前回の話はこちら。
私は「人生の夏休み」と自称することにした年休消化期間の47日間を、退職金全額をつぎ込んで日本中を旅することに使いました。
今までの人生では叶わなかった様々な夢を実現し、本当に毎日が夢の中にいるような気持ちで過ごすことができました。
眠い目をこすりながら運転席に座って毎日同じ線路を行き来していることは苦痛でならなかったのに、乗客としてまだ見ぬ車窓を眺めながら自由に旅することはこんなにも楽しかったのか・・・
同じ鉄道という対象であっても、その接し方の違いで自分が感じられる喜びにここまで違いがあるのかと、自分でも驚くほどでした。
鉄道が好きだからこそ鉄道業界で働くことが至上の喜びである・・・
10代までの自分は確かにそう思っていました。そして、JRの運転士になったからこそ見ることが出来た世界も確かにあり、その経験をする機会を頂いたことには素直に感謝しています。
しかし、それは鉄道が好きな人間だからこそ、憧れだけでとっておくべき世界だったのかもしれません。
大好きな鉄道が、自分に夢を与えてくれる存在であり続けるためにも。
本題に戻りまして、そんな時間を過ごして既にサラリーマンを脱した気持ちになっていた私ですが、会社の退職日となる9月30日には、日勤で出勤することが命じられていました。
JR貨物の制服を着て最後に出勤する日。そして、その翌日、10月1日からはリサイクル業を営む社長の下で、お手伝いとして勉強させて頂く身になるのです。
JRでの勤務地とリサイクル業でお世話になる職場とは、バイクで10分くらいの距離しか離れていませんでした。
そして私はリサイクル業をお手伝いしている期間中、社長の家で住み込みさせて頂くことになっていましたので、前日の夜から社長の家に泊めて頂いていました。
退職日当日は、社長の会社にあるスクラップ運搬用の軽トラを足代わりにお借りして、会社へ出勤しました。
朝8時45分が出勤時刻。外の駐車場でラジオ体操を行い、朝礼が行われました。私がこの職場に配属された最初の日も、全く同じ流れで過ごしていたことを思い出します。あの頃はまだ緊張で身体が固まっていました。
日勤職の人たちにとってはいつも通りの朝礼が行われると、最後に課長から話があって、私は挨拶を求められました。
課長「えーご存知かもしれませんが、運転士の加納くんが今日で会社を退職します。加納くん、最後にひと言お願いしていいかな?」
私「あ・・・はい」
私「おはようございます。本日をもってJR貨物を退職させて頂くことになりました。大好きな仕事で定年退職まで勤め上げたいという気持ちで頑張ってきましたが、今年に入って体調を崩しがちになってしまい皆さんにも何度もご迷惑をお掛けするようになりましたので、限界を感じて身を退くことを決めました。ここで経験させて頂いたことは一生忘れません。今日まで支えて下さって本当にありがとうございました。」
大体そのような内容の、手短な挨拶をしたと記憶しています。
朝礼が終わると部長室に呼ばれ、今度は部長と面談することになりました。
しかし、私が年休消化期間を過ごしている間に部長は人事異動で別の人物になっており、あの時散々やりとりをした部長は既に静岡の職場から居なくなっていました。
新任の部長は気さくで物腰の柔らかい人で、優しく話しかけてくれました。
部長「辞めちゃうのもったいないな~、運転士を降りて他の職場に行くことは考えなかったの?」
私「最初はそれをお願いしたのですが、前任の部長にはお前に用意する職場は無いと言われたので、退職することにしました。」
部長「そうだったの!?ひどいな~俺がその時部長になってれば絶対に駅の職場を用意してたのに!」
私「本当ですか?でも行ける職場なんてありましたかね?」
部長「富士駅あたりなら人員も配置出来たし行けただろうね、沼津からだったら通いやすいでしょ?」
私「もし部長が当時静岡におられて、そのご提案を頂いてたら絶対に辞めなかったと思います。人生分からないものですね。」
そんな会話をしたことを覚えています。
そして、更に今後どんな仕事をするのかを聞かれました。
部長「これからはどんな仕事するの?」
私「知り合いでリサイクル屋さんをやっている社長さんがいまして、その人の下でアルバイトみたいな形でお手伝いします。」
部長「リサイクルショップのアルバイトか~、やっぱりもったいないなぁ」
私「ですがずっと働くわけじゃなくて、1年間お手伝いをしながらノウハウを学ばせて頂いて、その後沼津に帰って起業したいと思っています。」
部長「おお!それは素晴らしいね!それならいいと思う。リサイクルショップってどんな仕事するの?」
私「ゴミとして回収した物で、まだ使える物を手入れして売ったり、使えない場合はスクラップ金属として買い取りに出したりします。」
私「そういえば、会社の駐輪場に放置された自転車いっぱいありませんでしたっけ?あれ無料回収出来るので、良かったら今日軽トラで来てますからもって帰りましょうか?」
部長「え!そんなのお願いしていいの?え~助かるな~、じゃあお願いしちゃおうかな」
そんな感じの、世間話のような緩い会話をした後に、私は以前より気になっていた会社の駐輪場に溜まった放置自転車を回収させてもらうことになりました。
ちょうどスクラップ輸送用の軽トラで会社に来ていたので、駐輪場にトラックを回し、放棄されてサビサビになった自転車の山を積み込んでいきました。
積み込んだ自転車は13台にも及び、軽トラの荷台にうず高く積み上げられました。
JR貨物の制服を着ながら、スクラップの自転車をトラックに積み込んでいく・・・このタイミングが、まさにJR社員とリサイクル屋の人生が移り変わる瞬間だったと感じています。
部長や総務課長に感謝されて、最後にお世話になった会社に今までと違う形で恩返しが出来たと感じ、とても嬉しい気持ちになりました。
