今年も静かな夏が過ぎていこうとしています。
夏休みシーズンになると外で子供連れや学生を多く見かけるようになり、それを見て8月であることを実感します。
思い返せば、留置場で過ごしていた期間にも季節を感じるような出来事がありました。
鉄格子の留置部屋の中から見えるのは、廊下を挟んだ壁にある金網付きの小さな窓から見える綺麗な青空くらいでした。
つい先日まではあの青空の下で何でも出来たのに、今は2畳くらいしかない小さな部屋を出ることさえ叶わない。
そのギャップがとても辛かったのを思い出します。
そんな留置場暮らしの中でも唯一、季節感を感じられる出来事。
それは、護送車に乗せられて検察庁へ移送される時でした。
手錠を付けながら金網の窓ガラス越しに眺める外の景色。
いつの間にか桜が散って葉桜になってきたな・・・
初々しいスーツ姿のサラリーマンが街を闊歩するようになったな・・・
店がGW特集のセールをしてるな・・・
4月に逮捕されて5月まで留置場で過ごした私は、金網越しの車窓を見てそんなことを感じ取っていました。
もし夏に留置場で過ごすことになっていたら、どんな気持ちで外を眺めていたのか。
ふとそんなことを考えました。
今月、私の住んでいる場所に1人だけ友達が訪ねてきてくれました。
逮捕をきっかけにそれまでの人間関係の大半を失った私ですが、そんな私にも僅かながら友達がいます。
そのうちの一人と久しぶりに再会し、水入らずの時間を過ごしてとても明るい気持ちになることが出来ました。
そんな出来事があったので、今日は本当の友達とは何なのか・・・自分が感じたことを書いてみたいと思います。
彼は中学生時代からの幼馴染で、とても気心の知れた友達でした。
沼津に住んでいた頃には家も近くてよく会ったし、お互い車好きで一緒にツーリングやらドライブやら、あちこち遊びにも行きました。
助けたこと、助けられたこと、喧嘩したこと。友達として起こるイベント的なものは全て経験してきたかもしれません。
他愛もないことを喋りながら一緒に過ごすだけで居心地が良く、かといってお互いの意見はいつも分かれて話のネタも尽きない、楽しい相手でした。
でも、それが本当の友達であるかどうかの判断基準にはならないと感じています。
会社員時代、そういう相手は他にも沢山いました。
職場でよく会い、時間が合えば飯も行くし遊びにも行く。助けたこともあるし助けられたこともある。時には少し対立して喧嘩したりもする。
一見幼馴染の友達と何ら変わらないように見えます。事実、私も良い友達だと思っていました。
ですが、会社員時代に良き友達だと思っていた人は、今や一人も残っていません。
果たしてその差は何なのでしょうか。
付き合いの長さ?・・・それも影響しているかもしれませんが、学生時代の同級生がみんな友達として残っているわけではありません。
遊んだ回数?・・・もっと沢山遊んだのに、消えてしまった人も何人もいます。
喧嘩した回数?・・・正直あまり関係ないと思います。
人間関係の大半を失った今の私の目に映る、本当の親友の姿。
それは、雨の日に傘を差してくれる人。
比喩的な表現でわかりにくいと思いますが、これをしてくれる人こそ、自分にとって本当の親友なのではないかと思いました。
自分が何のトラブルもなく、日々平和に生活している間は友達はいくらでも作れるし、人間関係も増えていくと思います。
遊ぶ相手もたくさんいて、時にはグループで遊びに行くこともあるでしょう。
自分には沢山の友達がいる。
そう感じるのは自然なことだと思います。
しかし、私のように犯罪行為を犯して世間から追放された時、自分が友達だと思っていた人の9割以上が消えていきました。
テレビのニュースを見て音信不通になった、友達だと思っていた人。
見損なったとメールで捨て台詞を残す、友達だと思っていた人。
メールで心配はしてくれるけどそれ以上何もない、友達だと思っていた人。
事件のことに一切触れずに、俺のバイクを直せと言ってくる、友達だと思っていた人。
友達だと思っていた多くの人が、色々な反応をしました。私が裏切るような行為をしたのですから、仕方のないことかもしれません。
案の定、「やってしまったことは仕方ない」と言ってくれた人もいました。でも、その「仕方ない」という言葉は後悔を増長するばかりで、その言葉にに励まされることは決してありませんでした。
それも含め、知り合いの反応一つ一つが当時の私には極めて辛かったことは、前回の記事で触れました。
結果的に私自身が人間不信になったことで切れてしまった人間関係もありますが、では今も付き合いの残っているその友達はどうだったのか。
彼は唯一、留置場を出た私のところに、直接訪ねてきてくれた人でした。
事件を知って電話するでもなく、メールするでもなく、突然家にやってきて、「今日、時間ある?」と聞きました。
あると返事をすると、どこへ行くとも言わずに彼の車に乗せられました。車中ではほとんど会話はなかったと思います。
そしてしばらく走った後、到着したのは小さな個人経営のハンバーグレストランでした。
連れられるがままに店内に入り、席についた彼は、私にこう言ってくれました。
