前回の話はこちら。
初出勤の職場で試されること?~新人の雑用スキル~
12月になり本格的に寒くなってきました。暖房をつけっぱなしの日が多くなっています。
暖房と言えば、私が留置場にいた時は春先で気候が良かったからいいのですが、冬場の留置場や拘置所というのは暖房の利きが良くないらしく、とても辛いと聞きました。
確かに私がいた留置場の暖房設備は、檻から離れた場所に何個か古いスチーム暖房のようなものがあったくらいで、稼働していてもその熱はなかなか檻の中までは届かないと思います。
周りも鉄格子と断熱材なしのコンクリートの壁ですから、僅かな熱もどんどん吸収されて、真冬は本当に底冷えするのだろうと思いました。与えられる薄い毛布も一人2枚までですから、1枚をコンクリートの床に敷き、もう1枚で体をくるんでひたすら耐えるしかないようです。留置場で同じ檻の中に居た人から聞いた話でした。
そんなことを思い返すと、自由に暖房が使えるというだけで、有難みを感じてしまう自分がいます。
当たり前にある物に感謝出来るようになるという意味では、留置場のような不自由な環境で過ごす経験は犯罪者でなくても一度はしておいた方がいいような気がしました。
最近ブログの主旨から脱線した記事ばかり書いていたので、そろそろ本題に戻って以前の話の続きでも書くことにします。
以前の記事では、運転士登用の試験を通って吉原駅から静岡総合鉄道部という運転職場に転勤になり、初出勤でやらされたことが年末の大掃除だったことまで書きました。
吉原駅だったら9連休だった年末年始休暇が4連休程度になってしまい凹みましたが、年末年始に休める鉄道員なんて貨物だけだししょうがないと割り切って、短い正月休みを終えました。
1月4日に新しい職場での勤務が本格的にスタートしました。最初の1ヵ月は体験添乗といって、実際に貨物列車の運転士と一緒に乗務に同行させてもらって、運転士の勤務がどんなものなのかを肌身で体験するという研修がありました。
その時同行させて頂く先輩は自分の運転指導を行う教導の先生とは別の運転士でした。
これは職場によって考え方が違うようですが、この時期から教導と一緒に乗せてしまうと中には体験添乗中からハンドルを握らせてしまったり、その時点で厳しい上下関係を作ってしまい、早々に見習いがくじけて辞めてしまったりする場合があるからだそうです。
私の担当になってくれた先輩は当時私より10歳くらい年上で、運転士としては4~5年くらい勤めてきたと言っていたと思います。とても物腰の柔らかい優しい先輩で、疑問に思って聞いたことはもったいぶらずに何でも教えてくれましたし、先輩が知らなければ調べてくれたりもしました。
私は優しい先輩に恵まれて嬉しかったのと同時に、毎日貨物列車の助手席に乗って前面展望を眺められる日々など、なんて幸せな仕事なんだと思いました。
静岡貨物を拠点に東は東京ターミナルか新鶴見信号場、西は稲沢駅まで、東海道本線を東西に400キロ近く乗務するのが、運転士の仕事でした。
旅客列車ならJRでもせいぜい片道100キロもあれば長い方で、私鉄なんかでは路線の総延長が50キロ以下だったりすることもザラにありますから、片道200キロ、総延長400キロの乗務距離というのには当初とても驚きました。
同時に、とても楽しみな気持ちになりました。同じ区間を1日に何往復もするより、1仕事で1往復という形の方が飽きなそうだし、景色の移り変わりもあって楽しそうに思えました。
実際、体験添乗中はとても楽しい時間でした。いくら鉄道が好きでも旅客列車の運転席の後ろにかぶりついて東京~名古屋なんかとても乗れないので、普段利用している東海道本線の景色は運転席から見るとこんな眺めだったのかと、鉄道ファンとしては願ってもない環境に幸せを感じていたと思います。
同時に、運転士の仕事の辛さもその時点で既に思い知ることになりました。
助士席で景色を見ているだけの何が辛いのかと思うかもしれませんが、その時点で睡眠時間が短く、かつ不規則なことに既に辛さを感じていました。
14時出勤、19時半に出先に到着して休めと言われ、深夜1時に起床して乗務、早朝4時台に静岡に帰ってきて5時頃勤務終了。同日の17時に出勤して乗務し、23時に出先に到着して休憩。深夜3時に起床して午前10時頃に勤務終了。
そんな感じの2泊3日の勤務体系が基本で、この3日間をこなして1日休みか、3日間を2セット、6日間連続で勤務してから2連休かの2パターンがありました。
この3日間でこなす2勤務のうち、1勤務あたり与えられた睡眠時間は大体4時間前後です。しかも時間帯が必ずしも睡眠に適しているわけではなく、19時台に床に就けと言われても、なかなか眠れるものではありません。
なので大抵は夕飯を食べに外出したりして、実際に眠る時間は2時間あるかどうかというのが現実でした。
私も当時は21歳と若かったし、最初のうちは夜中に起きることにワクワクしていたりしましたが、たった1ヵ月の期間でありながら、後半になってくると睡眠不足が深刻になってきて、添乗中に起きているだけでも精一杯という状態になっていました。先輩の運転士さんも慣れてはいるのでしょうが、夜間の乗務は何度もあくびをしていたのを覚えています。
こんな状態で本当に正常な運転など出来るのか・・・?漠然とそんな不安を感じたような気がします。
さらに、睡眠と同様に食事のサイクルがつかめず苦労した記憶があります。
仕事をする時間帯が日々違うため、どのタイミングで食事を取ればいいか要領がつかめませんでした。どこの職場にでも食堂があるわけではないですから、出勤前に買って持って行ったり、勤務に合わせて食事のスタイルを変えなければなりません。