自転車の積み込みを終えて部長に挨拶を済ませると、今度は自分の職場に戻ってきました。
しかし、会社の支給品などは既に返却していたので、特にやることは残っていませんでした。まだお昼にもなっていなかったので、当直へ行って何か手伝えることはありますか?と聞くと、奥から指導員が出てきました。
そして個室に案内され、今度は指導員がおもむろに話し始めました。まさかここでまた揉め事が起こるとは夢にも思わなかったのですが。
指導員「加納くんさあ、なんでもっと早くに辞めること伝えてなかったの?」
私「え?どういうことですか?」
指導員「なんか1週間前くらいに突然加納くんが退職前の年休消化に入るって聞かされて、当直助役と交番さんがだいぶ大変な思いしたんだよ。さすがに言うの遅すぎなんじゃない?」
私「意味が分かりません。僕は退職日の3ヶ月前にはとっくに課長に辞めること伝えてますよ。その時点で9月30日付で退職願いも出しています。それがなんで1週間前になってるんですか?」
指導員「それでも実際こっちが聞かされたのは1週間前なんだから、迷惑かけたことについてはしっかり謝罪するべきじゃないの?」
私「何で僕が謝らないといけないんですか?3ヶ月前に退職の意思表示をしてあったのに、それが1週間前になってそちらに伝わったことが僕のせいだって言うんですか?」
指導員「それは課長だけじゃなくて、他の上司にも言うべきだったんじゃないの?」
私「当時の○○課長は自分が話通すから自分にだけ言ってくれればいいって言ってましたよ。結局今の課長にはなにも引き継がれてませんでしたけどね。だから今の課長にも同じように伝えてありますし、部長にも話を通しています。それが現場まで伝わってなかったのはそちらの責任ですよね。」
指導員「そうかもしれないけど、お前にももっとやるべきことがあったんじゃないかってことだよ」
私「・・・これだからこの会社は・・・。SAS(睡眠時無呼吸症候群)の治療の時もこちらが言ったこと1年以上放置されましたからね。結局下の社員が申し出たことはそういう適当な扱いしかしないんですよね。こんな会社辞めて正解でしたよ!」
指導員「お前そんな言い方はないだろ!」
私「だってそうじゃないですか!あなただって責める相手間違えてると思わないんですか?退職当日までこんな嫌な思いさせられると思いませんでしたよ。もうこれ以上話しても無意味なんでいいです。」
指導員「なんでそういう投げやりな言い方するんだ?」
私「そちらがいきなり僕を責めるような物言いをするからです。当直に謝罪が要るっていうなら今から言いに行きますよ。それでいいですよね?」
このとき、私は納得がいきました。
勤務表に載っていた最後の乗務日が1週間前くらいに2日前倒しになり、最後の乗務の日も当直助役がやけに余所余所しい態度だったことを思い出しました。
最後の乗務の日にそのような態度だったのは当時は何故か分かりませんでしたが、今の話の通り私が急に退職を言い出して勤務を混乱させる原因を作ったと思われていたからだと理解したのです。
心外にも程がある出来事で腹立たしく思いましたが、もう明日からは社員でなくなることが決まっていたものですから、心中は穏やかでした。
むしろ、在職していたら今後何年もそのような理不尽な思いをし続けていたわけであって、この仕事に見切りを付けて良かったと思えた何よりの瞬間だったと思います。
あいにく最後の乗務日に居た当直助役、交番担当はこの日は休みでしたが、この日に出勤していた方々にお詫びと事情を話すと、「そういうことだったのか~」と、納得してくれた様子でした。最後の最後で誤解が解けて良かったと思いました。
その後にこうして犯罪者になっているわけですから、今となってはその時に誤解を解いたことなど全く無意味だったのですが、当時の自分にとっては、そんな些細な誤解も大きいことに感じられたのです。
最後の日は日勤とはいえ夕方まで居る必要はないそうで、その話を終えた後、私はお昼休みを待たずに会社を出ることにしました。
視界に入った人にだけ簡単な挨拶をして、5年間使ったロッカーが空であることを確認してから静かに職場を去りました。
そしてゴミとなったスクラップ自転車を満載した軽トラに乗って、代わりにJR貨物の社員という立場を捨てて会社の門を出たのでした。
これから新しい人生の始まりです。
次回に続きます。
この話の続きはこちら。
会社を辞めるまでの話を最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
第三者としては、その場にいなかったのでわかりませんがJR貨物はクソですね。
辞めてよかったでしょうが、リターンがあまりにもよくないです。
>西日本さん
JR貨物という会社をどのように受け止めるかは人それぞれですが、私の場合は決して円満な退職ではなかったと実感しております。
大きな会社ですから北海道から九州まで全国に職場があるので、どこも同じ環境とは思いません。もしかしたら同じ会社の社員であっても、そんな職場があるのか!?と驚かれている社員さんもいるかもしれません。
リターンを当てにして動けなくなってしまったらおしまいです。未来の自分がこれ以上マイナスに引っ張られないよう、過去のマイナスは投げ捨てるということも必要だと感じました。
はじめまして。私も鉄道会社で乗務員をしてます。
幼少期からの夢でしたが、不規則すぎる勤務内容、業務の割に合わない薄給、ミスに過剰に厳しい体質、人間関係等に嫌気が差し転職を考えているところです
僕も加納さんと似たような事を思いながら鉄道業に従事している(していた)んだなと感じました
このブログは是非本にしていただきたいと思うくらい内容も濃いですし、励みになる部分も沢山ありました
最後になりますが、加納さんの今後の幸運を願っております