影で非難されても、それと引き換えに今後の人生にプラスの感情を与えてくださる人との新しい出会いが手に入るのであれば、そのマイナス面など必要経費とさえ思います。
この半年間何をしていたかという話になりますが、ようやく「仕事」と呼べるものに出会うことができ、それにエネルギーを注いでおりました。
こんな犯罪者でもやらせてもらえるような。
そしてそこに自分の人生を注いでもいいと思えるような。
そんな、やりがいがあって微力ながら社会貢献にもなる仕事に就くことができました。
半年間その仕事をやってみて、私はこの仕事をライフワークにしていこうと思えるようになりました。
正直、今の収入はJR貨物の運転士よりは少ないです。でも、私がJR貨物に勤めた6年半という時間と同じだけの時間を今の仕事に注げば、きっとそれ以上の結果になると確信しています。
そして、その結果を得るために理不尽な環境に堪えなければならないというストレスはほとんどなく、睡眠時間だって毎日しっかり取ることができます。
それが満たされているだけで、私にとっては生活に必要な最低限の収入さえあれば充分に満足できるものでした。
駆け出しの多忙な期間が落ち着いたので、これからは時間を見つけてブログの更新も再開していこうと思います。
このブログの趣旨は私が起こした犯罪の背景を綴ることでしたが、まだ全くその部分について触れていませんので、ブログを立ち上げた以上しっかり綴るところまでやるつもりでいます。
世間はコロナ感染症で騒然としていますが、読者の皆様もお身体にはお気をつけて。
もしあなたが感染者になったら、たとえ治癒したとしてもきっとあなたは「コロナに罹った人」として周りから避けられ、距離を置かれるかもしれません。その時あなたは何を感じるでしょうか。
私はきっと、それは犯罪者として実名報道され(=コロナ感染者として知れ渡り)、その後留置場から出された(=病院を退院した)時の感覚に似ているだろうなと思います。
あなたも感染者になったら、私が当時感じた気持ちを疑似体験できるかもしれませんね。
そのようなことにならないよう、コロナ対策は充分に行ってお過ごしください。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
久しぶりの更新、とても嬉しく思います。
この半年の間に加納さんにも世間にも色々なことがありましたね。
感染症が日本もとい世界中で猛威を奮っている中、加納さんが新たな道を進まれたことは、とても喜ばしいことです。
これもひとえに加納さんの、お人柄によるものかなと思います。
最後になりましたが、御自身の人生と生活を第一にお過ごしください。
>愛媛の鉈さん
ご無沙汰しております。ずっと更新していなかったにもかかわらず、また見に来て下さってありがとうございます。
ようやく新しい生き方と呼べるものに出会うことができ、人生どんなに底辺まで落ちたとしても、生きてさえいればまた良いこともあると思えるようになりました。
私が犯罪者であることを知りながらも、今自分の周りに居てくれる人への感謝の気持ちを忘れないように、これからの人生を送っていこうと思います。
はじめまして。
自分の触れたことのない世界や加害者の気持ちの想像が難しく、葛藤に戸惑い、頭を整理したくて前科者の気持ちについて検索してたら、あなたのブログに辿り着きました。
私が参加しているあるコミュニティの中で、こちらから温かく接して少しだけでも仲良くなれたら嬉しいな、と思っていた人が、過去にお酒を飲んでひき逃げをして逮捕されていたようです。被害者の方は怪我をされたようです。一歩間違えば人の命を奪っていたかもしれません。
事件の細かい情報はわかりません。飲酒運転常習者だったのか、一時の気の緩みだったのか、泥酔だったのか酒気帯びだったのか。怪我はどの程度だったのか。
人に当たったのに逃げてしまったこと、反省してるのか、反省や被害者への申し訳なさよりも自分の拭えない過去への後悔のほうが強いのだろうかなど、不信感も生まれてきました。本人の気持ちは本人にしかわかりません。
その人は、私には大人しく真面目そうで素朴な人に見えます。私はお酒を飲まないので、酔って気が大きくなる、お酒で判断力が鈍る感覚もイマイチわからず、飲酒運転を一時の過ちでしてしまう気持ちも想像できません。
その人に温かく接して仲良くなりたいと思ってることに妙な罪悪感があります。
被害者の人は、事故のケガが擦り傷程度だったとしても、今も車が近くを通ると事故を思い出して怖くなるのだろうか?とか、後遺症が残るようなケガをさせていたら、今も不便で辛いだろうなとか、その加害者がまわりから許されて温かく接せられたら、もしそれを知ったら、被害者の方はもっと辛くなるのかな、と。
でも、もう社会に出てるその加害者の人もきっと辛いだろうとも思い、温かく接したい気持ちもあり、それなのに、その人に不信感を持っていることにも妙な罪悪感があり頭の整理ができません。
飲酒ひき逃げはあなたが過去に犯したものとは全く違うタイプで悪質さのレベルも桁違いの犯罪ですが、このブログに辿り着けて、逮捕されたことのある人の気持ちを知ることができてよかったです。
その人とどう接していくか答えはまだ出ませんが、ゆっくり考えたいと思います。
>たどり着いたさん
初めまして、このようなブログをお読み下さり、またご丁寧なコメントもくださってありがとうございます。お返事が遅くなり申し訳ありません。
お知り合いにひき逃げで逮捕歴のある方がいらっしゃるとのこと。私としては現在の当人の気持ちは察しやすいのですが、逆に貴方のようにそれを知った第三者の気持ちというものは、正直あまり実感が湧かずにおりました。
前科のある人間が過去の行いを悔い改め、自分なりにやり直そうと努力した結果今の生き方を手に入れたとしても、楽しそうに過ごしているのを見れば「反省しているのか?」「被害者に申し訳ないと思っているのか?」など、僻みややっかみを持たれることは仕方ないことだと思います。それはRT30さんが仰っているとおり、こちらに選択権はありません。
やってしまったことは事実。そしてそこに被害者が生まれたのも事実です。しかし、やってしまったことに見合った制裁、罰を受けてきたのもまた事実です。法を犯したことで法で定められた罰を受けたのですから、第三者がそれ以上の制裁を加えることは単なる嫌がらせでしかありません。ましてや事件に直接関わりの無い人なら尚更です。
貴方がその人と仲良くなりたいという気持ちをお持ちなのであれば、まずは二人だけの場で、しっかりご本人に話を聞いてみたらどうでしょうか?