「留置場ではマトモな物食えなかったでしょ、今日くらいは腹いっぱい肉食べなよ。」
私は彼の言葉を聞いて、大人になってから初めて泣きました。
私が何をしたのか知っているにもかかわらずあれこれ聞くこともなく、ただ、今の私の気持ちを察して精一杯味方になってくれた幼馴染の友達。
留置場を出た時の私は、まるで土砂降りの中でうずくまっているような孤独感、疎外感を感じていました。
そんな私を見て見ぬふりする人。
そこに石を投げつけてくる人。
空調の効いた温かい部屋の窓から「大丈夫か~?」とだけ聞いてくるだけの人。
「お前の状況は関係ない。俺のために働け」と言う人。
友達だと思っていた人たちのこういう反応を知ってはそんな感覚に苛まれていた私に、私の心境まで汲み取って唯一の傘を差し伸べてくれたのが、この幼馴染の友達だったのです。
多くの人は晴れている日に傘を差し出し、雨の日に傘を取り上げる。本当に必要なのは雨の日に傘を差し出してくれる人だ。
傘を例えたこの言い回しは銀行の融資のやり方の例えとしてよく用いられる言葉です。
安定収入のある正社員には喜んでお金を貸し、仕事を失った無職の人間には絶対貸さない。ごもっともだと思います。
これは、友達にも全く同じことが言えると思いました。
話が逸れましたが、この言葉通り、自分の調子が良い時に周りに集まってくる人の大半は、晴れた日に傘を差し出してくる人。本当の友達ではないのかもしれません。
そもそも、それが表面化するような大事件は、大半の人の人生では起きないと思います。本来それが一番幸せなことだとも思います。
ですが、こうして人生が180度変わるような出来事があった時、こんな私にも本当の親友がいることを知ることが出来たことは、とても幸せなことだったと思います。
短い時間でしたが、そんな親友が遊びに来てくれた8月は、私にとって最高の夏になりました。
あなたの周りには、胸を張って親友だと言える人はいますか?
どんな状況になっても、常にあなたの味方になってくれる友達はいますか?
そんな人が一人でもいたのなら、その人を誰よりも大切にした方がいいと思います。
いなければ、大勢と適度に仲良くするより、たった一人でもいいから親友を作った方がいいと思います。
私の場合、人生で本当のピンチになった時に助けてくれたのは、お金でも家族でもなく、友達でした。
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「私は彼の言葉を聞いて、大人になってから初めて泣きました。」
↑この文章を読んだとき、私も思わず込み上げてくるものがありました。
私は現在学生で、周りに友達がたくさんいます(加納氏が言うように本当の友達ではないかもしれない)。彼らは皆口を揃えて「彼女が欲しい。」「彼女が欲しい。」と、言うのですが、私が最近思うことには、表面上の関わりだけの彼女を作るくらいなら本当に信じられる男友達を作る方がよっぽどかいいのではないかと思うのです。
そのように私と同じ持論の持ち主を見つけられたことで、私のなかでもう一度その事について考えさせられました。
やはり本当にピンチの時に助けてくれる人が1人でもいるから救われますね。もし、いなかったら、強い絶望感と孤独感に苛まれていたでしょう。仕事や彼女はいくらでも作れますが友達は失ったら2度手に入らないから大事にしたいものですね。
>ピンクスさん
コメントを頂きありがとうございます。
心境を汲み取って頂けてとても嬉しいです。大人になって初めて泣いて出た涙、それは単純な嬉しさではなく、心の友がいたことへの安堵感、味方になってくれたことへの感謝など、様々な気持ちが入り混じった結果出たものなのだと思います。
もちろん、そんな味方の中に彼女という存在があることは素敵なことだと思いますが、結婚、家庭など、生涯を共にする可能性のある彼女の方が、犯罪者というレッテルを貼られたキズ物の人間を突き放す可能性は高いようにも感じます。
いざという時、本当に味方になってくれる友達の存在のありがたさは計り知れません。
平穏な日常生活において、多くの友達の中から誰が本当の親友なのかを見極めるのは困難かもしれません。
そんな時は、一緒にいて最も居心地が良いと感じる友達のために礼を尽くしてみると良いと思います。自分が親友を得たければ、まず自分がその人の親友になってあげる。そうすることで、ピンクスさんにも素敵な親友ができるかもしれません。
稚拙なブログから価値を見出して下さり、ありがとうございました。
>西日本さん
いつもありがとうございます。
情報から隔離され、井の中の蛙状態だった留置場生活よりも、社会生活に戻って周りの反応を知ったときの方がずっと辛く、おっしゃる通り絶望感と孤独感の極みを感じておりました。
そんな中で、初めて救われた気持ちになれたのが、彼の差してくれた傘だったのです。
事件を起こさなければ表面上の友達は今でも大勢いたと思います。
その大半が事件をきっかけに消えてしまった今、残ってくれた友達のことは本当に大事にしたいと感じましたし、いつか必ず恩返しをしようと思っています。