しばらくの間、このブログでは最近の出来事や考えることばかりを綴ってきましたが、そろそろ過去の話に戻って進めていきたいと思います。
ストーリー的には、前回の記事はこちらになります。
JR貨物の運転士として勤務した約5年半の間、単調な仕事ではありつつも多くの経験をさせて頂きました。
一般的なサラリーマン人生と比べれば短い時間ではありましたが、鉄道が好きだった私にとっては非常に価値のある時間だったと思います。
鉄道の運転士になるという夢を抱き、それが叶うばかりか全国的に見ても一部の人間にしかなれない、機関車を運転するという仕事が出来る。こんな幸せなことはないと思っていた二十歳過ぎの私。
前回の記事では初めて見習いとしてハンドルを握ったことを書きましたが、初めて一人前の運転士として乗務した日のことも、鮮明に覚えています。
生理現象を我慢しなければならない辛さはあっても、誰でもなれるわけではない特別な仕事。自分にとってこんなに理想の仕事はないと喜んでいたものでした。
それがいかにして5年間で目が死に、身体が死に、退職するに至ったのか。
その経緯を詳細に書けば何十記事にもなりますが、それはいずれ書くとして今日は簡潔に綴りたいと思います。
貨物の運転士という仕事を一生涯続けることが不可能だと感じた主な理由を箇条書きにしてみると以下のとおりです。
・睡眠のサイクルが不規則で身体の消耗が激しく、運転士6年目にして体調が常に優れなくなった
・責任の重さ、拘束時間の長さに比較して給料が安い(26歳、勤続7年目、運転士で月収27万円/手取り18万円程)
・社長が頻繁に入れ替わり、その度に何か改革のようなものが行われて、結局はコスト削減=人件費の削減に走って手当が無くなっていった
・自分より10~20歳上の先輩方の収入が横這いになり、その後減少傾向になったと聞いた
・保安装置による監視が厳しくなり、人間の感覚で列車を動かすことがほぼ出来なくなり、自分で列車を動かすという実感がなくなってつまらなくなった
・そのような監視体制により、些細なミスもデータを槍玉にあげられて乗務を外されるため、運転士という仕事がいつ降ろされるか分からない水商売のような印象になった
・保安装置の発達を実感したことで、いずれ自動運転の時代が来て、運転士という仕事がなくなる。もしくは長距離トラックの自動運転の時代が先に来て、鉄道貨物需要自体がなくなる気がした
・ミスをした後の日勤教育が見せしめ、嫌がらせのような内容で、同僚がそのような状況になっているのを見るだけで心が痛み、ストレスを感じた
・国鉄時代から30年以上現役で勤め上げてきた大先輩が、些細なミスで次々と降ろされ、定年退職を待たずに職場を追われていった=自分の将来もそうなる気がした
・仮に続けられたとしても、この文字通り敷かれたレールの上を走るだけの単調な仕事で、人生の大半を消費することに恐怖を感じるようになった
・同僚が揃って会社の愚痴しか言わない。職場に負のオーラが漂っている
・ボトムアップの意見がほぼ聞き入れられないので、物事が現場にとって悪い方向にしか行かない
・労働組合の闇が深すぎて、少なくとも自分の在職中、将来に亘ってこの会社が良くなることはないと確信した
すぐに思い付く範囲では大体このような理由です。
これらの不満を抱えている社員は他にも沢山いると思います。しかし、彼らはそんな不満を飲み込んで今日も頑張って仕事をしているわけで、その違いは何なのでしょうか。
多分、それは身体を壊したかどうかだと思います。
人間というのは本来、コンピュータよりも繊細な物だと思います。環境の変化に敏感だし、正常な状態を維持するのにもそれなりに気を遣うべきものなはずです。
しかし現実世界では、そんな人間を産業機械以上に酷使するケースも珍しくありません。貨物の運転士の場合、生理現象を無視した劣悪な環境に置かれながら、1つのミスも許されないコンピュータのような仕事を求められるわけですから、それは無理があるというものです。
心身共に健康な人間であれば、そんな環境に置かれても身体は適応していき、ある程度までは粘れるのもまた事実です。
しかし、ひとたび限界を超えると一気に出てきてしまうのもまた人間というもの。体調が崩れればメンタルも落ちやすくなり、メンタルが落ちれば体調も比例して悪くなりやすい。
つまり精神的、肉体的、どちらか一方を崩すだけで、人間は全てを崩してしまうということです。
