このブログでは、私が鉄道会社で働くことに憧れてから、JR貨物で働くことになり、運転士として勤めるまで。そして体を壊して会社を退職し、新しい仕事を始めた矢先に逮捕されて有罪となり、以下の記事にあるような無職前科者に転落するまでの流れを時系列で書いていこうと思います。
それと並行し、私が現在の暮らしの中で起こった出来事や、ふと思い立ったことを記事にしていきます。これら単発の記事につきましては、下記リンクのカテゴリ「⓪前科者の現実」にまとめておりますので、そちらをご覧下さい。
http://kenshirokano.x0.com/kenshiro-kano/category/gennjitu/
メインとなる時系列のストーリーには、前後の話のリンクを貼っておきます。長いブログになると思いますが、ご興味がありましたらご一読下さい。
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私は神奈川県で生まれ、静岡県の沼津市という町で育ちました。
幼い頃、物事ついた時から鉄道が好きでした。
おじいちゃんと一緒に東海道本線の線路際にある公園へ行って、通る電車を見ながら遊んでいました。
ひとたびその公園へ行ってしまえば、おじいちゃんが帰ろうと言うまで、決して自分から帰りたいとは言いませんでした。
皆さんは、幼い頃にどんな将来の夢を描いていましたか?
小学校の図工の時間で、将来の夢を絵に描いたことはあったでしょうか?
その時に何の絵を描いたか覚えているでしょうか?
まだ理論的に物事を考えられない幼少期、その時に描いた夢というのは、あなたが生まれつき、本能的に好きだったものなのかもしれません。
私は小学生になってからも学校帰りに一人で電車を見に行ったし、図工の時間に将来の夢を絵に描けと言われれば、必ず電車の運転士の絵を描きました。
鉄道会社に入って電車の運転士になりたい。
いつの間にか自分の中ではそんな夢が出来上がっていて、そうなるように進むものと思っていました。
教育熱心な母親のもと、高学年になると進学塾へ通うようになりました。
塾の方針で中学受験をして進学校に入るという流れが出来上がっており、私もその流れの中で中学から私学を受験することに。
当時はまだ中学受験というのは一般的ではなく、100人程度いた学年のうち、中学受験をして皆と同じ公立中学に行かなかった生徒は5人くらいしかいませんでした。
受験は無事に合格し、静岡市にある中高一貫の男子校に入学しました。
小学校の6年間を一緒に過ごした仲間と別れることは辛く感じていましたが、受験をして自分の力で入学を果たした学校へ行けるということには、どこか誇らしい気持ちもありました。
何より、沼津から静岡まで、片道1時間弱の道程を毎日電車に乗って学校に通えることがとても嬉しくて、最初のうちは運転席の後ろにかぶりついて通学時間を過ごしていました。
当時の東海道線静岡地区では113系という電車が走っていて、カボチャ色の見た目も、走行中に車内に響くモーターのうなり音も、心地よい揺れの乗り心地も、ボックス席から眺める車窓も、何もかもが好きでした。
入学してしばらくすると友達もできて、同じ方向へ通う何人かと一緒にボックス席に乗り合って通学するようになりました。
勉強も苦手教科はありましたが、頑張れば鉄道会社に入れる日が来ると信じてまじめに取り組みました。
ただ漠然とそんな夢に向かっていると信じて過ごした中学時代でしたが、3年生にもなると、徐々に現実を知っていくことになります。
この話の続きはこちら。
私も2年ほど前に逮捕され執行猶予中の身の者です。ブログ色々共感して見させていただきました。私の場合は当時会社社長をしており、色々と重なり運転免許も取消しになり、会社の負債は約1億円で今はもうどうすることもできずに、どん底の真っ只中です。
お互い頑張りましょう。
>匿名さん
コメントを頂きありがとうございます。
一度の過ちが人生を大きく狂わせてしまうこと。そしてそのきっかけを作ったことへの後悔。痛いほど良く分かります。
犯罪者になった自分にはもう二度と人生を再起させる機会は来ないと思うのも無理はありません。
しかし、人生というのは不思議なもので、私は自分の考え方、そして行動次第で未来を好転させることも充分に出来るということを信じております。
貴方の人生も、貴方自身の考え方を変えることで、きっと良くすることが出来ると思います。
私のような人間でよければ、お話だけでも聞かせて頂きます。よろしければメッセージください。
はじめまして。
ただいま大学3年生、法学部で勉強している身のものです。前科はなく、犯罪に巻き込まれたこともありません。
今回、いったいどのレベルでの賞を受賞したなら履歴書にある賞罰欄に記入して良いのかということを疑問に、”履歴書 賞罰欄 “で検索をかけていたところ、主様のブログが目に留まり、開いてみたという次第です。
無知が招いた事件だった。
これは検察、会社からすれば通らない言い分なのでしょう。
知らなかった(分からなかった)からと言って、許される内容ではないと言われてしまうのでしょう。許可なくガラクタであったとしても他人の所有物をかっさらったのなら、窃盗なのでしょう。
ん〜…なんとも。
何事も深く考えてしまうタチなので、”みなかったらよかった”と思ったのが正直なところです。
自己紹介に、調べたら出てくるのでと、名乗っておられましたね。失礼ですがネットを調べると、にちゃんねるのスレッドが出てきました。元JRでの社員ということで、転売目的と書かれていましたね。
こちらのブログを読んで、実際のところの経緯を知りました。
わたしは常に人を疑っていますし、幼い頃からのトラウマ?があります。しっかりさんで、派手なタイプの子でしたので、小学校で起きるトラブルなんかでも、その場に通り掛かっただけで、顔を覚えられているが故に、”名無し子ちゃんがいました!”
なんて言われて、濡れ衣をかけられたことも何度もあります。
世の中言ったもの、泣いたもの、地味なもの、訴えたもの勝ちなんだな、と10歳足らずで悟っていました。
わたしは決して主様のような、騙されたり
貶められたり言いくるめられるような性格ではありませんので、これからこのような事がわたしの身に降り掛かるか、は分かりません。(でも世の中には不確実性はつきものですからわかりませんが)
しかし、改めて、また、とは言いませんが、深く考えなかったこと、人を信じてしまったこと(裏切られたこと)、そしてタイミングなどの巡り合わせも全ての歯車が悪い方に悪い方に動いてしまっての、主様の時間だったのかな、と…。
改めて、自分を守れるのは自分自身だけなので、特にお金が動くようなことではどんなに小さな額がも。所有権並びに権利関係が動くようなものならばトラブルに発展しないかすぐに自分でリスクマネジメントすることが世の中では大切だな、と私自身思いました。
し、これからこのブログに行き着く人たちは(どのような検索ワードで引っかかるかはわかりませんが。私のように思いもよらずの迷い猫もいるでしょう)、主様の教訓をしっかり生かせることと思います。
(学校だけでなく刑務所だけでなく少年院にも見学に行ったこともありますが)非行を働いたことに違いはなくとも、上記の施設では正直自業自得だろと思ってしまざるを得ないような、主様とは非にならない大きな罪を犯した人たちを見てきましたので。
翻弄されている人もいるのだということを痛感させられました。
犯罪者らしからぬ犯罪者もいるのだな、というかなんというか。一般人と呼ばれる人達も、内容が揃えば明日は我が身の内容かと思いました。
長くなりましたし何が言いたいのかよくわからない文章になってしまいましたが…
大変だとは思いますが、頑張ってください。良縁に恵まれること、お祈りしております。