前回の話はこちら。
転職活動にことごとく失敗し、八方塞がりとなってメンタルもだいぶ押し潰されていた私。
マイナス思考な考えが次々浮かんできて、そんな不遇を嘆く自分に飲み込まれて我を失いそうな状況となっていました。
しかし、そんな矢先に思わぬところから明るい兆しが差し込みます。
ある日の出勤時、沼津駅の改札前で「タウンワーク」という無料求人情報誌を配っている人が二人いました。
転職活動中だった私は迷わず手に取って、通勤中の電車の中で読むことにしました。
冊子になった求人情報というのは、インターネットよりも質が高いものなのか?
そんな疑問を抱きながら1ページずつめくっていきます。
すると、目を疑うような驚くべき好条件の求人情報を見付けました。
『自動車整備士募集中! 月給23万円~、週休二日、年間休日132日』
衝撃を受けました。年間休日120日以上という私がとうに捨てた条件を遙かに凌ぐ、132日という休暇を用意している会社が存在したのです。しかも自動車整備士を募集している!?
身体に電気のようなものが走り、もうここしかないと思いました。
ここでも実務経験が求められる可能性は高いです。しかし、この労働条件で整備士として働けるのであれば何としても働きたい。
私も実務経験が無いとはいえ、プライベートで車バイクをそれなりに弄ってきた身です。会社の同僚の車やバイクもよく駐車場で直していましたし、会社がコンテナホームでの駅員の移動用に用意していたスーパーカブも、個人的に無償で手入れをしていた時もありました。
今までの問い合わせで得た経験をもとに、技量に不安があれば試用期間を設けてくれてもいいからと懇願し、向こうに見切りを付けられる前に仕事が出来るようになろうと本気で思いました。
タウンワークを受け取って出勤した仕事の夜勤明けで、早速電話問い合わせをすることにしたのでした。
私「初めまして・・・(以下略」
会社「そうですか~、当社としましては実務経験のある方を募集してますんで。」
私「確かに実務経験はありませんが、プライベートでは自動車整備にはかなり携わっていて、家族や知人の車の整備はよくやっています。」
会社「ん-・・・どの程度の整備なら出来ますか?」
私「ブレーキのオーバーホールくらいのことでしたら充分一人で出来ます。仕事として慣れるまで少し作業は遅いかもしれませんが、資格だけ持っていて何も出来ないということはありません。バイクでしたらエンジンの脱着までやっています。」
会社「分かりました、それでは一回お話を聞かせて頂きたいと思いますので、近々面接にお越し頂ける日はありますか?」
・・・以下略
このとき私は、心の中で「よっしゃぁー!!」と叫んでいました。
心意気一つで、実務経験が無ければ採らないという会社の意見を押し切ることが出来たのです。絶対に受かりたいという気持ちが芽生えてきました。
なにせ年間休日132日の会社です。朝出勤して夕方帰れる仕事で、完全週休二日でしっかり休め、大型連休には10連休以上の休みがあるに違いない。
そんな連休があればバイクにキャンプ用品を積んで、日本中をツーリングで旅するような休暇を過ごせる人生が送れる。JR貨物では65歳になるまで叶わないと思っていたささやかな夢が、毎年叶えられるようになる。
ワークライフバランスが安定し、今後の自分の人生が明るいものとなることが容易に想像出来ました。
待遇に関して月給23万円はJR貨物の運転士の給料27万円よりは安いですが、責任の重さや仕事の質を考えれば充分割に合っているし、労働組合費という無用な天引きもないので、手取りで比べればせいぜい1~2万円程度しか変わらないだろうと思いました。
今までにないくらいやる気が満ちてきて、履歴書に貼る写真ももう一度撮り直しに行ったりと、かなり気合いを入れて臨みました。
そしてある夜勤明けの日、会社から帰宅後に、隣町の三島市にあったその会社へスーツ姿で出向きました。
その会社はとある中古車販売会社でした。三島の本店以外にも県内に複数店舗を展開しており、海外にも店舗を構えていて手広く事業を展開している会社でした。社長がテレビに出ていたことがあるようで、調べてみるとネットで番組が見られました。
そこで社長は「もっと社員に報いたいと思っている」と語っていて、その社長の考えが年間休日132日という数字を叩き出しているのかと思い、ホワイト企業に間違いないと確信に近い物を持ちました。
面接の日、天気はあいにくの雨でしたが、かつてない気合いの入り方で挑みます。
履歴書には鉄道の運転免許含めて書けるだけの資格を書き、短大時代に受けたガス溶接技能講習や、有機溶剤作業主任者の取得実績まで書き連ねました。
JR貨物で運転士として働いていることについては相変わらず驚かれましたが、履歴書に書いた鉄道の運転免許については案の定一切触れられません。
面接では話題の大半が自動車整備に関することで、会話の中から私がどこまで技量を持っているのか、巧みに探ろうとしている印象を受けました。
このとき、私はクラシックカーと呼ばれる古い車を所有していたため、その車を持っていて自分で整備して維持していることを話すと、かなり好印象を持ってもらえた様子でした。
この車を売却して得たお金が、私が逮捕された後から現在に至るまでの生活費を支えてくれていると言っても過言ではありません。
話を戻し、話を進めていくと全体的にそこそこ好感触で、先方は富士市内の店舗で人手が足りないので、そちらの勤務でも良いか?と具体的な話をしてきました。
私はもちろん快諾し、これは行けるかもしれないと思いました。
