前回の話はこちら。
東京の研修センターで4ヶ月の生活が始まりました。今回は研修所での生活の流れについて書いてみようと思います。
研修所は一つの建物で生活の全てが完結するようになっていて、宿泊所、教室、食堂、大浴場、集会ホールなどが階層ごとに設けられています。
毎日の日課としては、朝起床したら朝食を取りに食堂へ行き、その後ホールに集合してラジオ体操と朝礼を行ってから研修に入ります。
研修は学校の授業のような形式で行われ、30人前後の研修生が教室に机を並べて、教師がホワイトボードの前で講義を行います。
授業は学校のように教科が分かれていて、機関車の電気系統、ブレーキ台車、信号線路、運転理論、運転法規といった教科があったと思います。教師も教科ごとに違う人が担当していました。
授業も座学が全てではなく、隣の建物にある実車を改造したシミュレーターや、検修庫で稼働できる状態で保存されているEF65-1001号機を使って訓練を行ったりと、実習の教育も多めに時間が取られていました。
シミュレーターとして使われていた機関車は驚くことにEF65-5号機という大変古い車両で、この研修所が設立された際に相当な費用を掛けて改造されたであろう仕上がりとなっていました。
他にもEF81やDE10の実車シミュレーターも置かれており、私にとっては博物館にしか見えない空間でした。残念ながら現在はEF65は撤去されてしまったようで、EF210とEH500を模したモックアップが置かれる程度になったと聞きました。
授業は大学のように1日4~5教科程度を学び、17時くらいに講義が終わって自由時間になります。
学生ではないので勤務時間終了後は特段何かを強制されることはありませんでした。夕飯の時間は決まっていましたが、お酒を呑んでもよく、決まった場所で喫煙もでき、お風呂も自由に入れました。門限はありましたが外出も出来ました。
消灯時間は決まっていましたが、その時間に絶対寝なければいけないわけではなく、各部屋で勉強したり、教室も解放されていたので試験前は教室で自習している人もいました。
ここでの生活で有難かったのは、平日の間1日3食が無料で与えられていたことです。お世辞にも美味しいとは言えませんでしたが、研修中の4ヶ月、その気になれば全くと言っていいほどお金を使わずに過ごせたのはとても恵まれていると思いました。
集まった研修生は、それまで駅員だったり検査係だったり、保線だったりと様々な業種に就いています。それらの仕事では勤務時間や仕事内容によって手当が付いていたため、大半の社員が基本給プラス手当の収入を得ていたはずです。
しかし研修センターに居る間は日勤扱いで、残業も手当も付きません。なので給料は基本給そのままとなり、収入という面では厳しい状態となります。
中には既に奥さんがいて子供を養っている社員もおり、そういう人にとってはとても辛い4か月だったことと思います。
もっとも、鉄道が好きとか運転士の仕事がやりたいという思いで運転士を目指している人は非常に少なく、大半の社員が地上勤務では収入が少なすぎるので、辛い仕事だと分かっていても運転士になって少しでも収入を増やしたいという、背に腹は代えられない思いで運転士になる決意をしている人が多かったように思います。
週末の行動は自由ですが、帰省旅費は月に2回まで出してもらうことが出来ました。遠くは青森、九州から来ている人もいましたので、遠方の社員は帰省旅費が出ても土日の2連休程度では帰らず、東京で遊ぶお金に使っている人もいました。逆に関東支社の人は家が近いので、毎週のように帰っていたと思います。
私も静岡県沼津と比較的近かったのと、集団生活に苦手意識があったため、毎週末に帰省していました。木曜日、金曜日になると帰りたくなってきて、金曜日の午後の授業などは帰ってから休日にやることばかり考えて上の空状態でした。
静岡の職場はお金の管理にうるさく、切符の領収書どころか、使い終えた乗車券を改札で貰ってきて総務に出せとまで言いました。なので月2往復分の新幹線代を分割して毎週普通列車で帰るなどのやりくりが出来ず、月2往復は完全に自腹となりました。
自腹で帰る金曜日の夜は一旦東京駅へ出て、湘南ライナーに乗るのがささやかな楽しみでした。1回だけ、わざわざ新宿へ行ってホームライナー小田原に乗ってみたりしたこともありました。
旅費が出る時は新幹線より安い分には出してもらえたので、東京へ戻る時は沼津から新宿行きの特急あさぎりに乗ってみたり、三島駅から修善寺始発の踊り子に乗ってみたり、研修期間最後の帰省時などは、遅い時間に研修所を出て、サンライズ出雲のノビノビ座席を東京~沼津まで使ってみたこともあり、単純な沼津~東京の移動でも様々な移動手段を使って楽しんでいました。
関東支社の運転士同期と仲良くなり、私が持っていたスーパーカブをお譲りする運びとなり、一度スーパーカブに乗って東京へ行ったこともありました。そのままバイクを同期にお譲りし、私はヘルメットだけ持って研修所に戻って他の同期から不思議そうな目で見られたのを覚えています。
今思えば、研修所と自宅を往復するこの時間が、研修所生活の中で一番の楽しみだったように思います。
研修所生活とはいえ、時間を拘束されるのはしっかり8時間という印象で、あまり窮屈な感覚はありませんでした。もちろん集団生活のルールが煩わしく思えることもありましたが、給料を頂きながら学ぶ環境としては大変恵まれていたと思います。
反面、苦労したり嫌な思いをしたことももちろんあり、次回はその辺を書いていこうと思います。
この話の続きはこちら。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。