私の場合は、先にメンタルが崩れて、それに反応するように体調が急激に悪化していった流れでした。
カミングアウトするのは恥ずかしいことですが、入院手術の原因となったのは「痔」でした。
それまで痔持ちでは無かったのですが、以前記事に書いた祖母が亡くなった時の一件をきっかけに仕事に対するモチベーションが切れたあたりから、体調不良を感じる日が目に見えて多くなりました。
そしてある日の夜、自宅で休んでいるときに突然肛門に激痛を感じ、同時に温かい物が流れ出るのを感じました。触ってみると服は真っ赤でした。
あまりの痛さにその場でもがき苦しみ、しばらく動けずにいました。痛すぎて起き上がることも、仰向けになることも、うつ伏せになることも出来ず、横寝状態で近くにある座布団を握り締めて痛みに耐えることしか出来ませんでした。
血まみれで横たわっている姿は、まるで背後から銃で撃たれた殺人現場のようだったと思います。
ある程度血が流れ出て、痛みが落ち着いた頃になんとか這って風呂場に行き、シャワーで身体を流しました。気付いた家族が驚いて、救急車を呼ぼうかという話になるくらいでした。
結果的に救急車は呼ばなかったものの、その日は座るという体勢が取れない状態のまま一日を終えることになりました。
人間はメンタルが落ちると、身体の最も弱い部分に症状が現れると聞いたことがあります。
毎日、揺れる機関車の硬い運転席に何時間も座り、それを何年も続けていれば誰だって痔になってもおかしくありません。
皆さんも電車に乗るとき、先頭車の運転席を覗いたことは一度くらいあるかもしれません。運転士の運転席は、あまり快適な椅子には見えないと思います。
機関車の運転席はそれ以上に硬く、長時間乗務するということを全く考慮されていません。EF66以前の機関車ではリクライニングしないどころか肘掛けすら付いておらず、全体重をお尻に掛ける座り方しか出来ませんでした。
この椅子で何時間も乗務するのは、少々無理があるというものです。
またEF200、EF210以降の新形式でも、当初は背もたれのリクライニング機能があったものの、居眠り防止だと言いだして途中からリクライニング機能を固定されるようになりました。
電車の運転士のように短時間、短距離の乗務なら多少安っぽい椅子でも良いかもしれません。しかし貨物のように長距離で長時間の仕事では、その理屈は理に適っていないと思います。
運転中に疲れを溜めないため。また停車時間が長かったり片道が便乗となる場合などに、限られた時間で身体を休めるためにも、運転席の快適性は非常に大切だと思います。
大型トラックの運転席も、居眠り防止を理由に硬い素材で作ったり、リクライニングしないようにしてしまうという発想は聞いたことがありません。むしろ、運転中に少しでも疲れが溜まらないようにと、人間工学的に快適性を追求した設計の運転席を、各自動車メーカーが作っています。
それとは逆行した発想で作られた運転席に長時間身を置いているうちに、私の身体の一番弱い部分はお尻になってしまったのかもしれません。
しかし、これはJR全社がそういう考えではないようで、現役時代に新鶴見機関区へ乗務した時、貨物運用に貸し出されているJR東日本の北斗星色EF510が留置されていて、試しに運転席に座ってみたことがあります。
すると、信じられないくらい運転席が柔らかく、快適で衝撃を受けました。柔らかくも堅牢な造りで、リクライニング機能もしっかりあって、寝台特急での長時間乗務を考慮された非常に素晴らしい運転席だったことを覚えています。
さらに驚くことに、助士席まで同じくらい座面が柔らかかったのです。乗り込む人間にどれだけ配慮出来るかは、同じ機関車でも会社の違いによってここまで違うのかと驚いたものでした。
話が逸れましたが、痔という時限爆弾の爆発によりとても仕事へ行ける状態ではなくなった私は、翌日の晩が出勤だったため早めに会社へ連絡しなければと思い電話を取りました。
電話口には交番担当の人間が出て、事情を説明すると驚くべき返答がありました。
「痔くらいで休むの?俺だって痔持ちだけど、そんなの我慢して乗ってたよ。ちょっと甘いんじゃないの~?」
これを言ってきたのは、交番担当の人間の中でも最年長の人でした。昔の人間にありがちな精神論で、痔くらい我慢して乗れというのです。
これを受けて私は再び職場に対する不信感が強まりました。こちらは激痛にもがいて、やむを得ない事情で連絡しているというのに、それを痔を理由に仕事をサボろうとしていると受け取られたことには心底怒りがこみ上げました。
