前回の話はこちら。
4月1日。ついに入社式の日がやってきました。
JR貨物は全国一社の会社なので、北海道から九州まで日本中の支社から新入社員が集まります。
私は静岡県にある三島駅から指定された朝の新幹線に乗車し、以西からやってくる新入社員一行と合流して東京へ向かいました。
私の隣には引率の課長が座ることとなりました。
内定式の時に居眠りしていた人を怒鳴りつけたあの人なので少し緊張しましたが、話しかけてみると意外と優しくて、国鉄時代から鉄道で働いてきた話を聞かせてくれました。若い頃から保線の仕事をされてきたようです。
東京駅に着くと中央線へ乗り換え、更に御茶ノ水駅で緩行線に乗り換えます。
本社は当時水道橋駅の近くにあり、入社式の会場もその付近のホールが用意されていました。
会場にはスーツを着た若い同期たちが集まり、その数はなんと全国で400人にも達していました。
巨大な会場に詰め掛けた大勢の新入社員を見て、さすが大企業は規模が違うな・・・と、感動を覚えていました。
後から知ったことですが、一度にこれだけの人数を新規採用したのは会社発足以来初めてだったようです。
リーマンショック前の流れに乗って一気に人材を増やそうとしたのでしょうが、そんな大英断の直後に大恐慌が襲い掛かっては、会社も堪らなかったことでしょう。なんだか申し訳ない気持ちになりました。
入社式では400名の新入社員一人一人の名前が呼ばれ、呼ばれたら「はい!」と返事をして立つように言われていました。
このプロセスだけでも1時間は掛かったと思います。
私は呼ばれた時、社長の目を見ながら返事をして立ち上がりましたが、社長は壇上にある紙を見ているようで、私の方に目を向けることはありませんでした。
後にも先にも、私がJR貨物の社長の顔を見るのはこれ一度きりでした。
入社式が終わると各々の支社へ戻って早速新入社員研修が始まります。
東京に集結した新入社員たちは、再び日本全国にある自分たちの拠点へ帰っていきました。
私たちも愛知県の岐阜寄り、稲沢市にある東海支社まで新幹線で帰ることになります。
・・・と、思っていたのですが、なぜか一行は駅に向かう気配がありません。
どうしたのか?と思っていると、会場前にツアーバスが登場。
なんと、ここから稲沢まで観光バス1台に全員を詰め込み、5~6時間掛けて移動するのだそうです。
なんというか、言葉が出ませんでした。
恐らく北海道や九州支社の人たちは飛行機で帰ってるし、東北や関西支社の人も新幹線で帰っているでしょう。
いずれも2~3時間程度の移動で済んでいるはずです。
そんな中で東海支社の人は高速バスに詰め込まれて5~6時間・・・。
どの支社よりも近いはずなのに、どの支社よりも長時間の移動に堪えなければならないのは、なんだか理不尽な気持ちになりました。
補助席まで使ってすし詰めにされた車内は息が詰まるようで、私たち新入社員が既にお荷物になっていることを痛感したと同時に、拠点が東京から中途半端に近いというのはデメリットしかないというのを実感しました。
支社に到着した頃には夕方になっていて、これから何か研修を出来るという状態ではありませんでした。
同期たちの疲労も溜まっている様子で、初日から面喰ってしまった人は他にもいたことでしょう。
支社ビルの最上階には宿泊施設があり、二段ベッドの二人部屋がいくつも並んでいます。
そのフロアでの共同生活に関するルールを説明され、部屋を割り当てられて落ち着いたところで、入社式の日は終了となりました。
支社ビルの宿泊施設は、50人が宿泊するのに部屋は足りていましたが、お風呂はなんとユニットバスが1個しかないという状態で、順番待ちは恐ろしいことになりました。
そのため近くの銭湯に入れるチケットを希望者に配るという対策が取られ、外で入りたい人はそちらへ行けるようになっていました。
ビルは稲沢駅に面していて、外を見れば目の前に東海道線と愛知機関区の留置線が見えました。
色々あって大変な会社員初日でしたが、これから鉄道業界で働けることにワクワクしていた私は、遅くまで稲沢を行き来する電車や貨物列車を眺めて、これから鉄道の現場で過ごす日々に思いを馳せていたのを覚えています。
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