飲酒ひき逃げという犯罪の事実だけを見ただけで人を決めつける人間とは当人も仲良くなりたくないでしょう。込み入った話が出来るような状態であれば、「あの時、本当はどんな事情があったの?」と、彼が犯罪に至るまでの背景、彼が置かれていた環境までを聞いた上で、それで本当にその人だけが悪質だったのか?それを貴方自身の価値観で判断して仲良くするかどうかを決められると良いと思います。
大事なのは結果として起こした犯罪の重い軽いではなく、本人がそのような行動に走ってしまうまでに至った背景だと思います。お酒に逃げなければならないほどストレスを感じる環境に置かれていたのではないか?人間関係で悩んでいたのではないか?仕事が上手くいかず、会社でパワハラに遭って疲れていたのではないか?そんなふうに、表面的な事象だけを見ずその人間の人生に起こった出来事まで向き合ってもらえたら、きっと彼も貴方のことを大切に思ってくれると思います。
被害者感情というものも、人間によって様々ですからこちらがどうこうできるものではありません。もういいですと言ってくれる人も居れば、一生許さない人もいるでしょうし、死ねと思い続けている人もいるでしょう。そんなことは加害者としては百も承知です。それでも今生きている以上、人生を全うするまで精一杯生きなければなりません。それには被害者にどう思われようと、それを受け入れて自分なりに生きる努力が必要です。
そしてそれにはいつの間にか慣れてしまうでしょう。非難を恐れずに言えば五体不満足の精神版のような物です。他人と比べて自分に足りないものがあったとしても、それを受け入れて生きていけるようになるということです。
本人はきっと、近い人間が離れていくことに既に慣れてしまっているかもしれません。ですから貴方が静かに距離を置いたとしても、何も気にしないと思います。ですが貴方の方がその人の存在を意識している以上、積極的に行くか無難に行くかは、まず本人と腹を割って話してからでないと決められないと思います。是非一度、彼とじっくり話す機会を設けてみてください。
貴方のコメントに気を悪くしたということは一切ありませんので、お気になさらないでください。多くの人にとってはデリケートな話ですが、私はこうして自分の前科を全世界に発信していますから、言いにくいことも遠慮無く言って頂きたいと思っております。
加納さんへ
返信ありがとうございます。
RT30さんとはまた違った意見をもらえて、改めて相手のこと、自分のことを振り返って考えることができました。
初めてコメントしてから一ヶ月ほど考えた結果、相手の「今の生き方」に注目し、やはり少しでも仲良くなれたら、と感じるようになりました。
事件に至った経緯、背景、当時の環境など、できれば知りたいです。
ですが私達は腹を割って話せるような関係ではなく、会えた時に挨拶する程度。相手が人と関わりたいのかどうかすらわかりません。
大人しくしてるのは、あまり人と関わりたくない、自分に構わないでくれ、という意思表示かもしれない。
もしそうなら、私が近づいていった場合、きっと精神的に楽ではない暮らしに私という新しいストレスが足されることになる。でも私が好意的に近づいてくるから無下にしづらい。こうなってしまうのは避けたいです。
なので、温かい態度と表情で好意的な言葉を伝えて、仲良くなりたい気持ちを伝えてみようと思います。そして、その時の相手の反応を大切にして、今後を決めようと思っています。
もし仲良くなれなくても、加納さんが新しい町で人々から優しさをもらって嬉しさを感じたような、、、そこまで大きな嬉しさではなくても、私が好意的に接することで少しでも相手に嬉しい気持ちになってもらえたら、、、そう願います。
貴重なご意見ありがとうございました。
おお、加納さん更新待ってましたよ!