あまりよくないことだと分かっていましたが、痔の痛みで既に朦朧としていた私は冷静な判断力が無くなり、電話口で怒鳴り返してしまいました。
「じゃあどんなに辛くても出てこいってことですね!それなら出てって何かあったら責任取ってくれるんですよね!?あとはあなたの言い分も含めて明日課長に相談するんでもういいです。」
そう言って一方的に電話を切り、携帯電話の電源も切ってしまいました。
痛み止めの薬を飲んだせいかその後眠くなって、いつの間にか寝ていました。
翌朝、実家の家電に電話が掛かってきて、それを取った祖父が呼びにきました。
線の繋がっていない子機を持ってきてもらって出ると、翌日の当直さんでした。
「なんか色々あったみたいだけど、仕事は空けといたから病院行ってきていいよ。結果が分かったら連絡してもらえる?」
そう言ってもらえて安心すると同時に、眠って少し冷静になった私は当直さんに申し訳なく思いました。
そして病院へ向かうことにしたのですが、痔という病気は簡単に直るものではなく、しっかりやるなら手術するしかしないと言われ、その日は座薬を渡されるだけに留まりました。
とりあえず薬を塗って安静にしていれば出血は収まってきたのですが、排便すると再び傷が開いて出血するということが繰り返され、その度に風呂場で洗っては薬を塗り直すという処置をしてその場をやり過ごしていました。
このときまだ医者の言うことを鵜呑みにしておらず、しばらくすれば治る一時的な物だと勝手に思っていて、手術は決意出来ずに薬を持ち歩いて対処するという方法で治療する道を選んでいました。そのため3日ほど仕事を休み、仕事へ復帰しています。
次に会社へ行くとき、母が心配して痔対策用の丸座布団を買い与えてくれました。それを仕事でも持ち歩けばいいと、布袋と一緒に私に持たせてくれたのです。
それがそこそこ値段の張る耐久性の高いもので、過酷な乗務でも座布団が傷まないようにとの母の配慮が感じられて、とても嬉しく思ったのを覚えています。
そしてあれから5年近くが経った現在、ブログを書いているいまこの瞬間も、私のお尻の下には母が買ってくれたその丸座布団が敷いてあります。
こうして思い返すと、親への感謝ちが溢れると同時に、こんな身体になってしまう仕事を選んだことへの後悔が湧き上がってきます。
人間は一度身体を壊すと、たとえ若くても完全には元に戻らない。
そう実感せざるを得ません。
人間は健康であるうちは、健康の大切さを軽視する傾向があると思います。身体を壊して初めて、健康でいることの有り難みを感じるものです。
年齢を重ねるにつれ、そのダメージは大きくなっていくと思います。40代、50代で身体を壊してしまったら、回復は今以上に厳しかったことでしょう。
そういう意味では、20代半ばにして身体が壊れたことで、その世界から身を引く決断が出来たことは良かったことなのかもしれません。
しかし、今こうしている間にも、貨物列車の運転席に座って列車を動かし続けている人がいるのも事実です。
今も鉄道を動かしている方々の身体が、健康を失い私と同じ状態にならないことを願ってやみません。
次回に続きます。
この話の続きはこちら。
ストーリーを最初から読まれる場合はこちらからどうぞ。
多分、それは身体を壊したかどうかだと思います。
運転士ならもっと配慮してもらえる社風があればよかったのに。貨物と東日本で椅子1つとってもこんなに違うんですね。痔で血まみれになるなんてどれだけ過酷だったんでしょうか。
貨物を扱うこと、1人で運転すること、夜勤中心であること、そして利益が他のJRと比べてあまりに少ないこと
すべての労働環境が悪いですね。
ブラックすぎます。
>西日本さん
いつもありがとうございます。
過酷な環境を健全に生き延びるには、せめてメンタルはプラスの状態でないといけないと強く感じた機会でした。少なくとも、毎日硬い椅子に座り、揺れる車内で何時間も過ごせばそれなりのダメージにはなると思います。
一度痔が破裂することを経験してからは、硬いところに座ることに非常に抵抗感を感じるようになりました。東日本のEF510に座った時は、この運転席で仕事が出来たら疲れの溜まり方もどれほど違ったかと感じました。
深夜乗務が多い貨物の仕事では、どうしても眠気で判断力が落ちた結果起こる事故というものが目立ちます。