そして面接の最後、先方から「何か聞いておきたいことはありますか?」と聞かれました。
あまり突っ込んだことを聞いて嫌われては困ると思いつつも、やはり入社してから違ったという話では困りますので、労働条件に関することについて事細かに聞くことにしました。
すると、見る見る応募条件に書かれていた好待遇のメッキが剥がれていき、ブラック極まりない現実が見えてきてしまったのです・・・。
私「勤務時間についてですが、10時~19時、昼休み1時間の8時間勤務となっていますが、これは10時に出勤すればいいということで間違いないでしょうか?」
会社「いやいや、10時に店舗の営業開始なんで、10時には開店できるようにみんな1時間前には来ています。」
私「え・・・では19時までというのは19時に帰れるという訳でもないのですか?」
会社「ええ19時が閉店時刻なんでぇ、片付けも30分~1時間は掛かりますね。」
私「ではその前後の計2時間は、残業扱いになるんですよね?」
会社「いやいやなりませんよ(笑) あくまでお客様をお迎え出来る時間帯が勤務時間ですからね。」
私「そうですか・・・では、休日は月何日ほど頂けるのでしょうか?」
会社「休日は月5日ですね。」
私「え?求人票には週休二日と書かれていたと思うのですが?」
会社「ええ、だから毎週1日と、月1日好きな所で取れますから週二日休める機会はありますよ。」
私「では有給の取得は自由に出来るのですか?年間20日とありますが。」
会社「普段そんなに取ろうとする人はいませんね、でも以前新婚旅行で有給取って2週間休んだ社員がいますよ。」
私「・・・」
私「確か求人票には年間休日132日と書かれていたのですが、月5日の休みだと足りな・・・」
会社「あーそれはバイトの事務員の話ですよ、整備士にそんな休みはないです。」
私「では整備士は年間休日にすると何日ほど頂けるのでしょうか?」
会社「大体90日くらいですかね~」
やられたと思いました。
これは求人詐欺だったのです。
整備士募集と求人を出しておき、給与欄には整備士の月給23万円を提示し、休日欄にはバイトの事務員の休日数を書いてあったのです。正社員募集の掲載ページにです。
実際のバイトの事務員の給料は13万円程度らしいです。いいとこ取りをして好条件の求人に見せておき、人を釣ろうという魂胆がハッキリと見えてしまい、私は急速に熱が冷めてしまいました。
さっきまでの情熱が一瞬で消え失せ、この面接に割いている時間自体がもったいなく感じるようになりました。
「今日は色々お話を聞かせて頂いてありがとうございました。未経験の人間なのであまりお役に立たないかもしれませんし、他に適した方が来られたらお役に立ちそうな方をお選び頂いて構いませんので。」
などと、先程までの態度とはあからさまに違う受け答えで早々に話を切り上げ、足早に会社を去りました。
帰ってから先程言われた条件で計算してみると、仕事の単価は衝撃的な数字となりました。
年間休日132日で月給23万円、ボーナスを考慮しないで計算すると年間233日の仕事を276万円でこなすこととなり、日給換算で11845円、8時間労働であれば時給1480円となり、駆け出しの正社員の労働条件としては良いと思います。これが求人票に書かれていた条件だったわけです。
ところが現実では年間休日90日、月給は23万円で間違いありませんが毎日前後1時間ずつ、2時間のサービス残業を行わなければなりません。
この場合、年間275日の仕事を276万円でこなすこととなり、日給換算で10036円、更に1日10時間拘束されるわけですから、時給1003円ということになります。これではいつでも誰でも出来るアルバイトと何も変わりません。
つまり実際の労働の対価は求人票に書かれていた条件の3分の2にまで落ち込んでいるわけです。
そして何より、年間休日数を42日もごまかしていたことには開いた口がふさがりませんでした。
一瞬でも明るい未来を思い描いた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまい、全ての希望が絶たれたようで絶望感しか湧いてきませんでした。
帰宅すると脱いだスーツを無残に放り投げ、カバンに入っていたペットボトルに八つ当たりして壁に思い切り投げつけました。
結局自分の人生なんかずっとこうなんだ。だから誰にでも騙されるんだ・・・と、再び負の思考に飲まれ始めて震えが止まらなくなりました。
雨の中バイクで帰ってきた私はシャワーを浴びながら、しばらく頭を覆うように手で髪の毛を握りしめて、湧き上がる怒りに震える自分を必死にこらえていたのでした。
こんな踏んだり蹴ったりの転職活動の日々。
もう何もかも放り投げてしまいたい気持ちになり、運転士の仕事への意欲はおろか、転職活動の意欲さえ失ってしまって抜け殻のような人間に成り下がっていました。
このとき履歴書に貼るために撮った証明写真が、今でも手元に数枚残っています。
そこには死んだ目の下に慢性的な寝不足でくっきりと成長してしまった紫色のクマをたたえ、どこか顔も垂れ下がっているような酷い顔の自分が映っていました。
良く見せようとはしていますがどこか生気がなく、こんな顔の人間に来られても採用したいとは思わなかったことでしょう。
もう生きる理由すら失いかけていた当時の私。ここからどういうきっかけで再び活路を見出していったのか。
次回はそのエピソードついて書いていきたいと思います。
この話の続きはこちら。
※未投稿です。
会社を辞めるまでの話を最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。