長時間の乗務では飲み物も必要だし、毎回出勤前にコンビニで買ったり出先で外食したりしていれば、1回勤務をこなすのに食費だけで1000円から、多い時は2000円くらいすぐに使ってしまいます。
手弁当は乗務中に傷む可能性があるし、洗い物や空の容器を持ち歩くのが面倒だったりして、あまりやっている人はいないようです。
片道5~6時間も乗れば、さすがにお腹も減ります。しかし勝手を知らない私は何も持ってきておらず、途中空腹に苛まれることがよくありました。
一番困るのは列車が遅れた時で、周りに何もない待避線で何時間も抑止されれば、空腹は限界に達します。
先輩はそんなときの非常食にと柿の種とカロリーメイトを所持していて、小腹が空いた時に短時間で食べれるようにしていました。
添乗中に一度そんな場所で抑止に遭ったことがあり、空腹に耐え兼ねてお腹がグーグー鳴っていた時、先輩がカロリーメイトを半分わけてくれた時がありました。
あの時頂いたフルーツ味のカロリーメイトの美味しさは、言葉では説明できないものがありました。
そしてもう一つ困ったこと・・・
それはトイレです。
乗務距離が200キロともなると、遅い貨物列車では片道6時間近くの乗務になることも多々ありました。さらに途中停車する待避線はホームのある線路ではなく、駅のトイレを使うことも出来ません。
男ですから停車中に降りて草むらで用を足すというのは特にやぶさかではありませんが、深夜のノンストップの列車などでは2時間半くらい走りっ放しという場合もあり、そういう時にトイレに行きたくなると我慢できる限界を超えてしまうケースがありました。
これについては担当の先輩だけでなく、大勢の先輩に聞いてみましたが、様々な対処法を教わりました。
「とにかく我慢する。」「行きたくならないように水を飲まない。」みたいな精神論的な手法もありましたが、運転しながらビニール袋にする、ペットボトルにする、空き缶にする、オムツを履いていく等、皆さん列車を止めずにトイレの問題をカバー出来るよう工夫を凝らしているようでした。
私は体験添乗時は直接ハンドルを握っていたわけではないので体の融通は利きますが、運転しながらとなるととても難しそうで、ある意味プロの技という印象でした。
体験添乗中で知識不足だった私は、一度そのような用を足せる道具を持っていない中でどうしても我慢できなくなってしまった時があり、先輩に相談すると「しょうがないからこの先のトンネル内で乗務扉を開けて外にしなさい」と言われました。
背に腹は代えられずトンネル内で乗務員扉を開けて用を足したのですが、走行中のトンネル内で扉の開いた状態で外を見るのはとても恐ろしかったです。さらに足した用が走行風で舞い上がって自分に跳ね返って来て、でも限界まで我慢した用は止まらず、終わった頃には漏らすより悲惨な状態になっていました。これがもし大きい方だったら、文字通りクソまみれです。
出先で就寝用の浴衣に着替えてから用にまみれた制服を水洗いし、休養室のエアコンにぶら下げて折り返し時刻まで必死で乾かしたことは一生忘れません。
そんな様々な洗礼を受けて、たった1ヵ月の体験添乗でありながら運転士の仕事の過酷さを思い知り、最初の楽しさはどこへやら、本当にこんな仕事が自分に出来るのかと不安いっぱいのまま体験添乗の研修期間を終えたのでした。
この期間を終えると、次は東京にある研修センターに行って4ヶ月間泊りで研修を受けることになり、ここで座学にて色々学ぶことになります。
次回は研修センターで過ごした時のことを書きたいと思います。
この話の続きはこちら。
運転士養成所での生活①~続けさせたいのか辞めさせたいのか?~
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
鉄道会社で働くことへの憧れ ~将来の夢にどんな絵を描いたか?~
体験乗務なかなかおもしろかった。
貨物の運転士はトラック運転手とトイレの仕方は変わらないですね。
>>1 西日本さん
いつもコメント頂きありがとうございます。
トラック運転手さんも、自分の判断で車を止めるという選択肢はあれど、時間を惜しんで走りながらする人も多いようですね。本当大変な仕事だと思います。
こんにちは。
鉄道が好きな青年です。
とても貴重なお話をありがとうございます。
私は将来貨物の機関士になりたいと思っているのですが、この記事を読んでいると現実はとても過酷で、ただただ「鉄道が好きだ」というだけではやっていけない業界である事を知りました。(この事を知れた事だけでも、とても良かったです。)
今後ももしよろしければ、機関士時代の事などを書いてください。
とても面白い記事をありがとうございました。
>>3 篠ノ井あずささん
初めまして、コメント頂きありがとうございます。
私のような人間のブログがきっかけで、機関士の夢が霞んでしまったなら申し訳ないと感じます。
ですが、入ってから後悔してしまうよりは、事前に判断基準を持たれた方が、ご自身の人生にとって有益なのも事実かもしれません。
正直、鉄道が好きなだけではやっていけない世界だと思います。食事、トイレ、睡眠といった人間にとって必ず必要な生理現象を我慢しなければならず、特に睡眠不足が続くと正常な判断が難しくなり、楽しいよりも、いつ事故を起こすか分からなくて怖いという感覚になってきます。
保安装置も年々厳しいものになってきて、自分で機関車を動かすというよりは、保安装置に監視されながら運転させられているという感覚になってきました。国鉄機関士のような、人間の技に頼る高度な運転技術を求められる時代ではないと思います。
下手くそでいいから、事故を起こすな。私はそう教えられてきました。
過去を振り返ると辛くなる時がありますので、また気持ちが向いたときに当時のことを書いていきたいと思います。