会社はその原因が運転席が快適だと眠気を誘発するからとし、その対策として硬い座席に替えたりリクライニング機能を固定したりといった仕様変更をして、楽な体勢を取らせないことで居眠り防止を推し進めていましたので、運転席の乗務環境は辛くなる一方でした。
辛い仕事であっても、「収入が高ければ」「やりがいがあれば」「明るい将来があれば」「人間味のある職場環境であれば」など、何かしらモチベーションの原動力になる要素があればメンタルで身体は維持出来たのでしょうが、割り切れる要素が全くない、もしくは少なすぎたのがメンタルを崩していく原因だったのではと思います。
私が退職してからもう4年以上経ちますが、今でも現役で運転士として勤めている方々のことを思うと、現在の職場環境があの頃より少しでも良くなっていることを願ってやみません。
静岡総鉄は、冷たい職場だね。
>匿名さん
コメント頂きありがとうございます。
当時は非情な世界だと感じていたのは事実です。先輩方も「職場に気を遣っていては、いいように使われる。自分の身は自分で守れ」とアドバイスしてくれていました。
そんな中でも人間らしさを優先してしまったあまり自爆しているのですから、情けないこと極まりないです。
初めてコメントします。思うところがあってコメントします。
体調不良はとてもわかりますが、これはただの不満を並べているだけのように思えます。憧れだった鉄道の世界。その中で最も注目をあびる運転士。子供たちの憧れの仕事ですよ。単調な仕事って、世の中たくさんありますよ。自分が好きで入った世界を悪く言わない方がいい。たとえ恨みがあったとしても。
私も電車運転士を10年程していたのですが、パワハラにより精神疾患に陥り、パワハラの上司はそのまま、自分だけ治療の為運転士を外され、復帰できないまま転職と転居。また新しい所でも発病して退職という感じで先は見えませんが、お世話になった鉄道の悪い所は言わない。
あちこちに鉄道の画像を貼られているという事は、今でも鉄道は好きなのですよね。なら鉄道の悪い話はしない方がいい。どんな会社にもダークな部分はある。
もっと前を向いて生きてください。応援してます!
>O2さん
初めまして、コメント頂きありがとうございます。
あなたも鉄道運転士をされていたご経験をお持ちなのですね。おっしゃる通り私は鉄道の仕事で身体をダメにしましたが、今でも鉄道自体は大好きです。
だから鉄道のことを悪く言う気はありません。ただその鉄道の現場を動かす会社の考え方。上司の考え方。それは鉄道とは別次元の話だと感じております。
私自身、人のことを悪く言うのは好きではありませんから、塀の外へ出た後、故郷を離れて静かに暮らそうと決意してひっそりと暮らし始めました。
しかしそんな私の新しい人生を、この会社の人間は潰そうとして怪文書を送り付けてきたのですよ。
だから私は、自分の経験したことを公共性を担保するためにできる限りありのまま、事実として表に出していこうと決心して犯罪者として実名を晒してでもこのブログを書き始めました。そうでもしなければ、潰そうとしている人間による嫌がらせによって、私は二度と自分の居場所を作れなくなってしまうからです。
このブログの内容を読んで、私がクズ人間だと感じた人は私なんかと関わらなくていい。この事実を知った上で、それでも人間として向き合ってくださる人が居るならば、私はその人を大切にして生きようと思ったのです。
だからこのブログは不平不満を愚痴るために書いているわけではありません。会社の人間による個人攻撃から自分の居場所を守るために書いている。そのことはご理解頂けたら幸いです。
丁寧なご返信ありがとうございます。
別にクズ人間だとは思っておりません。
大変聡明な方だと思います。ただ聡明な方のため、相手の主張の上から被せるような物の言い方の感じがしました。「1」言うと「10」くらいかえってくるような。過去の会社での話においても。あまり上司の方はいい気分はしないようないい方されてるように思います。相手からしてみると怖いです。そういう方は残念ながら反感を買いやすいです。
なぜなら僕がそういう言い方をしていたから。だから結果として自分が痛い目にあってしまった。今も病気と戦っています。
自分の身を守るため、理解はしております。言い方(書き方)には気をつけて欲しいです。今後の人生の為にも。
ただこんな怪文書を送るような人は、きっと大きなバチがあたる、そうあって欲しいです。