おかえりなさい
この半年間で、何かつかんだようですね
また、読ませてもらいます
>西日本さん
ご無沙汰しております。更新滞ってしまい失礼いたしました。
時間を見つけて更新して参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
おかえりなさい。
>匿名さん
ありがとうございます。半年以上放置だったにもかかわらず、また読みに来てくださりとても嬉しいです。
加納さん初めましてs41産まれの54才です。幼少から鉄道、特にELが大好きで親の反対押しきって工業高校電気科に入るも1年もしない内に当時の国鉄が暫くは新規現業職は採用しないとの発表をうけ、その後は自堕落な高校生活をすごした経験のオヤジです!EF66憧れやった!機関士になりたかったけど時代背景で叶わんかった!加納さんのブログに吸い込まれ想像もつかない現実を知り仕事の大変さ、社会の理不尽さをこの年になって再認識させられました!引続き頑張って下さい!
>岡山ののりおさん
初めまして、ご丁寧なコメントを下さりありがとうございます。
国鉄の新規採用が凍結されて夢破れたお気持ち、お察しいたします。実は私の伯父も同じ気持ちを持っていた人物で、国鉄に入れないと分かって鉄道を諦め、その後教師になったそうです。
幼い頃にその話をよく聞いていたものですから、私がJR貨物に採用された時はとても喜んでくれました。「私に代わって国鉄動力車の現場を見て来て欲しい」と、肩を叩かれたのを覚えています。
しかし一つだけ言えることは、鉄道好きが憧れているような現場は現代のJR貨物には存在しないということです。
EF66の運転は確かに貴重な経験ではありましたが、運転室は狭い、椅子は固い、冷房は寒すぎるか付いてないかの二択と、日常的に乗っていたら喜びよりも悪いところばかりが目に付くようになってしまいました。
あなたと同世代の50代、国鉄採用最後の世代の先輩方は、いま口を揃えて「民営化の時に転職しておけば良かった」と言っていました。もしあなたが国鉄に採用されていたら、もしかしたら最初の数年間は良かったかもしれませんが、今は「昔は良かったのに」と嘆く社員の1人になっていたかもしれません。
岡山ののりおさんにとって、国鉄に採用されなかったからこそ有る今のお立場が、とても感謝するべき貴重なものなのではないかと思います。
加納さん早速のお返事感謝です!自分の知りたくても知り得なかった事が自分が憧れであった方から聞け本当に興味深くなれなかった今の自分の生活に感謝しながらも、どこかで機関士になってたらなぁ~と出張先で機関車見る度に機関車本体でなく運転席の機関士をガン見する自分がいます。私は加納さんのブログを見て犯罪者とは思えず冤罪でかつ自身の考えを立派にお持ちの識者だと思っており、そんな方が私の人生をかけて目指していた職業出身者って事に何故か不謹慎ながらも興味を持ってしまいました!私は国鉄には入れなかったけど23才で独立して機械関連の設計会社を経営し早や30年経ちました。経営者という立場での苦楽は一杯経験してきたつもりですがかつての目指してた職業での尋常ならぬリアルな話しをきくとよかったのか悪かったのか?自分なら上手くやれただろうか?今更ながら色々考えさされます!引続きのご教示よろしくお願いいたします!
>岡山ののりおさん
こちらこそ、ご丁寧なお返事をありがとうございます。
鉄道が好きな人間であれば、その運転席に座るということは誰もが一度は憧れることだと思います。でもそのキラキラとした憧れは、そのまま胸に留めておく方がずっと良かったと思います。運転士の仕事は華やかに見えても、実際は毎日同じ景色を見て走り続けるだけの地味な仕事で、細かいルールもコロコロ変わって毎月訓練をやって覚えなければならず、楽しさはどんどん薄らいでいきます。
運転席から眺める線路の景色に憧れがあるなら、貴方のように他のビジネスで成功を収め、お金と時間を手に入れて日本中の展望席の付いた列車に好きなだけ乗りに行く方がずっと楽しいし、喜びを感じられると思います。23歳で独立されてその会社を30年も成長させてこられたとのこと、そんな素晴らしい実力を持った人物が鉄道運転士という、人間が機械のパーツの一つとして扱われるような仕事で使い潰されてしまうことは惜しいにも程があります。どちらが良かったかという質問であれば、今の生き方を選ばれたことは正解だったと保証いたします。
人間が犯罪者になるかどうかは、「相手が犯罪者にしたいかどうか?」という感情的な面の方が影響力が大きいように思います。一度逮捕されてしまえば、容疑者という立場でどんなに弁明しても、刑事は取り合ってくれません。そんな場に連れ込まれれば、正常な神経を持っている人間だって人間不信に陥り人格が歪み、再犯するようになってしまうのも無理はないなと思います。
実際その環境に置かれるのは辛いことでしたが、一度限りの人生でそんな世の中の闇の部分を見てこられたことは、いずれ誰だって死ぬという前提を考えれば決してマイナスばかりでは無かったのかもしれません。
ブログ拝見させて頂きました。
過去の記事を読んでると加納さんにはもう一度社会からチャンスを与えてほしいと思ってたので仕事に就けれたと聞いて嬉しく思いました。
ブログの更新楽しみに待っています。